何か、よくわからない力に導かれている気がする
そんなことってありませんか?
結構な頻度でそんな気がする私です
例えば、
出会いはひとつの大きなそれでして
たまたま出会ったあの子のおかげで、とか
海外の違う場所で再会した、とか
小さいころコタツに潜りながら考えたものです
私があの子だったら私は私でなかったわけで…ふぅむ
そうするとお母さんは私のお母さんじゃなかったから…悲
そんなパラレルワールドを脳内で繰り広げ
一緒にコタツで温められたタイ焼きを食べたのは
つい最近のことのよう
昨日のブログにも書きましたが
私がトルコに来たかったのは
トルコ人と結婚したかったからではないのです
じゃあ何故?
松田聖子風にいうと
初めてトルコに来たときビビビときたのです
豆:1998年松田聖子が6歳年下の歯科医と結婚する時
出会いについて発した言葉
地図を見ながら歩いていれば
聞いてもないのに道を教えてくれる
何かとチャイを飲ませたがる
言葉が通じなくても一生懸命話を聞いてくれる
日本人とわかれば知ってる日本語を全力で言ってくる
(山本山を広めた人は直ちに名乗り出て欲しい)
今となれば単に暇だったからかなと思ったりもするけれど
なんて素敵な国民性と
感動したのでした
さらにバザールを歩けば
ランプ 絨毯 キリム製品
得体の知れない可愛いお菓子
何がなんだか多種多様な香辛料
そして
そこに居る人達の濃い顔が
マッチしまくりではないか
神は計算通りに全てを創造なさったのだと
思わざるを得ない景観
ゴルゴ13ばりの敏腕スナイパーに
胸を一撃で打ち抜かれた感じの
エキゾチックズキュン
そんなわけでまずトルコ語を学び
トルコの文化や料理を学び
日本でトルコ雑貨を売りながら
トルコ料理屋さんを開くのが目的だったのです
ではなぜトルコで結婚したのだと言いますと
それもまた
全て出会いが織りなした
いわゆるひとつの副産物
2014年に初めてシリンジェを訪れた際
1人の女性と知り合いになりました
翌年2015年、再びトルコを訪れた際
その方に会いたくて再度シリンジェに行きました
お店の場所が変わってしまい
元の場所に居なかったため
写真を見せながら探していると
1人のハゲた男性が
彼女のお店まで連れて行ってくれました
そして
これ私のお店だから後で来てね
と名刺を渡されたのです
行ったら何か買わなきゃじゃん
私は彼のお店じゃない方に歩きましたヒドイ
ところがどっこい
結構歩いて辿り着いたのは
彼の店の横だった
これは日本人らしく礼儀を尽くせという
ご先祖様からの指令
そこで店に立ち寄り
チャイをご馳走になることに
ちょっと待っててと言われ
店内を見ていた時
ふっと背後に気配を感じ
振り返ると
そこにはハゲではなく
ニコニコしたヒゲが
こじんまりと立っていたのですえっ手品?
実はなんだかんだ言いながら
今週は毎日レストランへ
手伝いに行っているのですが
今日パパとママが
2年後にはママはシェフ引退するから
そしたらお前がシェフだね
と言いだし
昨日は
お嫁さんも料理してるの?って質問に
私は皿洗ってるだけですと答えたら
私も最初は皿洗いからだったよとママ
何かよくわからない力に
導かれている気しかしないのであります
ちなみに、
シリンジェに会いに行ったその女性
初めて会った時以来会ってない
これもまた導き
だな
今日はMantı(マントゥ)を作った
根暗な私には最高の作業なのである