す3月9日(土)
午前10時にがんセンターへ。
駐車場に着くと、黒っぽい服を着た人達がぞろぞろと入口に向かって歩いている。
平服または喪服のような装いだ。
何となく葬儀場を思い出す。
人の流れが切れたタイミングで、少し離れて外から写真を撮った。
くみがいた病室も写っている。
走馬灯のように記憶がよみがえってきて、しばらくそこから動けなかった。
少し息を止め、大きく深呼吸をしてから入口へ1人で向かった。
いつものように手を消毒して体温チェックを済ませ、受付けのある場所まで真っ直ぐ歩いた。
いつもなら、くみの姿を意識して周りに目を配る所も全く見てはいなかった。
受付けを済ませてすぐにエレベーターで3階の講堂へ案内される。
思っていた以上に人がいて、祭壇を正面にズラリと椅子が並んでいた。
なぜか全列のみ空席がある。
俺は迷わず1番前の席へ向かい、遺族代表の張紙がある席の3つ隣に座った。
すでに泣いている遺族の方が何人かいて、後方ではピアノやバイオリンの生演奏の音楽が流れていた。
開式まで30分ある。
目を閉じて色々と考えた。
ここに来て何を感じるのか?
自分の中で何かが変わるのか?
朝は仏壇のくみに行って来ますと声をかけてから、ここに来るまで俺は一言も言葉を発していない。
受付けの時に名前を聞かれても、持っていた封書の宛名を見せただけだ。
今思えば、声も心も閉ざしたままでの参列だった。
左側の出入口側にはがんセンター関係者が並んで座っている。
あえてそちらに目は向けなかった。
開式となり全員で黙祷をした。
続いて、故人名を五十音順で読上げられる。
1人1人の名前を聞きながら、その数を何となく数えていた。
3名のセンター関係者の方が代わりながら読上げるとの事。
その代わるタイミングで、声が小さくなったり間が空いたりして、自分で数えた数がずれてしまい少しイラつく。
キチンと繋いで読上げてくれよと。
くみの名前が聞こえたのは、俺が数えた数で200人を超えてからだ。
全ての芳名録棒読が終了し、今年度にがんセンターで亡くなられた方は319人との事だった。
年間でそんなに?
そこまでとは思ってなかったからその数には正直驚いた。
例えば10年、その10年の間にがん医療はかなり進化してきたはずだ。
それなのにこの病院だけでこの数って…
がんって病気の怖さをあらためて感じた。
病院長から追悼の辞が述べられた。
くみの主治医だった先生だ。
見なれた白衣ではなく礼服だった。
その言葉は病院目線での弔辞に感じてしまい、申し訳ないけど俺には全く何も響いてこなかった。
でもそれは個人的な葬儀の場でもないし、仕方のない事なんだと一応理解はしている。
続いて遺族代表挨拶があった。
誰が勝手に決めた代表なのかは知らないけど、その人は医療関係者の方々への感謝を述べて、自身の話を淡々と言葉にしていた。
その内容には妙に苛ついた。
遺族代表なら俺の代表でもあるわけだよね?
ありきたりの言葉を並べてキレイに挨拶をまとめてくれたけど、何も伝わらないし何の意味もないじゃん。
代表様は故人様のために自身の命までもかけれましたか?
どれだけ辛い心と時間に寄り添えてあげれましたか?
泣き叫んで、悔やみに悔やんで、今すぐにでも大切な故人様の側に行ってあげたいと思いましたか?
そうだとハッキリ言えるのなら、社交辞令のような言葉を並べずに本音で話してくれよ。
這いつくばっても、みっともなくても涙流してそこにいる全員にその思いを伝えろよ。
それが遺族代表の言葉じゃないのかな?
そんな事をずっと思っていて、くだらない挨拶に苛立つだけだった。
その後は献花に移る。
がんセンターで1番偉い人から3人最初に献花をする。
続いて遺族代表、参列者、医療スタッフ、看護師と続いた。
別に順番はどうでもいいけどね、病院の序列があからさまだった。
最後の看護師の献花は、2列に並び所作も同時に着々と進んで行く。
事前に少し練習でもしないと、ああもキレイには揃わないだろうね。
俺も、こんな苦言や嫌みみたいな事ばかり思うようになってしまい、いちいち会釈すらする気にもなれなかった。
ただ膝の上で、強く自分の拳を握りしめていた。
左手の傷跡がズキズキと痛んだ。
最後に理事長の挨拶。
病院長と比べて悪いけど、正直言って聞き取りにくい話し方だった。
そして内容も、やはり医療・がんセンター寄りの事だったので何も響かないし伝わらない。
これは故人の、遺族の方々の為の慰霊祭ではないだろうと感じた。
あくまで病院主体であり、遺族には参列してもらわないと成り立たない祭式なのだと。
金と時間をかけてこんな事を毎年余続けているのなら、線香1本仏前へ炊きに来てくれた方が、よほど慰霊になるんじゃないのかな。
まぁ…個人的な意見だけど。
閉式となり、献花した花は希望者が持ち帰れる。
参列したほとんど遺族の方が希望していた様子だった。
俺はすぐに席を立って講堂を後にした。
一刻も早くそこから離れたかった。
くみがお世話になった病院長には、以前に直接挨拶へお伺いしているし、駐車場の出口が混む前に病院から出たかった。
車に乗り込んで電子タバコを吸い込んだ。
少し落ち着く。
車の窓を開けると空は晴天、少し冷たい乾いた風がボーッとしていた意識をスッキリさせてくれた。
結局俺は誰とも一言も言葉を交わす事はなかったんだ。
慰霊祭でここに来た意味はなかった。
辛くはなく、少し苛立ち、少し否定的な思いを感じただけだ。
何か区切りが付いたとすれば、がんセンターと遺族としての割り切りが確認できた事。
この病院で出来る限りの治療をしてきて、願わずもここの病室で最後を迎えてしまった事実。
……悔しいね。
くみが可哀想で仕方ない。
その思いで頭がいっぱいになり、帰り道はずっと胸が苦しかった。
慰霊祭から家に戻ると、ちょうど母ちゃんがじんちゃんの世話で来てくれていた。
自分が今日がんセンターで感じた事を話しすると、今だか言うけどねって母ちゃんが口を開く。
獨協医科大学院からセカオピ、がんセンターでの治療に通うようになった時、くみにサポートとして付き添う度に最初は辛かったと言っていた。
再婚した旦那さんを見取った病院だから思い出して辛かったと。
でもくみちゃんの一生懸命さに、少しずつ行くのは慣れてきたよって。
でも今でもがんセンターの近くは正直言って通りたくないって。
そうだよね…
母親にそんな気配りも出来なかった俺は、自分達の事ばかり考えてしまい周りが全然見えていなかった。
それもわかってて、辛い事も我慢しながら俺達のサポートをし続けてくれた。
本当にごめん…
でも感謝してる、ありがとう。
夕方、西の空が茜色に染まった。
くみのラパンに手を添えて、ジワジワと涙がこみ上げてくる。
滲む夕日に向かって鳥の群れがそれぞれ飛んで行く。
少し自分を見つめ直していた。
最近は誰かといて話をしていても、何かをどこかに置き忘れてきたような感覚がある。
それを常に意識している自分もいる。
不思議だね、それでも俺は生きてるし、仕事をして前向きに毎日を頑張れているのだから。
今どこにあるのかな?
慰霊祭に行っても病院にはなかった気がするし、その辺りにも落ちてはいない。
くみが持って行っちゃったのかな。
それならそれでも良いけどね、いつか届けてくれるかもだし。
Because
心の中にはたくさんの何かがある。
そのいくつかはどこかに置き忘れたままなのだから…
焦らず
ゆっくり探せばいいじゃん。
そのうち見つかるよきっと…
そう思ったんだ。