先週、山﨑伊織と阪神・才木浩人について

こんなブログを書いた。

 

 

それを読んでくれた方の中から

M.Dさんのコメント

『当時堀内様のライバルと呼べる程の実力ある投手の方は高橋一三様が思い浮かばれますが…

堀内様がライバルと意識されておられたかどうか気になる部分に感じます。』

 

 

この呟きに

お答えしようと思う。

 

 

一三さんの命日が7月14日でね

ちょうど彼のことを

想っていたところなんだ。

 

 

一三さんとは年齢が一つ違いで

俺の方が年下だ。

 

 

でもね、先輩に対して

失礼な物言いかもしれんが

馬が合ったんだな。

 

 

投げる腕も右と左

性格も真逆といった2人だったけど

それが良かったのかもしれん。

 

 

プライベートは

一緒に行動することが多かったし

 

 

車で行ける球場へは

俺がナビゲーター役で

助手席を陣取っていた。

 

 

一三さん

相当な方向音痴で

後楽園球場に

まともに行けたことがない。

 

 

一度、登板に遅れそうに

なったこともあったよ(笑)

 

 

俺は巨人V9の

V2の年(1966年)がプロ1年目

 

 

当時、金田正一さんや

20勝を誇ったピッチャー陣が

揃っていたが

やや衰え始めていた。

 

 

そこで

首脳陣が目をつけたのが

一三さんや

倉田誠さん

俺たち次の若い世代だ。

 

 

とは言え、

先発を任せられる

ピッチャーの数が

少なかったんだよね。

 

 

強烈な思い出と言えば

1973年の日本シリーズ

 

 

南海ホークス相手に

4勝1敗でV9を達成した時も

 

 

一三さん、倉田さん、俺と

5試合を3人で投げて

勝ったんだよ。

 

 

だから、一三さんのことは

競争相手というよりも

「同志」という

気持ちの方が強かった。

 

 

そりゃ、勝ち星が抜かれれば

俺も頑張らなくちゃとは思うけど

それはライバルとは違うんだなぁ。

 

 

ちなみに

「じゃあ、バッターは?」

と聞かれれば

 

 

よく打たれるバッターは

誰とは言わんが

だいたい決まってんだ(笑)

 

 

でも、これも

ライバルとは

ちょっと違う。

 

 

それは、なぜか。

 

 

自分のチームに

長嶋茂雄さん

王貞治さんという

球界でNo.1〜2の

バッターがいるわけさ。

 

 

つまり俺が相手にするのは

3番以下のバッターということ。

 

 

だから

「抑えられなくてどうする」

いつもそう思っていたんだ。

 

 

ということで

俺のライバルは誰かと聞かれたら



その答えは・・・

 

 

 

俺だな(笑)

 

 

 

それでは、今日はこのへんで。

写真・(C)報知新聞社