昨日(5月18日)の試合

巨人6−3ヤクルト

については

 

 

スポーツ報知の解説を

ぜひ読んでいただいて

 

 

ブログでは

中西太さんが

お亡くなりになったと聞き

一言お悔やみを申し上げたい。

 

 

中西さんと

接点はないんだ。

 

 

年齢は15歳離れているし

中西さんの現役引退は1969年

俺のプロ1年目は1966年

 

 

西鉄ライオンズと巨人軍

リーグも違った。

 

 

巨人にコーチにいらした時は

俺はユニフォームを着ていなかった。

 

 

もちろん、お話しをさせて

いただいたことはあるけどね。

 

 

中西さんは

高校卒業してから

すぐにプロ入りし

「怪童中西」と呼ばれたくらい

すごい選手だった。

 

 

「怪童」と呼ばれたのは

中西さんが初めてじゃないかな。

 

 

「ショートライナーが

そのままレフトスタンドに入って

ホームランになった」

 

 

なんていう

話が出ちゃうくらいにね。

 

 

実は、俺ね。

 

 

中西さんの

バッティングフォームが好きでね。

真似していたんだよ。

 

 

ピッチングフォームは

稲尾さんと権藤さん

 

 

バッティングフォームは

中西さんなんだ。

 

 

手首は柔らかく

構える時にバットを揺らす。

 

 

バッターボックスに立つとき

両足の開きは狭く。

 

 

打つ時はすり足から

大きくステップして打つ。

 

 

俺の通算成績

本塁打数21本は

中西さんのおかげなんだ。

 

 

長年に渡り

野球界のために尽くしていただき

本当にありがとうございました。

 

 

中西太さんのご冥福を

心よりお祈り申し上げます。

 

 

合掌