あずフィスさん

コメントで思い出したよ。

35年前の今日が

俺の引退試合だったんだなぁ。

 

 

 

今日の本題に入る前に

野球の歴史として

1つお話ししようかな。

 

 

 

そもそも

この「引退試合」ってね

 

 

 

引退した次の年

春のオープン戦で

その選手のために

 

 

 

ゆかりのある地や

ゆかりのある相手を選んで

1試合設ける

 

 

 

それで、その試合の収益から

諸々の経費を引いた純利益を

その引退選手に渡す

 

 

 

これがね

本来の「引退試合」なんだ。

 

 

 

この形式の引退試合は

川上さんを最後にして

長嶋さんや王さん

俺もそうだけど

 

 

 

レギュラーシーズン中に行う

引退(する最後の)試合・セレモニーに

移り変わってきているんだ。

 

 

 

そうやって

引退試合に

思いをはせていたら

 

 

 

そう言えば由伸って

セレモニーはあったようだけど

引退(する最後の)試合

っていうのはなかったなぁ

と思ってね…

 

 

 

巨人の新体制が発足するのも

時間の問題だろう。

その前にもう少し

「高橋由伸」について

語ってみたくなったんだ。

 

 

 

由伸はどんな選手だった?

と聞かれれば

 

 

 

走攻守3拍子揃った選手で

特に打つことに関しては「天才」だ。

そう答えるだろう。

 

 

 

ただ怪我や故障が多かった。

本当に多かった。

 

 

 

慢性的に腰と手首を

痛めていることは知っていた。

 

 

 

手首と言えばね

試合前にテーピングで

手首を締めつけてる姿を

思い出すよね。

 

 

 

そんなにきつく締めたら

手に血がいかないんじゃない?

大丈夫か?

そう思って見てた。

 

 

 

そんな慢性的な痛みに加えて

能力が高い故の怪我も多かった。

 

 

 

だから

満足に出場できるシーズンが少なくてね

首位打者や最多本塁打と言った

タイトルも取り損ねている。

それが残念でならない。

 

 

 

でもそれと引き換えに

彼のプレーは

とても印象に残っている。

 

 

 

フェンスにぶつかることも恐れず

へっちゃらで外野フライを追いかける。

 

 

 

これね、下手なやつほど

ぶつからないもんなんだよね(笑)

 

 

 

捕れる、捕れない

紙一重のところを

ぶつかろうが何しようが

「捕れる」と判断できるから

追いかける

 

 

 

そういった

1つのプレーにかける姿勢と

内に秘めた情熱

 

 

 

でもプレー自体に

派手さはないんだ。

 

 

 

名人っていうか

(必殺)仕事人っていうかさ

いぶし銀のようなプレーは

玄人受けする選手だったよね。

 

 

 

ベンチで大騒ぎするわけでもなく

 

 

なんかね…

 

 

昔の名残りがする最後の選手

それが「高橋由伸」じゃないかなぁ。

 

 

 

 

それじゃあ

また明日バイバイ

 

 

 

 

【 怪我と故障 】

流川塁斗さん、怪我と故障の違いね。

辞書で調べると「怪我」は

「不注意・不測の事態などのため、身体を傷つけること。また、その傷。」

とあるけれど、例えばデッドボールで打撲や骨折したなどの時に使い

 故障」は「機械や身体などに不調が生じて、円滑に働かなくなること。」

つまり、投げすぎて肩や肘を痛めたとか

そういう時、故障という言葉を使っています。

 

 

 

【 過去のブログから 】

1983年10月22日

俺の引退(する最後の)試合について

たっぷりお話ししました。

まだの人は良かったら読んでみてね。