決めたのか、杉内…

 

 

 

シーズンも佳境に入り

各チーム大事な局面である一方

こういう話題がちらほら出てくるなんざ

なんとも嫌な時期でもあるなぁ。

 

 

 

昨日のブログでお話しした

村田修一と同じく

杉内とも話をしたことはないんだ。

 

 

 

でも巨人の背番号「18」が

引退するとなると

俺としては非常に

感慨深いものがあるよね。

 

 

 

俺の場合

入団1年目は

背番号「21」をいただき

 

 

 

1年目の成績が

良かったことから

藤田元司さんから

「18」を受け継いだ。

 

 

 

巨人のエースナンバー

と言われた背番号

 

 

 

歴代の18番をつけてこられた

諸先輩方の意志を受け継ぎ

また藤田さんの名に恥じぬようにと

背番号は常に意識して投げてたよね。

 

 

 

そして1984年王監督1年目

ピッチングコーチに就任し

背番号「18」のままでスタートしたけれど

シーズン途中で変更を申し入れた。

 

 

 

すると球団が

誰に継がせたいかと

俺に聞いてくれたんだ。

 

 

 

だから俺は迷わず

「江川に」とお願いした。

 

 

 

したけど

江川に断られた(笑)

 

 

 

詳しい理由はわからん。

 

 

 

でも彼は彼なりに

背番号「30」に対する

特別な思いを

抱いていたんだろうね。

 

 

 

そしてその後

 

 

桑田真澄へ

 

 

杉内俊哉へと

受け継がれていった。

 

 

 

杉内の時は

事前に球団から

俺のところに

連絡がきたんだよ。

 

 

 

「巨人の18番は

右のエース番号だけど

左の杉内でもいいか」ってね。

 

 

 

杉内と言えば

 

 

 

力を入れないピッチング

キレのあるチェンジアップ

そしてなんと言っても

「勝てるピッチャー」だ。

 

 

 

彼がノーヒットノーランを

達成した時は

ちょうどテレビ解説を

担当させてもらった日で

球場で立ち会うことができた。

 

 

 

直接会話しなくても

見えない繋がりってあるのかね

 

 

 

ここ3年間は

マウンド上で躍動する

「18」が見れなくて

 

 

 

俺自身もね

なんとも言えない

時間だったよ。

 

 

 

もちろん杉内本人が

一番不本意なのは

言うまでもないこと。

 

 

 

でも元18番の俺としては

彼が怪我で苦しんでいるのは

耳にしていたからね

 

 

 

なんとかもう1度

ダメなら1回

いや1アウトだけでも

再びマウンドに立たせてあげたい

そう願ってたよ。

 

 

 

杉内よ、

自分で引き際を決められたんだ

もう迷うことはないだろう。

あとは前進あるのみ!だな!

 

 

 

17年間

本当にごくろうさまでした。