東京はお盆に入って

今日7/14は

高橋一三さんの命日

(右が高橋一三さん©報知新聞社)

 

 

オールスターゲームで

盛り上がってるのを横目に

今日は故人を偲ぶブログに

させてもらいたいな~と。

 

 

 

現役時代の話となれば

必ずと言っていいほど出てくる

「高橋一三」さんの名前

 

 

 

合宿所にいた時

離れているのは

寝ている時くらい

っていうほど

一緒にいたよ。

 

 

 

一三さんの方が

1つ年上で

見た目も性格も

全然タイプが違うのにね。

 

 

 

いかにも体が硬そうで

「衣紋掛け」と

言われるくらいのイカリ肩

 

 

 

そのイメージに反して

あんなに柔らかく投げられたのは

関節が柔らかかったんじゃ

ないかと思うんだ。

 

 

 

巨人時代

20勝以上を2回もしたけど

勝ち星がなかなか増えず

悩んでいた時もあった。

 

 

 

若い頃

アメリカへキャンプに行った時

スクリューボールを

誰かに教わったんだな

 

 

 

それをすぐにじゃなくて

時を経て

使えるようになってから

再び生き返った

そんな感じがする。

 

 

 

球種を覚えることでもそうなんだけど

一三さんって不器用なんだよね。

だからこそ一生懸命で

時間はかかるけど

一度覚えたことは忘れない。

そういう姿は今の内海に

似てるんだよなぁ。

 

 

 

一三さんが亡くなった69歳

とうとう越えちゃいましたよ、俺…

 

 

 

 

小田原たかさん、コメントありがとう。

君と会える機会も楽しみにしてるけど

俺が待てないと困るから(笑)

 

コッソリじゃなくて申し訳ないけど

ここからお返事させてもらうね。

 

 

お名前「斉藤博」さん、ってあるけど

読み方は「まさひろ」でも

昔は「博」って「勝」の字を

使ってらっしゃったかな?

 

 

年齢関係なく

みんなから親しみを込めて

「かっちゃん、かっちゃん」って

呼ばれてたからね。

 

 

斉藤さんは兵庫県出身のキャッチャーで

元々宮田さんと組んでいらっしゃった。

俺が入団して

宮田さんが可愛がってくれたおかげで

斉藤さんとも親しくさせていただいたんだよ。

 

 

一緒にユニフォームを着たのは

2年間だけだったけど

俺がブルペンで投げる時

いつもボールを受けてくれたのが

「かっちゃん」

 

 

宮田さんはコントロールがいいでしょ。

俺なんかさ、どこにいくんだか

わからんような球ばっかり投げてたから

受けるの大変だったと思うよ(笑)

 

 

それでも根気よく

「目線を下げろ、目線を下げろ」

ってアドバイスをくれながら

受けてくださった。

 

 

斉藤さんが亡くなられて

今日お通夜だって知った時

泊まりの用事で東松山にいてね

 

 

それでも最後のお別れがしたくて

東松山から道もよくわからず

葬儀式場まで向かったんだ。

迷いに迷って2時間以上かかったかな

普段着のまま参列させてもらって

失礼しちゃったけどね。

 

 

宇佐美もハーフみたいな顔立ちで

男前だったけど

斉藤さんも野球やってちゃ

もったいないくらいのいい男だったよね。

 

 

引退後、すぐに川辺さんという

主にハンカチを製造・販売する

会社に就職されたでしょ。

 

だからお会いする度に

ハンカチをくださってね

毎日取り換えても余るほど

沢山いただいたりして

ずっと可愛がってもらった。

本当、感謝してるんだよ。

 

 

 

今年は仙さん、衣さんも加わって

あちらのオールスターゲームも

楽しそうにやってそうだけど

俺はまだ参加しませんからね(笑)

 

 

 

それじゃあ、今日はこの辺でバイバイ

 

 

 

【 追伸 】

写真じゃわかりづらいけど

このきゅうり、ものすごい大きさなんだ。

女房が安定する割りばしを探すのに

苦労したぐらいだよ(笑)

 

 

友人が丹精込めて育てたのを

持ってきてくれたんだけどね。

「この大きさなら堀内家のご先祖様

みんな乗って来れるでしょ」だって(笑)