今日から

FA(フリーエージェント)有資格者が

権利を行使するための申請が

スタートするね。

 

「FA」って最近の制度の

ように聞こえるけど

昔もその前身となるような

制度があったんだよ。

 

「10年選手制度」っていってさ

プロ入りから10年間現役として

同一球団に在籍した選手にね

自由に所属球団を移籍できる権利が

与えられたんだよ。

 

金田正一さんは

その制度を使って

国鉄スワローズから

巨人に移籍してきたんだから。

 

ボーナスももらえてね

再契約金みたいなものかな。

でもその制度

俺の現役途中に

なくなっちゃったから

それらの恩恵を

全く受けられなかった

時代なんだよね。

 

現在のFA制度が

導入されたのも

現役引退してからのことだし

正直、どちらの制度も

よくわからん(笑)

 

でも、だからこそ

俺は巨人一筋で

生きてこれたのかもな。

 

さて、新聞で

松坂がソフトバンクを

退団するって知ったよ。

球団側は

コーチ契約の提示をしたようだけど

あくまでも選手としての復帰を

目指す道を選んだようだね。

 

俺の晩年のことも

少しずつお話ししていきたいと

思ってるけど

藤田元司監督から頼まれ

「コーチ兼任選手」っていう時代が

あったんだよね。

 

でもね

その処遇で何年か経った

1983年(昭和58年)のシーズン前に

突然、自分の生き方に

怒りを覚えたっていうかさ

 

コーチでもなく

選手でもないような

このままロウソクの火が

消えるように

ブルペンの片隅で

燃え尽きていいのかっていう

思いが爆発したんだよね。

 

最後までピッチャーとして生き

ピッチャーとして辞めていきたい

という強い思い。

 

意を決して

藤田監督に直談判した。

「コーチか現役か

どっちか一本にしてほしい。

どっちつかずは嫌だ」と。

 

藤田さんに

「自分ではどっちが望みなんだ」

と聞かれた俺は

「コーチの肩書きをはずしてほしい」

と頼んだ。

でも結局、そのシーズンも

同じ処遇でスタートしたんだ。

 

忘れもしない

5月29日甲子園球場

対阪神戦

ローテーションの

穴埋め役として

先発のチャンスが

回ってきたんだ。

 

敗戦処理ばかりの登板に

変に慣れてしまっていた俺は

自軍のピッチャーが

汚していないマウンドに立ち

新鮮な気持ちになった。

 

昔のようなピッチングは

もはや出来なかったけど

死に物狂いで投げたよね。

 

6回無死1、2塁で降板

2安打、無失点でなんとか抑え

その後、打ち合いになったけど

チームはなんとか逃げ切って

俺は勝利投手となった。

 

2年ぶりの先発

2年ぶりの勝利

そして

現役最後の1勝

 

当時、俺はこう言った。

「先発するっていいもんだねぇ。

これがピッチャーだよ。」

 

そしてまた

コーチ兼任敗戦処理投手という

生活に戻ったが

もう悔いはなかったね。

引退を決められたんだよ。

 

松坂がどういう気持ちでいるかは

松坂本人しかわからない。

 

俺が彼に一言

言うとするならば

 

「新しいところを見つけて

頑張れよ!」

 

だな。

 

 

【 追伸 】

孫におめでとうのコメント

ありがとう!

孫のチビこい方が

「僕もブログに出たい!」

って言い始めてね、

女房が

「出たいっていっても

顔はジャビットくんに

なっちゃうのよ~」ってなだめても

「それでもいいよ音譜

って聞かないもんだから

登場させてもらいました。

これがお見せしたいくらいに

満面の笑みなんだけどね。

孫には弱い・・・かもね(笑)