CBC代表取締役 堀太郎のブログ -7ページ目

芦田 宏直氏のブログ

芦田宏直氏のブログ。http://www.ashida.info/blog/


ここには膨大なコンテンツがあります。

ここにあるものは、(現代思想、現代哲学のあまりにも本格的論考にはとても歯が立ちませんが)ぼくにとって「面白い」を超えたもので、いつも様々な刺激を与えられています。


実はtwitterでこの人を知り、このブログを読んで関心を持って講演会にも行きました。
そのアプローチは非常に面白くもあり、心に残るものでもありました。


決して忘れたくないと思い、この時とったメモは時々読み返しています。


ギリシャから入ってハイデガーに触れ、ニーチェで締めた講演でしたが、ものごとの真相に迫ろうとするこの人のキャラクターは独特でした。その余韻は今でも残っています。


最近ぼくが、ちょっぴり哲学ファンになっているのは、この時がきっかけなのですね。



教育問題についての研究や発言も多くしていますし、ハイデガーやデリダへの論及はもちろん、吉本隆明についても熱く語っています。

(何と、ぼくの商売柄関心の高い「キャリア論」もあります!)


また、ソーシャルメディアなどについての論考“twitter微分論”や“オンライン自己”など、非常にユニークなものがあり http://www.nikkeibp.co.jp/article/column/20100524/227559/ 目が離せません。

学識はもとより凄いのだと思いますが、ともかく“キャラ”がかなりとんがってます。


この人はいつも何かに闘争を挑んでいる人なのですね。


彼がマンションの管理組合長時代の、「本気の」闘いもこのブログで読むことができます。

自分が同じ立場だった頃のことを思い出してとても興味深く読みました。彼のように妥協せずに戦い続けることはとても困難だと感じながら。。。


この人はtwitterでも、すぐにマジ喧嘩してしまうのですが、これもなかなか興味深いです。

一人の学者がtwitterで、学生などにふらっと絡まれた際にも、彼らの不明を絶対に許さず、ガンガン断定しながら追い込んで行くのですから。。。

そこにも妥協はありません。


“普通の大人”のような韜晦やごまかしなどはせず、短いフレーズを連続的に繰り出して一気に攻め込むのです。

その奮闘ぶりを垣間見ると、「あれ、またやってる」と思いつつ、いつの間にか、彼の“次なる応戦”の言葉に期待している自分がいます。


書き忘れていましたが、こんなケタはずれな偏屈だけではなく、ケタはずれな優しさの持ち主であることも感じられます。
ブログに載った、ある結婚式の祝辞を読んで、ボロ泣きさせられたことがあります()


紅白歌合戦をリアルタイムで、歌手や歌詞について詳細な論評を加えながら実況する、なんていうこともマジでやっています。これが実に面白い。


・・・何事も本気のようです。


しかし、ソーシャルネットワークの時代だからこそ可能なのでしょう。

こうした本気で哲学する人の貴重な論考や、excitingな生き様などが、“ただ”で()伝わる時代ってありがたいですね。


Webによって拓かれた、ポストグーテンベルグ時代は、全く新しい活字文化や言語文化が創造される時代だと思います。


既存の出版業者は、未だにそれを“懸念”しているようですが、“既に終わっている”ことに、愚かにも気づいてもいないのですね。

今後もこの同時代、芦田さんに刺激を受けながら日々自分を新しくしていきたいと思っています。



アール・ブリュット・ジャポネ展


CBC代表取締役 堀太郎のブログ


                            《うさぎと流木》


「アール・ブリュット・ジャポネ展」を見に、埼玉県立近代美術館に行って来ました。


以前NHKで知的障害や精神障害がある日本人アーティストの作品が取り上げられました。それを観てその作品群や作者の人となりなどに、とても強い印象を持ち、いつかぜひ見たいと思っていました。

我が家の次男が、自閉症という発達障害であることも関心を持った要因かもしれません。


特にフランスでは、そのアートを「アール・ブリュット」、生(き)のままの芸術と呼び、(英国では「アウトサイダーアーティスト」と呼ばれる)彼らの優れた作品が歴史的にもかなり集約されているらしいのです。

(「障害者の芸術」と言う表現は「アール・ブリュット」の狭義の部分と言われ、本来もっと広い意味で「職業的ではない」アーティストをそう呼ぶのだそうです)


このジャポネ展は昨年の後半から今年にかけて、パリ市立アル・サン・ピエール美術館で長期に亘って開催され、12万人もの人々が観たものを、今回日本で巡回展として行う意欲的なものだそうです。 http://www.momas.jp/003kikaku/k2011/3.02.2011.k.htm


ラッキーなことに、会場の埼玉県立近代美術館は地元です。

(小学生の頃、埼玉大学がここにあって、この敷地で毎日のように遊んでいました)

今日は妻とゆっくり見に行くことができました。


ぼくにとって、今日のこの時間は未知との出会いによる衝撃の連続でした。

パリ展を見た辻仁成氏も書いていましたが、「障害者の作品と言うレッテル」は一切無関係です。そこにあるものは、優れたコンテンポラリーアートそのものだったのです。



手あかのついた概念など、ここには豪もありません。
あるものは、ピュアな魂そのものがここにアートとして凝縮している濃密な風景でした。

見ているぼくの脳裏には様々なイメージが明滅しました。


祈りと呪詛、彼方から迫りくる記憶


同時に起こる崩落と構築


凶暴な生き物の影


秩序への拘りとchaosからの応戦


謳う風のようなユーモア、言葉の解体と再生


生成する曼荼羅

謎の開示とその拡散、反復する記号


色の祝祭と闇の葬祭、熔解する自然と人工



忘却された遥かな過去から透過する微細な光


これらの作品の前に佇むと、「存在するもの」が「ある」ということが、これらの作品たちから喚起され、生命の原初的なenergyを感じて震えるしかありません。


帰りに、当美術館常設の、ジャコモ・マンズーの大好きな彫刻、《枢機卿》をじ~っと見て、その古典主義と表現主義が微妙にバランスした世界で、少し頭を「調整」したほどその印象は強いものでした。


ぜひ期間中に、もう一度見に行きたいと思っています。


5月15日(日)までやっています。

ここはJR京浜東北線の北浦和駅から5分ほど。


お近くの方は、ぜひ行ってご覧になってみて下さい。


きっと、人生に大切なものが一つ加わると思います。





この娘に夢中。。。



大好きなヒラリー・ハーンです。

コルンゴルトのバイオリンコンチェルトのファイナル。
素晴らしいですね!!!

最近この娘のバイオリンに夢中なのです。

彼女は、シェーンベルクのようなややこしいものも実に優れているし、バッハやモーツアルトも絶品。
何よりも音楽的アプローチの深さが確かで好感が持てます。
彼女はあれほどの才能がありながらも、大変な勉強家のようですね。

初めて彼女のシャコンヌを聴いた時は、しばらくそれ以外の音楽を聴けなくなっちゃったほどでしたね。
彼女が17歳でソニーに録音した初めてのアルバムなのに、ため息が出るほどのその完成度。

最初のフレーズで、いきなり電気に撃たれました。
彼女の音楽からは、泉が滾々と湧きだし、そこに透明な光が降り注ぐ天国のような清冽さを感じるんですね。

このコルンゴルトもそうですが、彼女の演奏はよく“楷書”と言われます。
真面目さと誠実さ、音楽に対する謙虚さがヒシヒシと迫ってくる。

大向こうを唸らせる極めつけのテクニックを持っているのに、深い音楽的解釈への志向性が強いためか、彼女の演奏を聴くと、いつも何か“襟を正す”ような気持ちになります。

同じくYouTubeでアンネ・ゾフィー・ムターがコルンゴルトの同じところを演っています。これがまたもの凄いんですが。。。
これと比べても、ヒラリー・ハーンの個性はよくわかりますね。

ムターの凄まじいまでの歌い上げの力は圧倒的です!
彼女は本当に偉大なバイオリニストだと思います。

しかし、ぼくはムターのそのあまりの。。。何というか、“手練手管”の凄さに、気持ちを全て没入できないところがほんのちょっぴり残るのです。

やっぱり、ピュアな娘の方が安心して夢中になれるのかな。。。