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Douglas Purvianceさんのトークショー

素晴らしいイベントに、CBCとして協賛しましたのでそのことを少し。


去る10月26日(金)に東京国際フォーラムで、偉大なるビッグバンド、「VJO」のリーダーであるDouglas Purvianceさんのトークショーが行われました。https://www.billboard-live.com/membersarea/bblforum.html


Vanguard Jazz OrchestraVJO)とは、1966年にサド・ジョーンズとメル・ルイスによりニューヨークで結成されたサド・ジョーンズ=メル・ルイス・ジャズ・オーケストラ(サドメル)の現在の名称。  


創設者の意思を継ぎ、44年の長きに亘ってその遺産を継承・発展させてきた、あまりにも偉大なビッグバンドです。(昨年は第50回グラミー賞「ラージジャズアンサンブル賞」を受賞)


今回の日本ツアーを前に行われたこのトークショーに、光栄にも弊社として協賛させて頂きました。さらに主催者であるBillboard社さんの月報や、イベントの告知媒体に、なんと拙文を掲載して頂いたのです。


許可を頂戴した上で下記転載致します。


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キャリアとは人の“創造”と“変革”の軌跡だ、と、最近私は考えています。たくさんの方のキャリア構築に関わる立場から、キャリアは「仕事」のみでなく「人生そのもの」との感を深めているのです。



不確定で流動的、変化の連続が「常態」になっている私たちの現在。こんな今をサバイブするポイントは、気まぐれな変化を捉え、むしろ自らを変化させるためのきっかけに切り替えられる「しなやかさ」なのではないかと日々感じています。


変化の連続・・・Jazzにとてもよく似ていますね。特にBig Band Jazzは、個と全体の相互作用が即興を織り込みながら瞬間に統合する“創発性”の音楽。Jazzも人生も、不確実性の海へのリスクを恐れない航海、といえるかもしれません。


今回のイベントは、偉大なるBig Band 「VJO」のリーダーであるDouglas Purvianceの軌跡を、彼の“生の言葉”を通して垣間見ることができる貴重な機会です。


“奇跡”と表現されるほどの達成の陰に、どんな思いが凝縮していたのか?いかなる経験が、かくも豊かで暖かな人間性を磨いたのか?Douglasとの出会いは、未知の海へと航海する若き皆さんにとって、またとない大きな知恵と勇気の源泉になることでしょう。

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当日の会場は満席。

Douglasさんのトークは、暖かく深く、その重厚なバストロンボーンの音色のように心に残るものでした。


司会の跡部 徹さんは、「株式会社空気読み」という、メディアプロデュースの会社を経営する若き俊英です。彼の巧みな司会によって、Douglasさんから宝物のような多くの言葉が引き出され、感動の連続でした。


一か所だけ紹介しますと。。。


「キャリアを考える際に、一番聞かなければならないのは自分の心です。親や教師もいるかもしれませんが…」


「自分の心の声を聞く」

とてもシンプルな言葉でしたが、驚くほど直截的に心に響きました。

私も仕事柄キャリアについて、長年考えて来ましたし、様々な人たちにアドバイスもしてきました。でも、これだけスッと心に入る表現をすることは、正直とてもできないと感じました。


その他にもたくさんありますが、当日の内容は、跡部さんが彼のブログでまとめてくれていますので、ぜひお読み下さい。

http://kuuki-yomi.blogspot.com/2010/10/douglas-purviance.html
ほれぼれするほど見事にまとまっています。

そして、VJOの素晴らしい公演はこちらです。

http://www.billboard-live.com/pg/shop/show/index.php?mode=detail1&event=7413&shop=1


偉大な44年の歩みを眼前に!


きっと人生に、新しくかけがえのない宝物が付け加わることでしょう。





秋の月


CBC代表取締役 堀太郎のブログ

「秋の月」について、ちょっと思い出したことに関連して書きたいと思います。

父が64歳で亡くなった時、ぼくは30歳でした。

父は対人関係や自己表現に問題のある人で、ぼく自身尊敬の念を持ったことはありませんし、好きだと思ったこともありません。

「シニカルで子供っぽい人だな」
「短気ですぐに感情的になる弱い人だな」

「こうは絶対になるまい」などと、子供ながら批判の対象でした。

告別式で叔父が、「兄は短気な性格で、偏屈で内弁慶な人でした。皆さんにもさぞご迷惑をかけたであろうことをお詫びします」と挨拶した時も、驚くよりも「なるほど叔父さんたちも相当苦労したんだろうなぁ…」と変に納得したことを覚えています。

亡くなった時、悲しさも寂しさも何も感じず、当時の会社の仲間とも葬儀の最中、いつもと同じ冗談で盛り上がっていたほどです。

しかし、しかし不思議ですね。
葬儀のあと半年ほど経ったある日、一人でいる時に突然表現しがたい悲しみが襲ってきたのです。父の闘病中の姿が脳裏に浮かび、とめどなく涙が流れました。

父の闘病中なにもしてやれなかったなぁ。弟は毎日のように病室に泊まりこんで面倒を見ていたけど、おれは1回しか泊まっていなかったしなぁ。などと脈絡もなく、ぐるぐる頭の中で想いが塊になって、ただただ繰り返され渦巻いているような状態でした。

それまで何も感じなかったのがウソのように、悲しくて悲しくて、「心の中が空っぽになる」というのが本当にあるということを知りました。

それ以来、人の中にいる時は全く忘れていても、一人になるとまた悲しみがこみ上げ、父のことを思いつめて涙を流す、という日々が1ヶ月くらい続きました。
別に父が好きになったと言うわけではないし、父に対する評価の中身は変わっていないのですが、ともかく訳のわからない悲しみと、どうにもならない悔恨のようなものが襲ってきて、それに抵抗できないということがしばらく続いたのです。


そんなある日、
妻がぼくの後頭部を見て大爆笑したのです。

「ハゲてるぅぅぅ!!!!」

円形脱毛症です。

夫の不幸を眼前にして、あろうことか妻の笑いはしばらくとまりません。
楽観的なのはいいかもしれないけど、ちょっとそれはないだろう。。。

あまりにも父のことを思いつめたためのストレスでしょう。
500円玉大のハゲが突然後頭部にできていました。

悲しみの発作は1ヶ月くらいで自然に去りましたが、それ以来3年か4年に1回くらいの割合で、全く同じ位置に円形ハゲが出現する、ということになってしまったのです。
それができるのはいつも春先です。

春は自律神経系の病が起こるとよく言われますが、その後20数年に亘り、いつもハゲは春先にやってきます。
そして、夏には少しづつ事態が改善し、秋には完治するというリズムが繰り返されます。初めのころは病院に行きましたが、今は面倒になってしまい全く行きません。


しかし、みっともないですし、正直かなり気になるものです。

しかたないので妻に時々確認してもらいます。
(こんなの妻以外に頼めません)


ぼく・・・「どう、見える?」

妻・・・・「丸見え。。ははは」

  少し後頭部の髪をかき集めて

ぼく・・・「これでどうだ?」

妻・・・・「おぼろ月だね」

  さらに必死に髪をかき集めて

ぼく・・・「これではどうだぁ?!?!?」

妻・・・「三日月だね。。。(苦笑)」


そんなわけで、ぼくはストレスにけっこう弱い人間なのですね。

よくストレスが胃に来るという人がいますが、ぼくはまずめったに胃にはきません。
(胃が痛んだなんていうのは、東京国際フォーラムで大野えりに突然会った時くらいです)

そして、先月ですがしばらくなかった円形脱毛症が、突然出現したのです。
いつもなら治る時期の10月に、なぜか突然後頭部におぼろ月が。。。

  ・・・・「秋の月」です。


妻はとっても優しい性格なので、
「黒のマジックで塗りつぶしてやろーか?そしたら、ぜんぜんハゲに見えないぞ」といつも言ってくれます。
でも皮膚呼吸ができなくなり、さらに最悪の事態になりそうなので、その都度丁重に断わっています。

春には何とか治って欲しいですね。

そして、「おしゃれな場所」に、妻には内緒で「おしゃれな女性」とでもご飯を食べに行きたい、なんて思いますね♪「ちょい悪おやじ」風に(笑)

なにせ今は「ちょいハゲおやじ」ですからね(泣)


閑話休題(それはさておき)

ぼく自身、亡き父の年齢に少しづつ近づきつつある昨今、好きになれなかった父の偏屈な性格も、体型もどんどん似てきている、とよく妻に言われ愕然とします。
(同じAB型であることも問題なのですが)


①シニカルで子供っぽい人
②すぐに感情的になる弱い人

う~ん。
やっぱ似てるかもげっそり


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(mixiより転載)




「充たされざる者」 カズオイシグロ


CBC代表取締役 堀太郎のブログ

3連休を利用してカズオ・イシグロの「充たされざる者」を一気に読みました。900ページ以上あって疲れるかと思いきや、読み始めたらあっという間でした。

ブッカー賞で有名な「日の名残り」も優れていると思うし、世界的なベストセラーになっている「私を離さないで」も“やばい”ほど凄い小説でした。しかし、ぼくにはこの作品の方がはるかに面白く印象が強かったので、日記にすることにしました。

思わずAmazonのカスタマレビューに投稿しちゃったので、それをここに貼り付けることにします。

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「充たされざる者」

…光と影の絵巻
カズオ・イシグロの初心者として、3冊目のこれを読了し、今その面白さと美しさに“圧倒”されている。
著名なピアニスト、ライダーの行く手に、人の心そのものと、人の縺れた関わりの間にある迷路が次々にたち現れる。出口を失っては彷徨い、また道を発見したかと思うと、さらに新たな迷路に迷い込む。
物語はcaricature仕立てで、曲りくねった心象の連鎖が延々と執拗に辿られるにもかかわらず、その心象が投影される不思議な建築や空間の描写の美しさには意表を衝かれる。
現代音楽のマレリー、カザン、ヤマナカなど架空の作曲家がたびたび登場するが、カリカチュアライズされているにも関らず、不思議にそのゴシック的空間の中から、“垂直性”の透明かつ不協和な音がリアルに聴こえてくるから不思議だ。

・・・いつかこの続編をぜひとも読んでみたい。
深い心の迷宮と東欧風の風景が交錯するシックな闇と、精緻に彫りこまれた建築空間の内部に響き渡る、光のようなカザンのカデンツアを聴いてみたい。

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最後の“カザン”っていうのはイシグロの創作した現代音楽作曲家で“垂直性”は彼の作品。これはある意味否定的にも描かれているんだけど、なぜかその音楽のマテリアルを想像してしまうんですよね。

かなり好き嫌いのある小説かもしれませんが、ここにある心の迷宮と交錯する絵画的な世界は凄く好きになりました。

同時代を生きる、イシグロの小説をしばらくじっくり読んでみたいと思います。


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(mixiより転載)