GQの羽生結弦特集について。
写真は吸い寄せられるままに感想を書き散らした。
次は記事の方だな。がっちり感想書きます。
まず打ち合わせして、自前のコレクションから曲を選定して音楽を流して、その場で舞うって。その情景を思い浮かべると驚きしかない。
私はモデル撮影のことはわからないけど、撮影ってそういうもの多いのか?昨年のエルのときも舞ってたけど。
羽生さんが舞うだけで、その場は「誰も踏み込むことのできない空間に変わっていたーー」ってつくづくすごい。
まさしく、空間を支配する。
それは氷の上だけじゃなく、撮影スタジオでも変わらないのか。
上を見て、と言われて。
そこのライティングを「太陽みたい」といい、さらに「天国からの光」と言う。
この感性は美しいな。
きっといつだって自然とか森羅万象と共にあるのかもしれない。
だから大きな柄のジャケットで森の中に立っても、森の木々に包まれているみたいだったもの。
そして「祈り」
そのイメージを増幅させる坂本教授のピアノ。
こんな撮影風景を、スタッフはどんなふうに見てたんだろうね。
「自分が表現したい世界や、フィギュアスケートが持つアーティスト性とアスリート性は変わっていない」
羽生選手の競技時代のプログラムはアーティスト性に満ちていた。
その動きは音楽と同化し、体は音楽を奏で、演技の流れや感情の発露はストーリーだった。
だからこそ、世界中のスケートファンは羽生の演技にだけ熱狂したんだ。
プロとしてアイスショーをしているのに、アスリート性で見るものをヒリヒリさせる。
競技時代と変わらない高難度ジャンプ、それ以上の研ぎ澄まされた技術。
プロスケートの概念をぶち壊す、それがアスリート性だろう。
だから競技をしていても、ショーをしていても、羽生結弦のスケートそのものは変わらないのだと思う。
ルールを取っ払う。
どんだけ縛られてたんだよ。RE_PRAYの中でも語ってたもの。ルールのない世界。真っ暗で。でも自由なのだ。
アイスストーリーは物語を作って言葉も考えてそれを伝える映像まで作らないと。誰もやったことのないエンターテインメント。
より深く、さらに広く。羽生さんの思考は深化していく。
一番うれしかったのは、
「さまざまな感想が飛び交い、いろいろに考察され、人それぞれ解釈していると実感できる」
ことを楽しいと言ってくれたこと。
感想、考察、解釈!まさに我々が必死でやっていることではないか。
演技の録画にかじりつき、ゲームがわからないといってはゲーマーさんたちの解説を読み、必死で考えて書いて発信してきた。それを知ってくれてる。みんなで勝手に解釈して思考が暴走していくのすら喜んでくれてる。
こんなうれしいことってない。
私たちは羽生さんの道を共有し、いっしょに歩いているんだね。感激だ。
「競技時代から、試合は楽しむものではないとずっと思っていて、それは自分の哲学として絶対に揺るがない」
よくいるよね、オリンピックとかで楽しんできますっていうの。
え、あなたソチで言ってたんでは?楽しもうって?(無理やり言ってたのかもしれない…)そういうのを経て、哲学ができあがっていったのかな。
失敗したら崖から落ちるような緊張感だって?なんというM… でもいつも羽生さんの演技に感じていた切迫したヒリヒリ感は正しかったのか。私も見ながらいっしょに羽生さんのMを共有してたんかい。
観る人が喜んでくれることが喜びで幸福。でいいじゃんと思うけど、それを味わい続けてしまうと、中身のない嘘の言葉嘘の世界観になるとーーどういうこと?
売れるようにヒットするように、その方向を研究して担当さんに言われるままに需要に応じた物語を作りすぎると、本来の自分の世界観と乖離する、とか… 発想がマンガに寄りすぎる。でもこれなら私も少し理解できるかな。
喜びとか楽しみをセーブして、自分を俯瞰するように冷静に内面を観察しないと、自分の世界観にこだわった創作物にならない。ものを創る人ものをかく人がみな肝に命じるべきことなのかもしれない。
そして表現するうえで「語彙力」がないとおっしゃる。はああ?
あなたに語彙力がないと、我々はどうしろと?実際の言葉でも身体表現にしても、羽生さんほどに語彙力豊かな人はいないと思っているのに。
身体表現も技術。徹底した基礎にもとづく技術を正しく使う表現が芸術なんだよね。
プロのダンサーやバレリーナと同じようには踊れないから技術を学んで、とことん勉強して、氷上でできたら唯一無二の存在ーーーいや、もうなってると思うんだが… その向上心はとどまるところを知らない。
そもそも私がダンスやバレエじゃなくてフィギュアスケートを見てきたのはなぜだと思うの?
滑るからだよ。氷の上をすごいスピードで滑って移動しながら、演技するのを見る爽快感が好きなの。ステージでのダンスやバレエにあのスピードと躍動感はありえないもの。
滑って跳ぶだけじゃ芸術にならない。でも羽生さんは滑りながらでも踊って音楽をとってすべてを表現しているのだ。
本人は向上心の塊でまだまだ進化しようとしているけど、私にとっては唯一無二の表現者だ。
「氷上は僕にとって”母国語”」
名言きましたーーー!
そこから離れてしまうと羽生結弦ではなくなる。心の底からの自分を表現できる場所。
それはグッチのアンバサダーになっても、こうしてモデル仕事してても、報道番組でメッセンジャーの仕事してても、どんな仕事をしても根っこはスケートなんだよね。
これまでも何回も言ってる。フィギュアスケートのための活動をしていくって。うん、信じてるよ。
「あと30年間」
またすごいワードが。30年この調子で取り組んで研鑽を積んでいたら、その年にしかできないフィギュアスケートをしてくれるのか。
羽生さん、これからも”自分で”滑り続けるつもりなんだ。
羽生さんが、いつ終わってもいい覚悟で、今の最高の羽生結弦のスケートを残すために、命を削るように活動してることはわかってる。
まずプロローグとGIFTが円盤になる。いずれRE_PRAYもなると信じてる。この最高の作品が未来に遺る。これはレガシーだ。
それとは別に、年齢に応じた熟成された究極のスケートが見られるようになるのかもしれない。
問題は、私がそこまで生きてられないよなあ。
でも私が生きている最後の最後まで、羽生さんのスケートを見ていられるってことじゃない?こんな幸せなことってないわ。
充実したお話でした。
今回も羽生さんの言葉にかじりついて、考察して解釈して感想を書かせてもらいました。
羽生さんにお墨付きをもらった気分です。
それを羽生さんが楽しんでくれるというのなら、一生懸命考えて自分の言葉で綴っていきたいと思います。
羽生さんといっしょに、羽生さんの見せてくれる道を歩いていきたい。
長生きしよう!