運命、哀しみ、鎮魂、浄化、祈り。私を満たしたRE_PRAYの物語 | ほりきりのブログ

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 RE_PRAY最終公演が終わって、ツアー完走おめでとうムードがすばらしい。
 でも私には13日のディレイビューイングが千秋楽だから。それまでCSの録画も我慢。(勝手になんの拷問?)
 
 それまでに自分が見てきた宮城公演初日の感想を書かねば。
 9日で沸いてるところ空気読まずに7日、続きます。



 第1部の感想の中で、ホープ&レガシーを入れなかった。忘れたわけではない。なんとなく、前半より後半の演技と共に語りたい気分だったのだ。


 前半のPLAYの部分は、バトルバトルバトルで決意の戦いが続く。
 ここに破壊神阿修羅ちゃんはいかにもぴったりはまる。
 しかし、森羅万象のホプレガはどこか異質だ。
 
 5つか1つ。5つを選ぶとホプレガが出てくる。
 1つを犠牲にして多くを救うという精神の象徴が大自然森羅万象につながるのかな。
(一方、多数を犠牲にしてただ一人で戦う決意が阿修羅ちゃんだ)

 でもそのストーリーとは別に、大自然の象徴を見ていたら、私の中に別のストーリーがはいりこんできた。そしてそれがそのまま第2部のPRAYのストーリーにつながっていく。

 太陽と月。氷の上は水。緑の衣装の羽生さんは森を渡る風。
 このプログラムは自然そのものだ。
 美しい。美しくて怖いね。胸が締めつけられる。涙が出るよ。なんでだ。

 自然は美しいしやさしいけど、ときに厳しくも怖ろしくもなる。その最たるものが自然災害だろう。つい先だっての能登半島地震。そして、東日本大震災。
 人間の力ではどうにもならない巨大な力。抗いようのない運命。
 水や風だけじゃない、あの大きな太陽と月は、その巨大な力を感じさせる。
 その自然のすべてをあらわすホプレガが、このグランディの地で演じられた。
 このことで、どうやら私に勝手にスイッチが入ってしまったようだ。



 その後の怒涛の展開で、完璧なクジャさまで、 前半の意識はぶっ飛んで昇華されてしまった。
 しかし、後半に入ると、ホプレガで入ったスイッチが改めて作動する。
 PRAYの第2部は、私の中で今までと違うストーリーが渦巻いていった。



 東日本大震災。
 羽生さんは若い頃からその象徴にされてしまって、やがてしっかり自覚して使命を持って、今に至る。

 でも私は、羽生さんにのめり込む前から、東北にシンパシーを持っていた。
 2010年の夏だ(その前から結弦くんを知ってはいたけど落ちるのはこの年の秋なので)。震災の2011年がすべての基準になるため、いろんな年が覚えやすくなってしまった。初めて自分で意識して東北に行った。岩手だった。
 事前にたくさん勉強してから平泉と盛岡に行って、ひとりで歩いて泊まって、ビビっとなってしまった。理屈じゃない。(今もそばっちを連れ歩く私の岩手愛は健在)
 私の前世(先祖は違うと思う)は蝦夷だ~~~!と妄想してしまう、歴史オタの変態だった。
 その半年後に大震災。
 東北を応援することは私の運命だ!変態の妄想は果てしない。

 ええい、妄想全開!
 羽生さんはそれぞれの物語を感じればいいと言ってくれている。
 私が受け取った、私だけのRE_PRAYを語ろう。



 後半の最初は、いつか終わる夢RE。
 オリジナルは青い若者のキリキリした孤独を辿っていたと思う。
 このREはそこから、前を向いた外に広がった世界に思えていた。


 でも、あの震災を越えた時空だとすると。
 あのピンクに広がる輪が、なにかこの世ならぬ空間に見えてきた。
 ではあの少しだけ救いの見える言葉たちが降ってくるのは?痛みと苦しみとそれが消え去った世界か?
 最後、今まではただ上に向かって終わっていたと思うけどちょっと違う?完全に氷に伏して、そこからすくい上げるようにして、天に捧げ持っていた振付に見えた。


 いつか終わる夢…… 夢の終わった世界だったのか?途切れた夢の欠片をすくい寄せて、上にあげる。
 ゾクッとした。



 この場所で、グランディで、天と地のレクイエムを演じる日がこようとは。
 まんま東日本大震災鎮魂のプログラムだ。


 最初は15ー16シーズンのエキシビションに使われていたから、ええ、もう9年も前か。あの頃は自分の傷をさらけ出してかさぶた引っぺがして苦しみを叩きつけるように滑っていた。(当時は引きずられそうでまっすぐ見ることはできなかった)

 

 あれから初めて、このRE_PRAYツアーの中で演じるようになって復活したんだけど。月日はやさしく流れているのだな、あの頃の叩きつける感じはないな、と少し安心して見ていたのだ。
 でもここはグランディだから。特別な場所だから。体中に苦しみを取り込んで、苦しみと同化するような滑りだった。


 上から下りてくる無数のランタン。あたたかいオレンジ色。灯りといっしょに寄り添ってくる無数の魂。
 氷の上にオレンジ色の四角。その四角の中に入って舞う。オレンジ色の魂の中に入って共に舞う。スピンで回りながら、上にあげる。 
 最後のピアノの音と共に、ランタンは白に変わる。あ、あがったんだ。


 同化して、鎮魂して、昇華する。
 これはまさに巫子の舞だ。



 レクイエムで完全に情緒がぐるぐるになっているところに、あの夏へがくる。
 水だ。あふれる水。押し寄せる波。あっちへ、こっちへ、水が流れ寄せる。津波のような大きな波もある。
 まるであのときの狂暴な水の描写かしら。いや、ものすごく静謐だ。


 ハクさまはどこまでも静かで、どこまでも美しく、流れる水と共にリンクのあっちまでこっちまで、スクリーンの向こうまで、きれいに洗い流していく。
 水はやさしいんだよ。傷ついた大地に、疲弊した心に、澄んだやさしい水が満たされていく。


 私みたいにいきったよそ者も、この水に触れてもいいのかしらね。

 白い龍神さまと共に、平穏と幸せを祈ろう。



 祈る。祈り続ける。
 龍神さまの降らせたやさしい雨があがって、一面に水が広がって、世界に光が満ちる。
 そこに、光の世界を割って、春ちゃんが現れるって、泣くっしょ。


 光を呼び、花を開かせ、春よ来い。


 ほら、宮城の桜、みんな満開になっちゃったよ、どんな魔法?この桜の季節にこのタイミングで春ちゃんて、まるで奇跡。



 終わってしまった夢。
 体中で苦しみを取り込みながら鎮魂するレクイエム。
 水で洗い流して浄化するハクさま。
 祈り、癒し、幸せを満たす春ちゃん。

 この完璧な流れに、身体が震えて涙が流れて胸がいっぱいになってしまった。



 これはもう、一貫した鎮魂と浄化の儀式だよ。


 つい先月仲間たちとノッテステラータをやったばかりだけど。あれは昨年悲しみに全面的に寄り添って、今年前を向いて希望を届けるという2年構えの儀式になっていた感じだ。でもこのRE_PRAYの後半では、羽生さんひとりで全部やってしまった気がする。
 仲間たちといっしょだったノッテステラータはあれはあれで希望に満ちていたけど、ここでは羽生さんがひとりで行う儀式だからより純度が高いみたいだ。


 2年続けたノッテステラータを経て、このRE_PRAYで、鎮魂と浄化が完成したと思える。
 羽生さん、ここで、グランディで、このプログラムたちを演じられて本当によかったね。



 東北には大昔、奥州藤原氏が君臨していた。
 平泉に王国を立てて東北を治め中尊寺を作った初代藤原清衡は、戦で父も母も妻も子も弟も失った。その悲しみから、この戦で命を落とした味方も敵も獣も鳥も虫もすべてのものが等しく成仏できるようにとの願文を中尊寺に収めたのだ。最高権力者がこの発想をするということに私は驚いた。東北とはそういう歴史を持つ地だ。
 だから繰り返される選択と戦いのPLAYが、やがて癒しと祈りのPRAYに変わっていく流れは、必然なのかもしれない。
 この東北の地だからこそ、それを実感できる。



 急遽決まった、イレギュラーだったはずの宮城公演。
 でもこの地で演じられるからこそ、完成した物語もあると思う。
 すごいな、横浜で終わってたら、この感覚にはならなかった。
 そしてホプレガだったから、この流れにスイッチがはいった。阿修羅ちゃんだらきっとまた違う感覚だったと思う。
 してみると、私が1日しか見られない運命だとしたら、ホプレガの初日でよかったのだ。そういうふうになっていたんだ。

 運命、哀しみ、鎮魂、浄化、祈り。

 勝手に東北を応援し、勝手にシンパシーで情緒が振り回されていた私にとって、RE_PRAYとはそういう物語になりました。



 自分語りからのさらに勝手な超解釈のRE_PRAYですいません。
 でも羽生さんは見るものを映す鏡。
 東北を応援してきたのは私の勝手な想い。清められて癒されたのは私の方かもしれない。
 羽生さんを通して、東北への想いを通して、この物語を想像することができたことは、私自身への救いにもなりました。


 羽生さん、このすばらしいアイスストーリーを創ってくれて、見せてくれて、ありがとうございます。
 私はRE_PRAYの物語が本当に大好きです。



(七北田川で白い鳥に会いました)