あの子とこの子といっしょに訪れた徹子さんのお部屋 ~ テラサな感想 | ほりきりのブログ

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鉄道の旅とスポーツが好きです

 やっとテラサ見ました。遅い?でも出遅れてもそっから2週間だから。

 たっぷり堪能しました。
 地上波が削りすぎなのか。いやたくさんお話がありすぎて時間に収めるのか大変だったんだと思う。(そこはNHKのクラシックTVのスタッフさんと同じ苦労でしょう)
 削らなければならなかった部分をお蔵入りにするのではなく、配信ででも公開できる時代のありがたさ。見せてくれるテレビ局のありがたさに感謝します。

 いくら2週間無料で見せてもらおうったって(ちゃんと解約できるかな)一応有料配信であるので、あまり内容について具体的には、書いちゃいけない、んだよね?
 ということで、なんとなくの感想から少し(大きく?)広げてみる。



 たぶん一番重要であろう、リンク問題の部分の多くが未公開になっていた。


 もちろん尺の問題からなんだけど、ちゃんとさわりの部分で羽生が希望していることは見せているので。
 あとはもっと込み入った部分で、どうしてもいずれお金がからまずにはおれない事柄であるから、一般の人に見せるにはここはいいか、となったのは理解できる。
 リンクは建てればいいってもんじゃなくて、維持管理にお金がかかるからこそ、羽生自身も何度かリンク難民になったわけだから。スケートリンクはお金がかかる。尺のために編集しないとなったときに、そういう生々しくめんどくさい部分から先に削らさるのはありえることだと思うのだ。


 一方で、お金も絡む部分だからこそ、地上波で広く一般に見てもらうこともいいことだと思うけどな。だって誰が見ていてどこでひっかかるかわからないじゃないか。
 ファンにどこまでのことができるのかわからないけど、何かできることがあれば協力したいな、と願う。
 リンク問題はのくらいで。



 あと真実先生に対しての言葉は、「ひどい」映像を見せた埋め合わせに、後日札幌まで直で持っていってあげてください。
 大人になればいつも感謝は示していたと思うし、今もちゃんと分かり合えてる師弟だとは思うけど。ああいう言葉を自分にかけてもらえたら、私なら感激しちゃうもん。
 最初の先生の最初の指導がいかに大切であるか。高度な技術において基礎がどれだけ大切であるか。それを証明しているのが28歳にして今が一番うまい羽生結弦だと思うよ。



 じゃあ一番あたりさわりのないところから話を広げてみたい。もう、徹子の部屋から逸脱してしまうかもしれないけど。
 衣装の話だ。

 

 歴代の衣装を持ち込んで後ろに並べてある。まるで羽生結弦展。

 草競馬、パリの散歩道青、SEIMEI、火の鳥(GIFT版)

 いずれも羽生のキャリアにおいての重要なポイントにあった衣装である。 


 その衣装についてひとつひとつ丁寧に徹子さんに説明していた部分て、全部は流れてないよね。GIFTの舞台裏も含めて(めっちゃお疲れさまです!)それぞれの衣装の特性を語ったりしていたけれど。
 そこで羽生がいちいち「この子は」といって説明していたのが耳に残ってる。

 それぞれの子たちを、どういう場面のプログラムか、どういった思い入れのある衣装かを徹子さんにていねいに説明する羽生の声色はとてもやさしい。
 この子たちみんなに寄せる愛情が感じられる。すごく、かわいくもほほえましい。

 でも普段から羽生の物言いに触れ羽生の人柄になじみのない人には、この「子」連発には、はあ?となりそう。だからこそ「本妻プー」のトレンド入りにもびっくりするわけだろう。
 でも徹子さんは「この子っておっしゃるのね」とか返さない。あるがまま受け入れる包容力を感じる。


 羽生は衣装の他に、プログラムもこの子だよね。(プーにいたっては「おまえ」扱いだ)
 あの四大陸でバラ1とSEIMEIを召喚したときも、もう一度この子たちの力を借りるという言い方をした。

 羽生はまわりのいろんなものを擬人化するというよりは、魂があるもの、として接しているみたいにみえる。

 
 プログラムと衣装、ともに「この子」ということはどういうことか。
 プログラムとは音楽と振り付けと衣装、三位一体となって、羽生の中でひとつのものとなって具現化される。衣装はそれほど重要なものなのだ。そこはISUのなんちゃらアワードの衣装部門のノミネートのときにも語っていたよな。「これがユヅルである」ってやつよ。

 だから我々ファンが、それぞれの衣装を身につけたときの羽生に対して、そのプログラムの名前に敬称をつけたり愛称として呼ぶのはきっとおかしくないのだ。
 黒パリくんと青パリくん、ダムパリちゃん、SEIMEIさま、オリジンさま、春ちゃん、レミ兄さん、天地さま、ハクさま… 阿修羅ちゃんは曲名まんまだけれど。


 羽生は音楽からその精神をおろして演技する。だからその衣装を着て舞う羽生は、それぞれに別個のキャラクターとして確立されていると思うのだ。

 ファンはそう認識して○○さまに会いたいみたいな言い方をする。

 個々のキャラクターとしての確立は、プログラムに対する強い思い入れにつながる。

 それはプログラムにおける音楽と衣装が完全に結びついているからだろう。


 衣装にそこまでのこだわりを感じさせるスケーターが他にいるだろうか。
 どの音楽でも同じような衣装で滑るスケーターでは、曲名を聞かなければどのプログラムかわからない。
 音楽を変えていないのにシーズン中に衣装をとっかえひっかえするスケーターでは曲と衣装のイメージが定着しない。
 まして衣装のデザインをイメージしたグッズや、キューピーさん人形が成立するわけがない。

 
 羽生は過去プロをとても大事にしている。練習でも過去プロおさらいするって言っていた。
 ワンマンショーでは時代の変遷とともにいっしょに歩んできたであろうプログラムたちをたくさん見せてくれた。これが見たいというリクエストにも応じる。
 キャラクターになってしまった子ープログラムたちはいつも羽生のそばにいるんだろうなと思った。
 たったひとりのリンクでも、たくさんの子たちがいる。プーさんもいる。(本妻も帰ってきた)
 羽生さんのこと、よろしく頼むね、って手をあわせたくなるばあやであった。



 「この子」だけでここまで脱線してしまった。

 徹子さんのお部屋のやさしい雰囲気が、ゲストの心もやわらかくする。
 徹子さんでなければ話さなかったであろうことまで引き出してくれる。(たぶんリンクにまつわる話だとは思うが)
 いろんなところから素の顔が零れ落ちまくる。
 あの子やその子やこの子に囲まれたスタジオセットもきっとよかったよね。

(授業参観みたいにも見えるぞ)


 徹子さん、改めてありがとうございました。
 テレ朝さん、未公開部分まで全部見せてくれてありがとうございました。

 羽生さんのやさしさが画面いっぱいに、言葉いっぱいにひろがってくれた、とてもいい番組でした。