江戸噺し ② | 彫きぬ雑記帳

彫きぬ雑記帳

山口県山口市の刺青処、日本伝統肌絵芸術の彫きぬこと衣笠新太郎のブログ

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 話しは少し遡ります、、、、、

金太郎が初めて俺に贈り物をしてくれたのは
平成13年の夏

この年は海の記念日が金曜日にあり、
3連休で新幹線のグリーンも混むと思い
俺の誕生日22日は平常どおりに
山口の家で迎えた…と、おれの手帳にもある

その2日後に上京して仕事に入り、
1週間遅れの日曜日に金太郎と顔を合わせた

俺の所は隅田区業平で金の字は江東区亀戸

といっても端と端なので1キロ少々の距離で
事務所のごく近くに、ファミレスがあり
そこでよく待ち合わせをしていた

その時に
金太郎が《松屋》の手提げ袋を差し出して
『せんせい…これ…お誕生日の 』
と手渡してくれた

手提げから、リボン付きの箱を取り出して
『開けていいか?』 『うん』

開けてみると、ドルチェのネクタイで
俺への贈り物だった

これは今でも、一番のお気に入りで
大切に仕舞っている









おれも丁度50になったので
しぶいのを選んでくれたのだろう (^ ^)

金太郎はこの時、高校2年生の17才
お母さんから、バイトを許されてなかったので
与えられた毎月の小遣いを貯めて買ってくれた
まことにありがたい物。。。
喜ぶおれを見て、金太郎も喜んでくれた
   (=´∀`)  ヽ(´▽`)/


俺には、子供の中に女子がいないので
金太郎をなんとなく、娘のように思っていた

彼女は美人でもなく、醜女(ブス)でもない
平凡な顔立ちながら、朗らかな少女
モノマネなんかして、俺を笑わせてくれたが
当時の平成女子とは少し違った印象もあり

眼元が綺麗で
そんな瞳で、ジッと見つめられると
俺もちょっと、気恥ずかしくなるときもある

彼女は、俺のことを『せんせい』と呼ぶが
時に『お父さ… 』と言い間違えるときもあり
言ったあと、慌てて『せんせい』と言い直す

こう言われると、俺には喜しいものだった
《お父さん》
俺をそう思ってくれているのであろうか、、

裏の社会にも通じ、気むずかしい俺も
金太郎から、そう思われていたのなら
益々、わが娘のように感じてしまい
可愛くなってしまうわなぁ、、、、、、、

、、、、、、、  、、、、、、、

、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、

、、、、、、、、、、、、🙄、、、


🐶ん?続きは、どうしなすった???

🐱あの頃の初々しい金太郎ちゃんを思い出し
この先を書きづらくなりなさったのよ

めんぼくない。。。
失敗の記事になってしまった (`・ω・´)💧


このまま終われないので
当時の金太郎と同年代のキャラクター女子
{宮間めさの}さんに昭和12年の懐メロ
(マロニエの木陰)を歌ってもらいます(_ _)

支那事変の始まった年で、当時としては
稀なタンゴ調の曲で、好きな歌です





🐶?メガネ👓???   ん?