「知ったかぶりする人って嫌な感じがするじゃないですか? これってどうしてでしょうかね?」

 

 

 

理由は2つだね。

 

1つはあなたのエゴが反応するから。

 

2つ目は魂が求めている知識じゃないから。

 

 

 

「エゴと魂か…。2つともが理由だってこともあります?」

 

 

 

もともとの理由は1つなの。

 

それは、

 

魂が求めている知識じゃないってこと。

 

エゴは、体験することから得られる

 

知識を喜んだり避けるために

 

あれこれ行動したり

 

悩んだり楽しんだりっていう

 

反応をしてるでしょ?

 

ああでもないこうでもない、

 

あれは嫌だこれは好きなことだってね。

 

ところが一方で、多くの人は

 

エゴの肯定的な働きのことを

 

忘れてしまっているの。

 

忘れているものだから、

 

より多くの物事を知ってるのが

 

良いことだって勘違いしてるのが

 

ほとんどの人の現状なんだよね。

 

そんでもって多くの人が、

 

エゴの働きの悪い側面だけを見聞きしたり

 

注意や関心が向いてしまって

 

それがエゴってものだって勘違いしてるの。

 

YouTubeとかネットで知った知識とか、

 

薄っぺらい知識をたくさん集めて

 

知ったかぶりする人のことが

 

なんだか嫌な気持ちになる背景には

 

こういう事があるからなのさ。

 

 

 

「今の話を聞いてもよくわからないんですけど、それでどうして私は嫌な気持ちになるんですか?」

 

 

 

人の魂が、嫌がることには

 

意味や価値は無いってことを

 

体験するために、

 

意味や価値のないことを

 

エゴの働きを通して増幅させてるんだよ。

 

さもそこに意味や価値が

 

あるかのように体験させてるってこと。

 

エゴは自分を喜ばすようなことを

 

次から次へと体験させるでしょ?

 

 

 

「それを魂が求めているんですか?」

 

 

 

もともと魂はそんな事はわかっていたんだけど、

 

コントラストをはっきりさせたほうが

 

意味や価値がないってことがわかりやすいでしょ?

 

薄っぺらい知識は死ぬときに持っていけないし、

 

意味や価値も持たないでしょ?

 

でも、そのことは

 

この世に生まれてきて

 

体験することで確認できる

 

ってことに価値があるよね?

 

 

 

「どうしてですか? 生まれてくる前はわかってたんでしょう?」

 

 

 

わからないことがあったり

 

間違った判断をするって言う体験をしたかったのさ。

 

あなただって遊園地とかに遊びに行くときには、

 

どんなものだっていうのはわかっているけど、

 

実際に体験してみると楽しいだろう?

 

その楽しみが湧き出てくるところが

 

魂の求めている知識なの。