「私って何でしょうかね?」

 

 

 

おバカさん?

 

 

 

「もうっ、そういうことじゃなくって、私ってどういうものかってことですよ」

 

 

 

私は私だけど。 私の何を知りたいの?

 

 

 

「私って自己とかエゴかなとも思うんですけど、ぽんぽこじゃあ魂だとか存在だって言うじゃないですか? でも、それってすごくわかりづらいですよね?」

 

 

 

まぁわかるものじゃないだろうね。

 

 

 

「わかるものじゃなかったら、どういうものなんですか?」

 

 

 

感じるわけでもないし…、

 

言葉では表現できないんじゃないかなぁ。

 

 

 

「だったらどうしようもないんじゃないですか」

 

 

 

どうしようもないね。

 

世の中には“私”はいないっていう人もいるし、

 

“私”って言うものは存在しない

 

っていう人もいたりするしね。

 

 

 

「師匠は、“私”って何だと思います?」

 

 

 

だからさぁ、

 

言葉では表現できないんだってば。

 

強いて言うなら、

 

頭で考えるようなものじゃないもの。

 

 

 

「ますますわからないんですけど。 私みたいな人にもわかりやすい例え話とかないんですか?」

 

 

 

私はどこにあるかと言うと…そうだなぁ、

 

丹田に私の本体があるとしようか。

 

 

 

「タンデン?」

 

 

 

ヘソの下、指3〜4本くらいのところ。

 

そこにあなたの本体、“私”があるんだとします。

 

その“私”は何か考えたり感じたりしてる?

 

 

 

「お腹の感覚はわかるけど、“私”とかを感じることはできませんけど?」

 

 

 

そうだよね、それで良いの。

 

そこで、イメージをしてみて。

 

あなたがいろいろなことを考えたり、

 

行動する時のエネルギーっていうか、

 

指示を出すところは、その丹田です。

 

あなたが頭でいくら探ってみても、

 

丹田は悩んだり不満を感じる事はないでしょ?

 

 

 

「どちらかと言うと頭の中とか心の中でですかね…」

 

 

 

なかなか良い答えです。

 

それがあなたのエゴだったり

 

身体である脳が作り出してる

 

意識ってやつなの。

 

嫌なことがあったり不安なことがあるときに

 

反応しているのはあなたのエゴや脳でしょ?

 

 

 

「普通そういうものじゃないんですか?」

 

 

 

普通がどうかは知らないけど、

 

腹が立つとか言うじゃん。

 

あるいは、怒り心頭に発するとか。

 

この諺は、

 

怒りはエゴや脳の解釈に由来する

 

ってことを意味してるの。

 

そんでもって、

 

一方ではお腹の中には

 

人の存在を成り立たせている何かが

 

有るんだって信じられてきたんです。

 

それが腹が立つっていう言い回しとか、

 

腹を割って話すっていう考えともつながっているの。

 

 

 

「なんとなく言っている事はわかりますけど、結局“私”っていうのはわからないということですね?」

 

 

 

わかるんだけど、わからない。

 

わからないんだけど、わかる。

 

あるんだけど、ない。

 

ないんだけど、ある。

 

そんなものなの。

 

 

 

「だったら、どうしようもないですね?」

 

 

 

“私”ってものに興味や関心を覚えた人は、

 

“私”の本体は丹田にあると

 

イメージしてみたら

 

“私”ってものがわかるための

 

良い練習になるんじゃない?