(2019.3.2FB再掲載) 

えっとねぇ

 

リハビリというか
 

心のケアのはなし

 

 

 

個人的には大切なことだと
思ってるんだけど

 

心にとって大切なことって


自分(自我)に対して
「私は、今のままでで大丈夫ぅ~♪」
「私は、今のままで良いんだぁ~♪」って
 

本人自らが

体験的に感じてもらうことだと思うわけよ
 
 
 
ただね、この「自分」ってやつ


(自我)は結構くせ者なのよなぁ

 

 

 

そう、「“癖”もの」なのだ
 

 

 

 
なかなか


他人の意見に従おうとはしないし
 

これまでの自分のやり方とか在り方を
否定されるようなことから
上手に逃げようとするんだよねぇ
 

あるときには怒りで

あるときには不安で

あるときには哀しみで

 

あるときには“カァ~”って

あるときには“ドキドキ~ふらふら”って

あるときには“うつうつ”って

 

まぁ、いろんな手を使って来るわけよ

 

 

 

そういう「癖」があるわけだ

 

 

 

 

 

生まれてこのかた

 

自分というものがわからないときから

乳房や手指の存在をわかり

 

“何かがある”ことが

わかってからというものは

その何かとは別の“自分”を知り

 

この関係性の間にある

経験(=行動)から

さらに多くの 自分以外の何かを知り

 

 

と同時時に、自分の内側も同時に

広がり複雑さを増してゆく

 

 

 

そんな中に、

“これされると、なんか苛々する!”

“これすると、なんか圧迫感感じて、嫌な感じ”

“これ起こると、とっても悲しくて、つぶれそう”

っていう、塊というか パタンというか

 

認識の癖みたいなものが

どんどん積み重なっていってる

 

そうこうしているうちに

楽しい経験や嬉しい体験をしても

これらの癖が

うまく解消されないままに

人生の中で持ち越している人がいるわけ

 

 

まぁ、これをトラウマとか 心の傷とか 

いろいろ言い方する場合もあるだろうけど

 

いわゆる体験や経験をとおしたなかから

そこに心理的な認識の不都合さがある人の場合には

 

これを、

“適切に自分でケアできる体験をすること”で

 

かなりの割合でうまくやりすごせるようになるわけ

(心理学的アプローチのこと言ってんじゃないので勘違いしないでね)

 

 

 

(一般的な、こころのケアの仕方のはなしだからね~)

 

 

 

 

なのに 巷じゃ未だに、

 

“根性や気合でなおせ”とか

”やる気がないな!気を引き締めろ!”と精神論言ったり

“人様に迷惑かけたらダメでしょ”とか

“自分を甘やかしたらいけません”とか・・・

 

そんなことを言ったりする人がいるわけだ。

 

 

 

 

あのぉ・・・

 

それ、なんの足しにもなりませんから。

 

 

 

 

 

他人軸の価値観やモノの見方を強制して

いろいろもの言っても

ストレートに響くわけないでしょ?

 

だって、

あなたの人生でも

ご近所の他人様の人生でもなくて

 

 

本人の人生でだし

本人の世界の中で

本人が独自に 経験や体験したことなんだもの

 

 

 

なのでね、

本人の“経験や体験をしたい”っていう思いの中で

実を結んでいけたらいい話なの

 

 

そのときに

 

お手伝いが必要なら

“お付き合いしますよ”っていうのが

心のケアをお仕事にしている人たちの

基本的な態度なのね

 

 

そして本人も、

 

「私は、今のままでで大丈夫ぅ~♪」
「私は、今のままで良いんだぁ~♪」っていう

 

自分自身と “おつきあいしますよ”でいいのです (笑)

 

 

 

 

 

まぁ、細かいことは
そのうち 機会があればまた触れましょ

 

今日のところは
ここいらで、まっいいかです。


 「素敵な大根」

大根に雌雄があるとすれば…

これは、きっとオスの方でしょうなぁ。

 

え? なぜかって?

 

なが~い 人生の中で

 

何だか知らんけど “これはオス”って

考えるように 私の“癖”が 出来てるんです。(笑)

 

 

 

 

これには、ケアの必要は なさそうですね。