父の父。



雅吉おじいちゃんは、なかなか豪快な人だった。



豪快と言うと,ちょっと聞こえは良いが、本当はかなり大変な人だった。



おじいちゃんは、魚屋さんをしていたが、よく料亭で人を呼んで飲み明かし、その度に借金が膨らんだ。



おじいちゃんは、お酒を飲むことの他に走ることも好きで、そして,早かった。



でも、おじいちゃんは、結核にかかってしまった。



それなのに,マラソン大会に出て優勝した。



その日は雨が降っていておじいちゃんは、それがきっかけで亡くなった。



父が2歳のときだった。



父には兄と妹がいて,3人兄弟の真ん中だった。



お金に困ったおばあちゃんは、真ん中の父を養子に出そうとしたが,父が嫌がりその話はなくなった。



魚屋さんをやっていたのはおじいちゃんなので,おばあちゃんは、魚をさばくことすらできなかった。



そんなとき,おじいちゃんが夢に現れて魚のさばき方を教えてくれたので,おばあちゃんは、起きてからやってみると,上手にできた。



そして、魚屋さんを続けることができた。



それでも生活は苦しく,おばあちゃんは、音吉おじいちゃんと再婚した。



音吉おじいちゃんのことはよく覚えている。



あんなに穏やかで優しい人を見たことがない。



音吉おじいちゃんは,大工で、晩年は写真が趣味だったので,わたしの成人式の写真は音吉おじいちゃんが撮ってくれた。




この辺で母のことも少し書いておこう。



母は、7人兄弟の上から2番目で、兄弟の中でただ一人体が弱く,学校にもろくに行けないほどだった。



母は、肝臓が悪かったと言っていたが,多分,胆嚢の痛みだったのだと思う。



小さい頃から激痛に苦しんだ。



両親は忙しかったので、母の看病はもっぱら、おじいちゃんとおばあちゃんだった。



いつもおじいちゃんとおばあちゃんに優しく看病してもらっているので、他の兄弟にやっかまれたそうだが、モルヒネを打ってもらうほどの痛みに母は、いつも耐えていた。




ここで,ようやく父と母の出会いにたどり着く。



簡単に言うと,職場結婚。



二人とも21歳のときだった。



しかし,結婚して間もなく,母は,結核にかかってしまった。



「実家に帰りたい」と言う母に、父は「実家に帰ったら離婚になってしまう。だから、実家に帰ってはいけない。病院もすぐ近くにあるからここで療養しなさい」と言った。



このとき,母の「実家に帰りたい」という願いを、父が聞き入れていたら、わたしは生まれなかったのかもしれない。



続く