「心にポッカリ穴があいている」という言葉を聞く。
今のわたしは心に穴があいていることはない。
心に満ちているものがあり、そこには穴はない。
でも考えてみたら、
と、言うか、思い出した。
わたしは独身のころ、心に大きな穴があいていて、何をやっても幸せを感じられなかった。
もちろん、楽しいことはたくさんあったし、それを楽しむことはできた。
ところが、
それが終わって、ふと我にかえると虚しさが満ちてくる。
自分が恵まれた状況にあることは分かっていた。
家もある。
友だちもいる。
ボーイフレンド(この言い方、かなり古い感じだけど‥)もいた。
なのに、「なんでこんなに満たされないのだろう?」と思っていた。
自分でも分からなかった。
新約聖書マタイ5章3節にはこのように書かれている。
「こころの貧しい人たちは、さいわいである、天国は彼らのものである。」
心が貧しいことは幸いで、しかも天国は彼らのものだと書いてある。
結局のところ、心に大きな大きな穴を抱えていたわたしは、神さまに出会いやっと心満たされた。
随分と簡単に書いているが、
つまり、わたしは心に憂いを抱えていなかったら、幸せに辿り着かなかったと思う。
穴があいていたら、その穴を埋めたい。
少なくともわたしは、心に穴が開いていたからこそ、本当の幸せにたどり着くことができた。
幸せにたどり着いたからと言って、そこで終わりではなく、数々の経験があった。
その経験の中には、試練と呼ばれるようなものもたくさんあった。
苦しかったり、辛かったりはしても、心に穴があいているときに比べればましだった。
どんな試練も乗り越える方法がある。
心の穴はやっかいで、埋める方法が分からなかった。
しかし、
埋まった心は強い。
わたしを満たしているものは、
わたしは神さまから愛されているという、ゆるぎない安心感。
わたしが気づく前から、実は愛されていた。
それに気づいていなかっただけ。
全ての人が
神さまから
愛されている
どんなにダメだと自分で思っていても、
自分の未来をあきらめていても、
罪を犯していても、
それでも、
神さまの愛は
変わらない
神さまは
あきらめない