ケントに診断結果を伝えるにあたって、わたしはファミレスを選んだ。




子どもが4人いるので、できるだけ、一人の子と接する時間を取るようにしてきた。




二人だけでファミレスに行くことはけっこう特別なことだ。




ケントと二人でファミレスで話した。




「ケンちゃんね、アスペルガーとADHD なんだって、

それは障害らしいんだよ。だからね。ケンちゃんが悪かったのでも、ママが悪かったのでもないんだ」




「あー、良かった。

普通の人間でこんなわがままだったら、オレだって困っちまうよ」




「これから二人でなんとかやって行こうね」




ケントはその会話の間も、体のどこかを動かしていたし、目はずっとキョロキョロしていた。




そのとき、ほんとにケントはケントで大変だったのだとしみじみ思った。




わたしは自分の大変さしか思っていなかった。




なんで、わたしはいつもこんな思いをしなくちゃならないんだろう?




でも、ケントも大変だった。




なんだか、このときに、ケントと同志になったような不思議な感覚があった。




一緒に頑張って行こうとそのときのわたしは思った。




余談だが、今はすっかり頑張ることをやめ、ひたすら力を抜くことを心がけている。





そして、家に帰ってから聞いた。




「これは、お医者さんからもらってきた薬なんだけど、

飲む?体が勝手に動いちゃう(不随意運動)のを抑える薬をなんだって」




「飲まない。オレは薬にコントロールされるなんてまっぴらごめんだ」




結局、薬も飲まないので、クリニックにはそれ以降行かなかったが、そのクリニックで「不登校、引きこもり、家庭内暴力」の他にもう一つ言われていたことがあった。




それは「入院」




なので、入院施設のある病院へ行くように勧められていた。




白状すれば、わたしはできることならケントに入院してほしかった。




頑張ろうとか言っていながら、ケントのことで疲れ果て、その生活から逃れられるものなら逃れたいと思っていた。




今、これを書きながら、なんか矛盾していると自分でも思う。




だけど、それが正直な気持ちだった。




そして、都立病院でセカンドオピニオンをとった。




診断はまったく同じだった。




そして、病院見学をケントと一緒にした。




そのときの光景は忘れることができない。




子どもたちはみんなうつろな目をしていた。




中にはよだれを垂らしている子もいた。




ケントは病院にはゲームを持って行けないということも知って、「あんなところに行くなら、オレ、いい子になる」と言った。




実際、以前と比べたらちょっと良くなった。




それに5年生の男の先生のことをケントは大好きだった。




「世界一好きな先生」と言っていた。




後にも先にもケントがそんなふうに言ったのは、この5年生の先生だけだった。




進級してから先生にお会いしたときに、ケントがなんでそんなふうに言うのかよく分かった。




つづく



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メールマガジン会員募集 | ゆるみ☆子育て堀内祐子オフィシャルECサイト|子育て|発達障害|不登校|ADHD|個別カウンセリング|わが家の4人の子どもたちは発達障害に加えてアトピーに喘息、不登校、日々繰り返すこだわり、パニックなどがあり私の子育てはなかなか大変でした。しかし、悪戦苦闘しながらも、本人の意思を尊重することによって彼らはそれぞれたくましく成長しました。彼らとの生活を通して、たくさんの失敗をしながらも、そこから学び、感じてきたことを親バカ全開の子育てをエピソードを交えてたくさ…リンクhome.tsuku2.jp



 

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