4年生の運動会は、みんなでロックソーランを踊る。
この写真はそのときたのものだ。
なかなか良い笑顔をしている。
あんまりリズム感がないので、少々ぎこちないのだが、一所懸命踊っていた。
そういうのを観るだけでうるうるする。
運動会の後、先生はおっしゃった。
「暑いのに、みんな一所懸命踊っていて、もう本当ならわたしは子どもたちにアイスでも食べさせてあげたいんですけどね」
ほんとに近所のおばちゃんみたいにあったかい先生だった。
この頃は、あっちが痛い、こっちが痛いでしょっちゅう病院に行っていたが、もちろんなんでもない。
学校を休みたいわけではない。
昨日載せた連絡帳にも「学校、休みたくないんだけどだなぁ」とひとりごとを言っていると書かれていた。
とにかく、何か少しでも変化があると不安でしょうがないみたいなのだ。
これは5年生の頃の話になるが、変声期で声が少し変わってきたら、「おかしいから病院で診てもらう」と言い続けた。
「変声期と言って、男の子はおとなの声に変わる時期で声が少しづつ変わってくるからみんなそんなふうになるんだよ。ケントだけじゃないよ」と説明しても一切聞かない。
仕方なしに喉を診てもらいに病院に行くことになる。
つまり、病院に行くまで何日も何週間も言い続けるわけだ。
ドクターだって話を聞けば、変声期だなってことなのだが、ケントがどうしてもちゃんと診てほしいと言うので「分かった。ケント君がそんなに気になるならファイバースコープで喉をみてみよう。こういうものを喉に入れて、先にカメラが付いているから喉の様子が分かるんだよ。でも喉にこれを入れるわけだからちょっと苦しいかもね。どうする?」
ケントはなんたって怖がりだ。
ちょっと考えて、「やっぱりやめとく」と言ってこの件に関しては何も言わなくなった。
自閉症スペクトラムの診断を受ける前だったので、このかなりの不安感についてわたしは理解できなかった。
話がさかのぼるが、神戸にいた1年生とか2年生のときはあちこち近所を冒険をして、かなり危ないこともしていたようだ。
ケガも多く、あまりにもひんぱんに病院に行くので、ドクターから、「今度来たら、縫うからな」と脅されたこともあったくらいだ。
不安感もあるが、好奇心と衝動性も持ち合わせているので、周りから見ると理解し難い感じだった。
この理解できない「なんで?」がずっとつきまとっていた。
そんな時、一つのニュースが目に止まった。
小学生の男の子を外の木かなんかに親が縛り付け、その子が亡くなってしまったという痛ましい事件だった。
どうやらその男の子はかなり育てにくい子だったようで、未診断だったがADHD だったのではないかということだった。
20年前のこのとき、わたしはようやくADHD と出会った。
そして、長年思い続けた「なんで?」の答えかもしれないと思うようになった。
つづく
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