A.キャラ性前提の曲ではない
— JENJON (@TM_JEJE) 2017年1月18日
(聴衆は素直に聞ける)
B.キャラ性前提の曲だがキャラ性が作中でも公知
(聴衆も盛り上がれる)
C.キャラ性前提の曲だがキャラ性が作中で公知でない、秘密である
(Pは舞台袖で感動するが聴衆の反応が謎)
このCの謎なんですね
薄荷はCになる方もいるかもしれませんが、自分の場合薄荷はAになると思っています。
そう思う理由を語るためにモバマス世界では加蓮をどんなアイドルとして売り出しているのかを考察する必要があると思います。
あくまでも自分なりの考えですが…
加蓮を語るうえでよくも悪くも外せないのが「病弱」という一面だと思います。
ですがモバマス世界では加蓮の病弱だった過去を前面には出していないと思うのです。
ではどんなアイドルとして売り出そうとしているのでしょうか。
やはり加蓮の持つ圧倒的な「ビジュアル」と「歌唱力」で歌姫として売り出しているのではないかと自分は考えています。
次は薄荷についてです。
薄荷は加蓮自身の歌と考えている方もいるとは思いますが
自分は加蓮とは別の女の子のことを綴った歌だと思っています。
薄荷は加蓮自身の歌だと考えたときに違和感があったのはこのフレーズです。
「神様がくれた時間は零れる」
加蓮にとって「神様」や「運命」といった言葉は
病弱だったときに何かを諦めたり断念したりするときの言い訳や口実、正当化するための言葉だったと思うのです。
なので加蓮が「神様がくれた時間は零れる」というのはしっくりきませんでした。
だから私は薄荷は加蓮とは別の女の子の歌だと思っています。
薄荷は「一歩を踏み出した女の子が幸せな今を噛みしめる歌」そんな風に私は考えています。
モバマス世界でも薄荷はキャラ性前提の曲ではなく
よくある「恋人の幸せな歌」として受け入れられていると自分は考えています。