発達障害を抱えているお子さまを持つお母様方のブログを時々拝見します。
皆さんのご苦労が手に取るようにわかります。
私も現在進行形ですが、しょうがい児だった息子はあっという間に成人し、しょうがい者に。
年齢とともに公的な判定は「重度」に変化。支援区分も「3」から「5」へ。
しょうがい児育児から、かれこれ30年が経とうとしています。
息子は保育園の統合保育枠で入園して、
就学先は悩んだ結果、養護学校へ入学しました。
現在の特別支援教育はもっと手厚いものだと思いますが、
当時は養護学校(今でいう支援学校)へ行くか、
小学校内にある特殊学級(今でいう支援学級)へ行くかの選択肢でした。
それぞれの学校の見学はもちろん、
教育委員会主催の個別就学相談にも足を運びましたが、悩んだ末
決め手になったのは主治医のアドバイスでした。
教育現場を熟知してるDr.でした。
これも当時の規定みたいなもんなんですが、メリットデメリットを話してくれました。
特殊学級について
・学区内にしょうがい児が1人でもいれば特殊学級を作らなくてはいけないという自治体の条例がある。
・45分間着席行動は可能か?健常児に追い付け追い越せの授業。しょうがいの程度によっては
日々苦痛でしかない学校生活になってしまうこともある。
・先生がプロではない場合もある。(特殊教育が初めてという先生が赴任してくることもある)
・児童8人に対して教師2人。ひとりパニックなどで教師が対応となると残りの児童7人を1人で見ることになる。
・学校へのお迎えが早い(13~14時)
養護学校について
・児童5人に先生二人。大体どこの学校もホールを挟んで教室があり、どのクラスの先生も児童を把握し、連携を図りながら
対応している。
・先生方がプロ集団。手立てやアプローチが豊富。パニックやこだわりへの対応もうまい。
・スクールバス利用で登校や帰宅時間が一定(15時以降)生活のリズムが整う。
Dr.は養護学校を勧めているな、と感じましたが、
「働くお母さんだから、お迎えは自宅近くに15時以降っていうほうがいんじゃない?」
もうこの一言で決まりでした( ´∀` )
養護学校生活12年。ありがたいことに登校拒否は全くなし。
途中転勤、転校も何度かあったものの、先生方はさすがプロ集団、と思う事ばかりで、
思い返せば親も子も楽しい学校生活だったように思います。
何と言っても学校祭では生徒全員がステージに立ち、「できること」「好きなこと」を表現していました。
ステージ下もステージ化し、医療的ケアを必要としている児童生徒もベットや車いすで入場したり!
先生たちの創意工夫がすばらしいものでした。
有意語を話せない息子も高等部へ行ってから呼名応答、手を挙げて「あい!」と返事ができるようになり、
ステージでマイクを向けられて笑っていました。
みんなの笑顔が日々の成果のすべてなんだろうな~
各々の主体性を大事にしているんだろうな~と感じたものです。
ある養護学校では長期休業期間前になると、学年の先生みんなが登場する手遊び歌や体操などをビデオに撮って
配布されました。
休み中も毎日一緒にそれを見て先生をインプット( ´∀` )おもしろかったなぁ。
養護学校のことを我が家では「専門学校」と呼んでいました。
机に向かっての勉強だけでなく、将来の就労や自立に向けて「個別支援」してもらっていたことを
今でも懐かしく、ありがたく思います。
卒業して10年。
親元からも卒業してもらいたくて( ´∀` )もう5年ほど活動していますが
空きが出たホームを見に行っても通所施設とホームの送迎がうまくいかず、難航しています。
運はめぐる。
早くめぐってくるといいなぁ、と思うばかりです。
子育てのゴールはしょうがいの有無関係なく「自立」です、
と
どこかで聞いてから私の目標になりました。
二番目の息子は就職とともに家を追い出し( ´∀` )一人暮らし、自立。
末っ子もあと2年、就職とともに家から追い出す予定( ´∀` )
もうちょっと頑張ろうと思います。
息子はショートステイで不在。久々に自由な夜です。