ヘロデの信仰。受難の予告

 


イマヌエルが、ピリポ・カイザリアの地方に行かれた時、

弟子達に尋ねて言われた。

『人々は私を誰だと云っているか』

弟子達は云った。

 

「ある人は、バプテスマのヨハネだと云っています。

  他の人はエリアだと云い、

  又、エレミアあるいは預言者だと云っています。」

そこでイマヌエルは弟子達に言った。

『それではあなた方は私を誰だと言うか。』

そこで、シモンペテロが答えて言った。

 

「貴方こそ、預言された救世主であり、

 生ける神の子であり、三つの人種の霊的支配者の子です。」

するとイマヌエルは怒って、彼に答えて言った。

『不幸な者よ。
 私の教えは、お前には明らかなものではなかったようだ。
 私は真実について、お前に教えたのである。

 私はお前に言っておく。
 お前は忠実な弟子であるが、

 理解度は子供程度だと言わねばならない。

 お前は
ペテロである。
 私は、お前という岩の上に、私の教えを築くことは出来ない。
 お前は
無知の門を開き

 お前の間違った釈義に圧倒された人々は、
 その門に入り、
偽造された教えに従って、生きるであろう。

 私はお前に、霊の王国の鍵を与える訳にはいかない。
 そんなことをしたら、お前はそれによって、
 間違った入口の鍵を開いてしまうだろう。

 私は
三つの人種の支配者の息子ではない
 まして、
神の子でもない

 私の母は、マリアだ。
 彼女は私達の祖の後裔である守護天使によって、
 私を生み、私のこの世の父は、
 ただ父子関係を代行しているヨセフである。』


イマヌエルは弟子達に、この間違った教えを誰にも言うべきでなく、

広がるのも許すべきでないと戒めた。

この時以来、イマヌエルは弟子達に、自分が必ずエルサレムに行き、

長老や、律法学者や、祭司長達による多くの苦しみを受けるが、

彼の教えを、彼らにもたらさざるを得なくなる、と言い始めていた。

すると、ペトロがそばに来て、いさめて言った。

 

「どうぞ、そんなことをしないで下さい。

 貴方にそんなことが起ってはなりません。

 彼らは貴方を捕え、苦しめ、殺すでしょう。」

すると、イマヌエルはペテロの方を向き、怒って言った。

『サタンよ、私のそばから去れ。お前は私を立腹させる。
 お前は人間の事しか思わないで、
霊の事を考えない

 シモン・ペテロよ、お前は再三私を立腹させる。
 お前の理解のない思考を鎮めなさい。

 私は、お前によく言っておく。
 お前の
無理解の為に、この世は多くの血を流すだろう。
 お前が私の
教えを偽造し

 人々を間違った方向へ導くだろう。

 多くの人々が死に、
 
私の名前について、間違った由来を作り上げ、
 私が神の息子であるとか、
 神は創造主そのものである等と云う。
 悪意に満ちた誹謗が起こるのは、
 お前に罪がある事になろう。

 お前は、私の寛容の恩恵のもとにあるから、
 まだ暫くの間、自分の愚かさを教えることが出来る。』


イマヌエルは、弟子達に向かって言われた。

『私の教えに従う者は、
 
真理探究と認識、そして理解の重荷を負いなさい。

 真理と知識の中で、自分の生活をする者は生き。
 虚偽と無知の中に生きる者は、失う。

 人がこの世に住み、霊に傷を負った時、
 助けてくれるものは誰か。
 人の考えが、力のないものになった時、
 何が、人の霊を助ける事が出来ようか。

 私はよくよく言っておく。
 この生において、霊の力を味あわない者が、ここに僅かにいる。
 彼らは次の生で、それを学ぶであろう。


 人間の霊というものは、

 考え探求をして知られない限り、

 知らずに終るのである。

 
人間の霊は、
 人間が作り出したものではなく、
 
創造が与えてくれたものであり、
 創造は全てを知っており、完全なものである。

 従って、
人間の霊は、
 
創造と一体で存在するのである。
 又、
創造は、絶えず成長して生きている

 創造は永遠であり、人の霊も永遠である。

 この知識は
永遠であり、人の霊も永遠であり、
 軽々しいものではない。
 これが生きる道であり、その方法は多様である。

 この
人の生命は、霊を完成するという定めを持って存在する。
 人間は
霊を完成させる為に、その生命を生きるのである。

 人は自分の中に
欠点を持っている。
 その中から学び、
認識力知識を集め、
 それを通して自分の
霊を形成し、
 
霊の力によって行動することが出来る。

 
失敗なくしては、認識も出来ず、
 知識を集めることも、
不可能である。
 そうして
霊は形成されるのである。

 私はよくよく言っておく。
 高貴な祭司や、パリサイ人や、律法学者が、


「失敗(欠点)が認識と心の知識に役立つのは、
 神や創造主によって、その失敗が罰せられるからだ」


 と言うとき、彼らの教えは間違っており、誤りである。

 認識や霊知識に
役立つ時、罰せられるべき欠点など決して無い。
 同様に、この世でも別の世でも、遺伝的欠点や罰は無い。

 この様な欠点に対する処罰は、
 全ての自然の法則、創造の掟に背くものである。

 今の生でも次の生でも、失敗がなされた時、
 それが
霊の認識と知識にとって良い場合には、がある。

 人間は
自分の霊を完全なものにする為に、
 この世に生を受け、欠点(失敗)と通して認識し、
 知識を得る様になり、定められている
人生を送るのである。

 人間は、
因果霊の偉大さに従って学びをしない。
 霊は、
創造の法則によって導かれ、

 因果応報の事象を学ぶのである。

 一人一人の人間の生に、

  他の人間霊の力が、良くも悪くも作用する。

 この時代の人間が、考え認識し始める時、彼は必須な考えを持つ。

 即ち、預言者
“イマヌエル”が天孫によって遣わされ、
 人類に、創造の掟と、生きる為の知識を教えるだろう。

 しかし、人はそれを理解せず、

   祭司長や律法学者の間違った教えを喜び、
 その為に新しい教えの中に在る
 真実に気が付かないでいる。

 やがて現れる真実に対して、何も知らずに罵っている。
 彼らは預言者を罵り、石を投げ殺し十字架にかける。

 しかし真実の教えは、人々の間にもたらせられなければならない。

 多くの預言者も迫害されるだろう。
 そして人々は、私の生命も狙う。

 神の因果摂理は言う。
 罪のない者が、罪あるものとなった、
 と云われる様になるだろう。

 しかし私は殺されるのではなく、
 
半死の状態で3日3晩、岩屋の中に置かれる。
 こうして、
ヨナのしるしが満たされるのである。

 
インドからやって来た私の遠い昔の仲間は、
 医学に精通しており、半死後、3日後に逃避の為に、
 私の擁護者となり、援護者となろう。
 そして、私はインドの民の間で
自分の使命を果たすのである。
 
 今言ったことが起る様に、即ち私が確かな認識を得、
 私の知識が増え、霊に新しい力を生み出すであろう。』