伝統的な占星術のテクストを読んでいると、昼と夜のチャートで同じ惑星が違った働きをしていることがよく分かります。

太陽の項目にはそれほど出てきませんが、例えばフィルミクス・マーテルナスの金星の項目を読んでいると、「夜のチャートでアセンダントに・・・」とか、「金星が夜のチャートのフィクスト・サインにあり・・・」とか、「昼のチャートでアセンダントにある金星は・・・」などと、しょっちゅう出てきます。

私はものすごく疑い深く、違和感があるうちは、何故、どうして、腑に落ちない、などと考え込んでしまうタイプだったことが幸いしたようです。この切り口が見つかってからは、大胆にも、こともあろうか、ネイタルチャートが読めるのではないかと小躍りするような気持ちの高ぶりを覚えました。それは事実でした。ベールが一枚剝がれたのです。長い道のりでした。伝統的な占星術のテクスト類が、突如として意味を語り始めたのです。

分かってしまえばとても簡単な事柄なのですが、おざなりに読んでいるとその違いが見えてきません。今日発刊されている「伝統的な占星術」の本を参考文献にしたよ、と書かれている教科書にしても、気が付いていない書き方がなされています。おそらく、気が付いている欧米の先生に習うことなく勉強をされているのだと思います。

セクトをしっかりと分類しているという視点を持ってしまうと、いとも簡単に昼と夜のチャートでは解釈方法が違うんだと考えながら読みすすめることができます。でも、全体像を把握するのは案外難しいということは、私が長い間かかって分からなかったことからも、なかなか気付けないものなのですね。

「セクト」。めちゃめちゃ大事です。ほぼ日本語の教科書からは見つかりません。しかも、基礎のまた基礎というか、ものすごく下の部分を支えるものなので、その上に建てられる建造物のすべてに影響が及んでしまいます。

基礎の上には、セクトの惑星も、逆セクトの惑星も、少し良くなる状態という意味の、幾つかの(rejoice)歓喜する状態を惑星の位置する場所から把握します。歓喜しない場所もあります。昼のセクトの惑星と、夜のセクトの惑星がそれぞれ、昼と夜の違いで、ジェンダーでの違いで、象限による違いで、太陽のフェーズでの違いで、月は月そのもののフェーズによる違いといったものから振り分けていきます。もうこの時点で、そうとうネイタルの全体像がおぼろげながら分かり始めます。

そう、手相で言えば手のひら全体の質感といった全体的な感覚がやってくるのです。

この全体像には、いろいろなものを重ねることができます。例えば気質を加えてあげると、よりハッキリとその人の 〇〇さんness というものが見えてきます。時には言葉にならないかもしれません。でも人は、初対面であっても、何となく相手の方のことを「こんな人」と把握しているのではないでしょうか。もちろん職業などは分かりません。でも、話しているのとその人の小さな行動から、相手の人を掴んでいるものです。評価をする人、評価を取りあえずはしない人、評価をしない人、いろいろありますが、感じるものです。

それが、ネイタル・チャートのセクトから始まる一連の作業で、同じようにできるのです。その作業の中途では、サインの再構築をして、サインを学び直す必要性が必ず出てきます。そしてハウスも、です。

何度か述べていますが、正確なサインの知識や意味は伝えられていません。また、歳差運動があるため、どうしても個々に再構築せざるを得ないのです。その再構築のための知識を、再度求めなければいけないのです。