タイトルは「コンジャンクションと、アスペクト」ですが、

中身は歴史の話です

 

 西洋占星術は紀元前1世紀辺りに成立したことを、どこかでお話ししました。

行われていたのは、最初はマンデン占星術、そしてネイタル占星術でした。イレクショナル占星術がそれに続きます。ホラリー占星術はかなり遅く、イレクショナル占星術を焼き直す形で成立します。おおよそ、8世紀前後であろうと考えられています。でも、ペルシャで成立したとすれば、もう少し前になります。

1世紀に著されたCarumen Astrologicumの第5巻に、質問占星術らしき記述が載せられていますが、どうも、これは後の世の改ざんらしいことが分かってきました。歴史上のことをハッキリさせたのはクリス・ブレナンで、2007年に既に発表していたようです。私はこのことを最近まで知りませんでした。それ以前に、ホラリー占星術の出現の歴史を書いている人がいるのかもしれません。ベン・ダイクスは2017年のCarumen Astrologicumの翻訳に際して「質問占星術」らしいことが書かれているけれども、序文の中で、インセプション(始まりに関する占星術)やイレクショナル占星術に関する多くのものが、ホラリー占星術の形に書き換えられたと述べています。つまり、私たちが参照しているCarumen Astrologicumは、部分的に後世の改ざんなのです。

確かに、質問型の占星術について実際に2世紀や3世紀に行われていた形跡がないのです。どこら辺りで形成されたのかは、ペルシャで、ペルシャ人とインド人が研究して形成したようです。8世紀に突然出てくるのも不自然ですから、ペルシャに占星術が渡り、その中で開発されたと推測できます。アラビアの占星術師たちはオーブの幅を定めています。それも、おそらくペルシャで既に決められていたのかもしれません。アラビアの占星術師はおおむね、太陽は半径15度(直径では30°)、月は半径12度、土星と木星が半径9度、火星が半径8度、水星と水星が半径7度として使用しています。でも、このオーブ、ホラリー占星術で使われていて、ネイタル占星術ではあまり古代からずっとこのかたオーブに言及した記述はありません。ネイタル占星術では、サイン同士でアスペクトしていれば、アスペクトだったのです。コンジャンクションについては、サインを超えてもコンジャンクションでした。

それで、ホラリー占星術の法則全体が、まだまだ曖昧な部分が多く、研究され尽くされていないと私は感じています。例えば、コンジャンクションに対してアスペクトは入って行けません(これも、ホラリー占星術の法則です)。じゃあ、そのアスペクトできなかった惑星はどうなるのか… 書かれていないのです。

 

リセプションに付いてもかなり曖昧で、フォールの惑星が絡むとレシーブができないのですが、サインを超えた時(それまではフォール)にあったのに、次のサインでサインのロードやイグザルテーションのロードにレシーブされて接合したらどうなるのか、コンジャンクションやアスペクトとして成立するのか、これまた明確に書かれたものがありません。

こういった点は、後世に残されたままなのです。例題を集めて、確かにそうだと納得がいくまで経験を積むしかありません。経験が必要なのです。