ボナタスの全文を翻訳したベン・ダイクスは、ロットのギリシャ語のでの意味は、パート(部分)、ポーション(取り分)、シェア(分配)、ロール(役割分担)、ロット又はフェイト(運命か宿命)、サイド(側面)、ファクトン(派閥)、ディレクション(進行方角)などを意味する言葉だと述べています。ロットは、くじを引く、サイを投げる、矢の篭から一本の矢を選ぶ、分け合う、などを含む言葉だとも述べます。

また、チャーリーはボナタスの全文を訳したベン・ダイクスに、「ボナタスはミッド・ポイントについて書いているのか」と尋ねたところ、「それは一切ない」とのことです。これは、言われていることと異なっています。

ロットは数学的に計算された点です。こんなものに意味はあるのかという意見があるでしょうけれども、何度も何度もホラリー占星術で検証して、これがないとチャートは読めないという結論に至っています。

ウィリアム・リリーは確かに、ホラリーであまりパートを使っていません。

例えば、C.Aのp.385の恋愛のチャートにしても、彼の愛が残っているのかどうかどうやって確かめたのでしょうか? 彼の気持ちの中に、カレントに対する気持ちが残っていなかったとしたら、危険極まりない判断になってしまいます。土星は確かに社会的な結婚のハウス、10ハウスに入っているのですが、それだけでカレントと結婚をするという表示ではないでしょう。相手は「妻」の座を埋めたいだけかもしれません。

 

C.A 385pのチャート


カレントが心変わりをしたということも、リリーは書いていません。でも、確かにカレントは何度も断った相手に恋をしているのです。それは、どうやって読み取るのでしょうか? それは確かにチャートにパートを通して描かれています。

リリーは、C.Aを生徒集めの基礎にしていたとすれば、リセプションを多用し、アラビック・パーツを多用し、きちんとチャートを読んでいたのかもしれません。そう見受けられて仕方がないのです。

古典的なテクストには幾つかロットの定義めいたものは書かれていますが、実例がほとんどありません。口伝だったのか? フォーチュンとスピリットというロットがあります。同じように、太陽と月を使いながら、投影する方向が違います。これって、意味があるのでしょうか? 

モダンな技法である、ハーモニックス、ミッド・ポイントなど、少しロットと似ている点があります。これらは本当に効くのでしょうか? もし、効くとすれば、それは何故なのでしょうか? 

ロット、あるいはパートは非常に古い概念です。また、全てのロットを全てのチャートで使用するわけもなく、都度、選んで使われていたとしか考えられません。私たちが参照できる古い本、ドロセウス(Dorotheus)やヴィチアス・ヴァレンス(Vettius Valens)のものにも書かれています。アラビアで考えられたわけではないのです。