Astologia Gallica Book 21(モリナス[ジャン・バプテスト・モランのラテン語名]の著作)からのお話をさせて頂いております。

 モランの第七章の言葉に、とても印象的な文言(もんごん)があります。それは、
「・・・人生の様々な変動にさらされる道徳的な性質、精神的な資質、気質等の診断の兆候はホロスコープに現れるのであるが、これらは生まれる以前から備わりつつあるものでありながら適切な時期に・・・ その運命に従って子供を胎内から連れ出すシーラムの慮り(おもんぱかり)によって完成するのである・・・」

私は、この「シーラムの慮り(おもんぱかり)によって完成するのである」という一節をいたく気に入っております。何となく格調が高いのです。

誕生の一時に、天体の性質(普遍的)、状態(普遍的)、位置(普遍的と特定の特性)、及び[他の]特定の特性の規定が、ネイティブに押印されるのです。特定の特性が規定される部分を、どうやって読み解くのかに重点が置かれます。それこそが占星術です。

先にはコンバストやアンダー・ザ・レイのお話をしましたが、留という現象も普遍的でありながら、ハウス位置によっては特定の特性として規定されます。つまり、4ハウスで起きるなら財産や親の事柄への懸念が特定され、5ハウスであれば子供や自分自身の趣味や行いたい事柄に懸念が表明され、6ハウスであれば健康に関わる事柄へと特定されていきます。

古典的な占星術は、どうもネガティブな面から語り始めるようです。これが、意図されてのことなのか、どうか分かりません。後にはポジティブな観察ももちろん出てきます。目につきやすく分かり易いから、ネガティブな事柄から入るのかもしれません。あるいは、ヘルメス・トリスメギストスを名乗る人物が、案外ネクラだったのかもしれません。まぁ、そんなことは無いと思いますが。

また、かなり意味深なことも書かれています。随分前に書いたと思いますが、同じ惑星の配置でも(例えば、タイム・ツイン)、個性が異なるわけですから、惑星は同じ作用はしないと書かれています。それは、人間にはAという作用があるけれども、犬にはBという作用として現れ、馬にはVという作用が及ぶと考えると分かり易いと思います。それが、惑星の働きというものだと軽く言ってのけるのです。

つまり、ネイタルを判断するときには、どのような生まれの人なのかは常に把握する必要のあることです。同じ時間、同じ地域に生まれても、王の子供は王子として判断しなければならないでしょう。商人の子供は、商人の子供として判断することになるわけです。その人が大勢の人を抱える会社の社長さんなのか、その人が個人事業主としての社長さんなのかによっても判断を違える必要もあるでしょう。これは、同じアスペクトが、同じ判断にはならないことを証明してもいます。同じ惑星の位置を、同じ判断でもよいということは無いはずです。それは、普遍的な事柄に過ぎないのです。クライアントを知れば知るほど、必要な判断ができるのは事実です。

これら、現在の位置の惑星をシッカリ把握しておいてから、ディレクションやトランシット、太陽のレヴォリューション(太陽リターン)などによって、適切な時期に発生する潜在的な出来事を判断していかないと、異なる事柄として現れる内容の可能性を見誤ることになります。

これらの時期表示を判断できるのは、ホロスコープが ② 診断・前兆の徴としても開示されているからです。「占星術をよく知るものは、星々の作用を理解し、前もって準備することにより、星々の多くの影響を回避することができるようになる」とプトレマイオスが述べたとか(Centiloquy の格言集の5)。運命は自招と言える部分と、避けられない部分とがあることは既に述べたところです。

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留の判断は、ネイタルとホラリーでは若干異なっています。留には第一ステーションと、第二ステーションがあり、ネイタルでは第一ステーションが悪く言われます。第二ステーションは、回復(順行に戻りつつある)に向かっていることになるので、良い意味に解釈されます。

ホラリー占星術では、留の状態は両方とも足踏み状態として、弱く力の無い状態と解釈されるようです。(質問次第とも言えますが)

留から逆行に向かっている惑星のネイタルの判断では、常日頃とは違う行動を取りがちになるとか、何かに歯向かう傾向があるとか、本来の力が発揮できないと解釈します。

留から順行に向かうネイタルの惑星は、通常の考え方に戻る、あるいは戻っていると解釈していいでしょう。もちろん、アングルにある、サクシダントにある、ケーダントにあることで違いは生じますから、これらも特性を規定する事柄になります。