古典的な占星術では、何を見てきたのか(観察してきたのか)?

運命を見極める観察の仕方は数々あります。モリナスの古典的な占星術の解説『アストロロギア・ガリカ 第21巻、第二部、一章』を読んでいて、ふと、次のような概念だったんだと気が付きました。



 

時間軸の流れは、家系図のように上から下ではなく、横にしていますが、おそらく、下から上なのだろうと思います。一本の樹を思い描いていただくといいでしょう。それらは、全て、幹から枝分かれする様子です。一本の人生という太い幹があって、進んで行く途上で、①与えられるときと②与えられないときが出てきます。あるいは、選択する岐路に立ったときに、①’どちらかを選択し、②’どちらかを捨てます。その選択された与えられたものは、得たものとして、③途中で切られることもありますし、別の枝に分かれることもありますし、続いていくこともあります。そして、続いていくものは、④変化を遂げていきます。

人生は、このようなものの組み合わせで出来ています。太いものも、中くらいなものも、細いものもあるでしょう。検討さえされない、小さなものもあるはずです。人間関係でさえも、集約すれば個の前途に影響を与える要因の一つになります。

古典的な占星術では、時間軸に沿ったこれらの何かを把握しようとして発達してきたのです。ですから、モダンな占星術で行われる「個」を観る視点を、どうしても組み立てられなかったのです。

この図が閃いたときに、人生というのはこの集大成なのだと気が付きました。ただ、「個」を観ようとしたときには役に立ちません。

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以前は、神との一体感がもともと人々は持っていたから、「個」をいちいち考えることは、あまり必要も無かったといった考え方も示しました。けれども、同時代に、インドの哲学は既に「個」の領域に達していたわけですからどことなく違和感を持っていました。

でも、これでハッキリしました。時間軸の流れを見ようとする図は、人生の長い旅を観察する視点でしかありません。「個」を観る視点ではないのです。

古典的な占星術では、判断を推し進めていくときにも、上記の考え方で寸分違わず進められていくので間違いなく四つ(①~④)の観点が含まれています。

モダンな占星術が持つ、秀逸な「個」を観察する視点とは?
 

しかし、モダンな占星術が「個」に立ち向かうときの視点とは何か、また、どうすれば良いのか、古典的な占星術がそれを手にするには、何をすれば良いのか。課題は山積しています。