日曜夕方のアニメ
「ちびまる子ちゃん」
まるちゃんと周りの人達のやりとりが
聖霊とのレッスンのように見えて
とても興味深いです
真実とあなたをつなぐ者
ホランです
主人公の「まるちゃん」は
笑ったり怒ったり、感情表現豊か
「持つべきものは友達だね!
タマちゃん、ありがとう」
と、感激して素直に言葉にできたり、
「も〜!なんで買ってくれないのさ!
お母さんのケチーー!
ってジタバタしたり
怒りや悔しさのような
一見ネガティブに思われがちな感情も
抑え込まず、隠さずに
素直に表現している姿が
とても可愛くて大好きです
そして、これこそが
聖霊のレッスンにそっくりだな〜
と思うんです
(以下のまるちゃんのエピソードはフィクションですが
場面を想像しながらお読みください)
お母さんがお姉ちゃんにだけ
本を買ってあげたのを知ったまるちゃん。
いつもお姉ちゃんばかり!
ズルい!うらやましい!
お母さんは意地悪だ!
と、素直に感情を表して
「まるちゃん、それは悲しかったね」と
タマちゃんが寄り添ってくれます。
しかし、
親友のタマちゃんに愚痴っても
優しく慰めてもらっても、
なぜお母さんは意地悪なのか?
なぜお姉ちゃんばかり可愛がるのか?
その答えはみつかりません。
それどころか、
「お母さんは私のことなんか
嫌いなんだ!」
という間違った答えを選んでしまいます
これが
「神と分離した」と思い込んで
「わたしは
神に愛されていない」
と、さらに分離を選んでいるわたし達に
そっくりなんです
散々腹を立てて
もうわからない!なんで?と
ついに降参したまるちゃんは
お姉ちゃんが本を買ってもらったことに
腹が立ったり傷ついたわけじゃなく
自分が愛されていないように
感じたことが悲しかったんだ
と気づきます。
わたし達も
理不尽な出来事に見舞われるたびに
神なんていない!神様の意地悪!
龍も天使も助けてくれなじゃないか!
と悲しくなることがありますよね
自分に起きた出来事そのものへの
怒りや悲しみの奥には
「信じていたのに見捨てられた」ような、
裏切りにも似た感情が
隠れていることがあるんです。
神(愛と光そのもの)と分離して、
分離した自分(エゴ)は許されない、
だから愛されるわけがないと
思いこんでいますから
でも、
真実はどうでしょうか?
まるちゃんはお母さんに聞きます。
「お母さん、
お母さんはまる子が嫌いなの?」
さぁ、お母さんは
なんて答えるでしょう?
それが
神(愛と光そのもの)と分離したと
思い込んでいるわたし達が
忘れている真実なんじゃかいかな?
と、わたしは感じています
あなたは愛されている
今日のあなたに光を