今日はとくしまの仲間のみなさんとオンラインお話し会でした。
最近、負の感情についての捉え方を自分で整理していたのですが、同じように負の感情について考えていたメンバーがいて、負の感情の取り扱いについての話をしました。
アドラー心理学を学ぶと、
負の注目をしていると勇気づけできないよな~、とか、
負の感情を使っても目的は達成できないしね、
とか、なんとなくわかってきて、
負の感情を悪者にして、
「負の感情は使っては『いけない』持っては『いけない』」
に自分で変換しちゃうな~って思います。
わたしは『負の感情は持ってはいけない』って自分に言い聞かせて実践してました。
それで、負の感情がわいてきたら
「また怒ってしまった」とか「また負の感情を使ってしまっった」「わたしはダメなやつ」とかって、自分で自分の勇気くじきをしてました。
今は、
負の感情は、(わたしは怒りをよく使います)自分の大切にしていることがらがわかる指針だな~って思うようになりました。
「○○することを大切にしているから怒りを使って守ろうとしたんだな~」とか
「○○するのが好きだから好みに合わなくて怒ってるんだな」
とか、整理できて
「まあ、怒っても解決しないから○○を守るためのもっと協力的な方法を探そう」って、冷静に筋道立てて考えられるようになりました🤗
そうすると、負の感情を使わなくてもよくなるのて、しゅるる~ってしぼんでいって、怒りも長続きせず、精神的に安定して暮らせるようになりました。
それで、自分の負の感情に気づいても向き合うことができるようになってはいるのですが、
自分をごまかしてしまうことがあります。
それは、「負の感情」か微弱だった時です。
『いや、わたし、怒ってないですよ、もうすぐに怒ったりするような未熟者じゃありませんし』
って心のどこかで自分に言って、自分がアドラー実践者として優秀だと主張したくなるんですよね。
(優劣ってどうやってつけるのかよ(^o^;)って自分でつっこんでしまうけどそういう気持ちがあるのはたしかです)
それって微弱な負の感情に気づいて「これはマズイ」って劣等の位置に落ちてるんでしょうね(書いててわかったわ)
微弱な負の感情をなかったことにしようとしちゃうんです。
電気が流れるのを測る機械の、針が揺れる様子を思い出してもらえたらわかると思うんですが、
学ぶ前、学び始めの頃は負の感情ガンガン使ってたので、針がブンブン振れて、わかりやすかったんだけど、
学びが深まって、ライフスタイルも緩んできて、柔軟になってくると、まわりの人との関係も良くなってそこまで針が大きく振れるような出来事がなくなってくるんですよね。
そして、
「わたしは学びを深め実践したから、もう負の感情を使うことなく暮らせている」
「アドラー実践できててすごいでしょ」
みたいなおごりというか、タテ関係の気持ちを持ってる気がします。
それにやっぱり「負の感情は悪いもの」っていうのがあるんだろうな。
それで、自分の中に微弱な負の感情があるのに気づいて、
「こんなことで負の感情を使ってはアドラー実践者として立つ瀬がない、カッコ悪い」
なんて、焦って、劣等の位置に落ちて、なんとか這い上がろうと、その感情を見て見ぬふりするんだろうな~~~
って思います。
この事に気づいて、小学校の理科の実験で使った電流の流れるのがわかる計測器が、すごくイメージにぴったりだったので、心の中に置いておくことにします🤗
微弱な針の振れでも、『負』は『負』。
しっかり向き合って整理して、自分の目的を理解して自分のため人のために行動したいなあ~。
ライフスタイルを持ってる人である以上、劣等の位置に落ちないことってないし負の感情を使おうとすることはあるよね~~
ぐらいの
軽い感じで自分にも人にも優しく受け止められるようになりたいなあ。
ツラツラと書いてしまった。
まあ、今自分の考えてることの覚え書きです。

写真は冬休み保育の雪の日の子どもたち。
嬉しくて嬉しくて、もっと降れって天に祈るのためにみんなで手を繋いでいっしょに歌っていました。
これって、共同体感覚からの行動なんちゃうかな~って思って。
大昔の雨乞いってこんな感じかな。
みんなで協力して天に祈りを届けようとしたのかな。
なんて、思うとなんか嬉しくて感動して胸いっぱいになって眺めていました🤗