一昨日から日本アドラー心理学会の育児プログラム「EOLECT(エオレクト)」のオンライン講座が始まったので、参加しています。
コースを受けるのは2回目です。
一昨日から日本アドラー心理学会の育児プログラム「EOLECT(エオレクト)」のオンライン講座が始まったので、参加しています。
コースを受けるのは2回目です。
自分の着るものは、自分で管理している夫。
古くなったら処分して新しいものを自分で買ってきます。
でも、古いものを処分する時、いつもわたしに
「これ、まだ着れるけど、もう色褪せて汚いけん捨てるわ。」
などと報告しに来ます。
そうやって、報告に来られることが、わたしはなんかちょっとイヤでした。
古いものを処分する許可をわたしがおろすわけではないし、新しいものを買うための予算をわたしが渡すわけではないのに、なぜ報告に来るんだろう?
いつも、ちょ~っとマイナス方向に気持ちが動くので気になっていたので、今日は聴いてみました。
「いつも、服捨てるときにわたしに報告に来るけど、自分で服買うのにわたしの許可が必要なん?わたしの許可がないと捨てられないってことなん?」
その質問の答えは、「NO」でした。
許可してほしくて言うんじゃないよ~って。
えっ
あっ
そうなんや……
じゃあ何なん?
って、気持ちを推量して確認しながら話を聴いてみると
どうやら
「まだ着られるものを捨てるのが、もったいないって感じるんだけど、50にもなるのに汚いもの身に付けているのは恥ずかしいし、もう思いきって捨てる!……その未練みたいなものにケリをつけるために人に報告する」
っていう意味を持っているみたいでした。
わたしに許可をもらうんじゃなくて、わたしに高らかに宣言することで「もったいない」思いを振り切るんだね……?
なるほど~~![]()
それを聴いて、わたしの中のほんのちょっとしたマイナスの気持ちは消えて行きました。
じゃあ、わたしの中のほんのちょっとしたマイナスの気持ちってなんで沸いたのか?
わたしは、
自分の管理下にあることなのに、わたしに許可をもらおうとする=
わたしのことが怖くて、いちいちやってもいいかどうか許可を取りに来る
なのかと思っていたから、イヤな気持ちがしたんだな~って、自分のこともわかりました。
「わたしを怖がっていて」そういう言動があるのだとしたら、とても悲しくて、イヤだったんですよね。
だから、わたしは怖がられるような妻ではいたくないんだな。
(それはそう。)
今回、ふたりで話して、
夫が何を思って言葉を発したのか
わたしがその言葉をどう受け取っていたのか、
お互いにシェアできたのでよかったです![]()
![]()
夫「許可をもらおうと思って言ってるじゃないよー」
わたし「よかった~~わたしは、わたしのことが怖くて許可を取りに来るのかと思った」
夫「まあ、怖いのは怖いけど」
というやりとりもありましたけれども![]()
こういうお互いに腹見せて、何を思っているのかを笑いながら話せるのは幸せなことです![]()
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前記事の追記。
自分を整えるためのツールとして、スピリチュアルとおつきあいしているわたしですが、
生まれ変わりとか、前世の記憶とか、ハイヤーセルフなどについても、「信じる」というより「使う」という感覚です。
それを使って、今の自分を理解し、課題解決をしています。
たとえば、わたしは何か選択すべき時が来たとき、本当に自分の望むことはなんなのか、ハイヤーセルフに尋ねることがあります。
ホントに質問するわけではなくて、自分が気づいていない自分の感覚にセンサーを向けるような作業をするのですが、
たぶん瞑想みたいな感じだと思います。(瞑想としてやってます)
(ちなみに内観や瞑想は心身メンテナンスとしてもやってます)
自分の体の感覚や反応に集中して、快不快を感じるかどうか、どのような感覚があるのか、「感覚に聴く」みたいな作業です。
それで答えを得るわけではなくて、そのときになんとなく浮かんでくることをつなぎ合わせてハッキリと意識にのぼってくるのを待つということをしたりします。
(その時々によって何がどうなるのかは変わります)
ハイヤーセルフの存在!
とか
前世はあります!
とか
生まれ変わる前はこうでした!
とか、
そう信じて感じて考えてみることで、今の自分の感覚や思い、望みにアクセスできるという作用があるよなあと思います。
そうすると問題解決につながるので、実在しない!事実じゃない!と否定するのはもったいないしそんな権利は誰にもないように思います。
わたしはレイキヒーリングも使いますが、不思議な力というよりは自分と相手との関係、関わることから生まれる、互いの意識がもたらす作用だと考えていて、目に見えないエネルギーを信じるというよりレイキヒーリングを施すことがきっかけになって起こるその人の力の発揮だと思っています。
人の持つ潜在的な力、能力って本当にすごいと思います。
自分でも不思議な感覚ですが、スピリチュアルと科学のいいとこをとってる感じです。
要は、幸せに生きるため、今よりも向上するため、良いものはなんでも使っちゃおうという奴です。
感覚も思考も両方使って、より良い方法を探したいなあと思えるようになりました。
これも、アドラー心理学を学んでから得た、白でも黒でもない、間の無限をどれでも選べる感覚によると思います。
わからないものをわからないままにしておけること、
目的をしっかり意識し、方法や好き嫌いに固執しないこと、
そういうことが積み重なって、今の考え方ができたように思います。
アドラー心理学は学問だし、とても科学的なものだと思うけど、
いったん思考を止めて感じてみることができるようになったのはアドラー心理学の実践からくるものなので、そういう意味ではとってもスピリチュアルな感じがします。
もちろん、スピリチュアルな事柄を信じている方について否定する気持ちもないし、
そんなもの嘘っぱちだと証明することもできないのですから、事実は誰にもわからないと思います。
どちらかというと、妄信していた類いですから、気持ちもわかるし、今でも大好きなのでめちゃくちゃ話も合うと思います。
天使は、男でも女でもない、って言われますけど
どっちでもないんじゃなくて、両性具有なのだと聞いたことがあります。
そのカオスな感じが人間味あって、わたしは好きなんですよね。
清らかで無垢なカリスマよりも、酸いも甘いも知った上で最善を選ぶ玄人(時々間違う)みたいなのがわたしの好みなので、そんな風に解釈してます(完全にわたしの好みです)
もしかしたら、こんな考え方は、スピリチュアルで人々に貢献されている方にとったら、身も蓋もないような考え方かもしれないし、
わたしをすごくドライな人間だと感じるかもしれませんが、
わたしはスピリチュアルな事柄がとても好きです。今まで何度となく救われてきました。元気をもらってきました。
ただ、妄信して、こだわることで、この世界との調和が取れなくなるとしたら、本末転倒だと思って、自分のスピリチュアルな事柄との関わり方を模索していました。
最近やっと言葉にできるようになってきたので、記しておこうと思った次第です。
いつの日かまた考え方が変わるかもしれません。
いっとき、スピリチュアル系に傾倒して、大いなる存在だとか、見えない力、エネルギーとかを信じていました。(12~13年前かな)
今は、あの頃のように、無邪気に
神様が存在する
とは思ってないし、
不思議な力や能力に憧れたりもしていません。
一周まわって、そういうものの存在はないとさえ思います。
でも、科学では説明できない不思議な現象があることは否定できないと考えています。
ただわたしは、そういう神話から与えられたインスピレーションや、大いなる存在に守られているといった安心感から、人が思いもよらない力を発揮することを信じています。
それが「信仰」であり、
信仰によって、人は生きる意欲を生むのではないかと思っています。
よく言うパワースポットも「この場所は気持ちがいいなあ~~」って腹の底からリラックスした人が免疫力あがって調子がよくなるからパワースポットになるんだと思います。
すべての事柄は、人の起こす力だと思います。
今は
人の(思い込みの)力ってすごい
って思っています。
だからといって、スピリチュアル否定派ではなくて
瞑想をするときは、Something greatとつながるし、神社で祈りながらグラウンディングしたり、山に入って木々を渡る風の声を聴いたりもします。
「自分が元の自分になるため」「地に足つけて生きる力を養うため」に、とっても素敵なツールとしておつきあいさせてもらっている、
そんな感じなんです。
そして、「どのように生きていきたいか」というのは、やっぱり現実の暮らしの中でしか見つからないなあと思います。
家族や友人、いっしょに仕事をする人、ご近所づきあい……ごく普通の暮らしの中で、関わる人たちとの関係の中で、
信仰によって自分を保ちながら、どのように生きたいか、自分の目的を見つけてその都度変化させながらすすんでいくんじゃないかなあと思っています。