一昨日から日本アドラー心理学会の育児プログラム「EOLECT(エオレクト)」のオンライン講座が始まったので、参加しています。

コースを受けるのは2回目です。


親子ともに共同体感覚を育むことを目的として、生活のなかでどんなことに目を向けどう行動していくといいのか、分かりやすく学べます🤗


わたしは息子たちがふたりとも20歳を超えて、育児も終わりましたが、共同体感覚はいつまでも養っていきたいし、親子関係だけでなく、夫婦関係の他、どんな人と関わるときにも使える考え方だと思うので、とっても勉強になります。


何回学んでもその時その時で感じることが違って、大事なことに気づかされます。

レッスン1を受けての感想。
勇気をもって行動する という状況って、何か大きな出来事、ドラマティックなことじゃなくて、毎日の生活の中に普通にあるなあと気づきました。

そのためには、自分の能力に気づいていないといけないし、それを知らせてくれたらこんなに力になることはないんだな~って、勇気づけと結びついて静かに感じ入っておりました。

EOLECTは、日本アドラー心理学会が主催する、アドラー心理学の考え方を元にした育児プログラムです。
オンラインでの講座も開催していますので、全国どこからでも受けることができます。
興味のある方は以下リンクからご覧ください。


写真は今日出かけた先で咲いていた睡蓮

EOLECTとは別に、ちょっとマイナスの感情がわいたことがあったのでメモ。

 わたし、以前から、われわれ夫婦の仲について言及される時に、
ちょっとお相手にマイナス感情が入っているのじゃないだろうか、と感じたとき、ものすごくマイナスな反応してしまう。

前にこれは解決したかと思ったけど、やっぱりまだスッキリしてないみたい。

われわれ夫婦は仲が良いとは思います。
夫はわたしを理解しようとしてくれていると感じるし、いつも協力的でありがたい存在です。

そして、この状態が普通だと感じてもいます。
もちろんお互いが良い関係でいようと努力していると思うんだけど、これが特別なこととは感じてなくて、ごく自然で安心してそのままでいられているように思います。


そういう話をしたら、
時々
へえーーーうちは、もうそんなんないわ
とか
仲いいんやな(呆れ)
とか
そういう、こう、
お相手の方はちょっとこう、夫婦で信頼し合えていると感じられてないようで、

信じられんわ凝視
みたいな反応が返ってくることがあって


その時すごく
あ~~言うんじゃなかった
自慢したと思われた?
きらわれた?
って不安になる。


わたしたち夫婦の話を聞いて、どう感じ何を思うかはお相手の課題。
その反応を見てどんな感情を抱くのかはわたしの課題。


わたしの目的は……?
お相手の方も夫婦仲良くしてほしい……?
とは思わない。

なんでマイナス感情がわくのかな?

……なんか、距離を置かれた感じがする……

うん、これかな。これかも。

わたしの目的は
夫婦のあり方は人それぞれなんだから、お互いがそれぞれどんな夫婦関係であっても、そんなことは関係なくわたしと仲良くしてほしい
わたしの評価を下げないでほしい

これかも。

わたしの夫婦仲が良いせいで人が離れていくって悲しい。
けど
わたしの夫婦仲が良いことで離れていく人って結局わたしの幸せを願ってくれてはいないので、まあいいか……

やっぱり相手がわたしを大切にしてくれない関係というのは、無理して続けると心の健康によくないもんな。


なんかとっちらかったけど、
わたし的には少し整理できたように思います。

写真は大好きなねむの木

自分の着るものは、自分で管理している夫。

古くなったら処分して新しいものを自分で買ってきます。


でも、古いものを処分する時、いつもわたしに

「これ、まだ着れるけど、もう色褪せて汚いけん捨てるわ。」

などと報告しに来ます。


そうやって、報告に来られることが、わたしはなんかちょっとイヤでした。

古いものを処分する許可をわたしがおろすわけではないし、新しいものを買うための予算をわたしが渡すわけではないのに、なぜ報告に来るんだろう?


いつも、ちょ~っとマイナス方向に気持ちが動くので気になっていたので、今日は聴いてみました。


「いつも、服捨てるときにわたしに報告に来るけど、自分で服買うのにわたしの許可が必要なん?わたしの許可がないと捨てられないってことなん?」


その質問の答えは、「NO」でした。


許可してほしくて言うんじゃないよ~って。


えっ

あっ

そうなんや……

じゃあ何なん?


って、気持ちを推量して確認しながら話を聴いてみると


どうやら


「まだ着られるものを捨てるのが、もったいないって感じるんだけど、50にもなるのに汚いもの身に付けているのは恥ずかしいし、もう思いきって捨てる!……その未練みたいなものにケリをつけるために人に報告する」


っていう意味を持っているみたいでした。


わたしに許可をもらうんじゃなくて、わたしに高らかに宣言することで「もったいない」思いを振り切るんだね……?

なるほど~~ニコニコ


それを聴いて、わたしの中のほんのちょっとしたマイナスの気持ちは消えて行きました。



じゃあ、わたしの中のほんのちょっとしたマイナスの気持ちってなんで沸いたのか?


わたしは、

自分の管理下にあることなのに、わたしに許可をもらおうとする=

わたしのことが怖くて、いちいちやってもいいかどうか許可を取りに来る



なのかと思っていたから、イヤな気持ちがしたんだな~って、自分のこともわかりました。


「わたしを怖がっていて」そういう言動があるのだとしたら、とても悲しくて、イヤだったんですよね。


だから、わたしは怖がられるような妻ではいたくないんだな。

(それはそう。)



今回、ふたりで話して、

夫が何を思って言葉を発したのか

わたしがその言葉をどう受け取っていたのか、

お互いにシェアできたのでよかったですニコニコ飛び出すハート


夫「許可をもらおうと思って言ってるじゃないよー」

わたし「よかった~~わたしは、わたしのことが怖くて許可を取りに来るのかと思った」

夫「まあ、怖いのは怖いけど」


というやりとりもありましたけれども驚き


こういうお互いに腹見せて、何を思っているのかを笑いながら話せるのは幸せなことですニコニコ愛



写真は昨日の散歩道の紫陽花。
季節はめぐってますね。



今日は、所属している団体「日本アドラー心理学会」主催の、オンライン講座を受講しました。

テーマは
「それぞれの社会との接点を考える~ユースサポートの現場から~」

講師は日本アドラー心理学会認定臨床心理療法士の萩昌子さん でした。

案内文からの引用です。
「ユースサポートとは、ニートやひきこもり状態など困難を抱える方の自立を援助することです。」
タイトルのとおり、サポート現場での相談業務の体験からのお話を聞かせていただきました。


不登校や、不登校をきっかけに始まるひきこもりの状態にある青少年は増加しているのは目の当たりにしていましたが、
わたしは正直、その責任の多くは、今の学校教育にあるって思い込んでいました。

講座の中で紹介してくださった書籍や資料により、
戦後から今までの社会構造の変化(主要産業の移り変わり)、それに伴う学校教育の有用性の変化や、社会における学校の価値観の変化など、
様々な要因が積み重なって今の現状があることを知りました。

久しぶりに、目から鱗が落ちました。
学校(教育)が悪くて、それに合わせられない多くの子どもたちが正しい、そういう構図で物事を考えていたんだなあ、わたし。

学校の先生たちとは、協力して共に子どもたちを育てる仲間でありたい、と思っていたし、その気持ちは本物だと今でも思いますが
学校そのもののあり方については否定していたよなあと気づかされました。


そして、講座の終わりには、社会はどうあるべきなのか、というテーマでお話しくださいました。

最近、とくしまのグループでも、子どもや高齢者にまつわる様々な問題を考えるにつけ、社会はどうあるべきなのか、自分たちにできることは何なのか?というテーマで話をすることがあるので、今回の講座は本当にタイムリーだったんです。


わたしが考えて最後に行きつく先は、やっぱり「今目の前の人が幸せになるようにお手伝いしていく」ことでした。
先を憂いても仕方ないなってほんとに思います。

別に「幸せにしてあげる!」みたいな施すつもりではなくて、目の前の人の話を聴ける人、話したいと思ってもらえる人になれるよう、日々感覚を養っていきたいなと思いました。

とっても勇気づけられるお話で、元気が出ました。

(お腹で寝るサンくん)

ところで今日、またひとつ自分のことをわかってしまったんですよね。

わたし、あまりに感動して、少数名のブレークアウトルームで感想シェアした時に泣いてたんですね驚き
社会問題についてどうしていくか、というような大きなテーマでお話したことで心が震えたし、自分も萩さんと同じことを考えていたことが嬉しくて感動しちゃって。


それでわかったんですけど、わたし、手にあまるスケールのデカイ話、好きなんだろうな~~と思います。

大きな山に挑む、そういう感覚に高揚するんだと思います。
(八白土星であることが関係ある気がするし、これまでに獲得したライフスタイルなのだろうし)


冬の間は、少し心身が疲れていて、なかなか学ぶ気力が湧かなかったのですが、あたたかくなったせいか、今はまた色々と学びたいなあという意欲が満ちていますニコニコ

この波に乗っていきたいと思いまーす。


写真は、オンライン講座の準備を始めたら、邪魔する気マンマンだった猫のアグニ。
講座中は、静かに寝てくれていたので助かりました。
あとでいっぱいなでてやりました。


日本アドラー心理学会では、学会員でなくても受けられる、オンライン講座を予定してくださってます。
興味のある方はのぞいてみてくださいにっこり


前記事の追記。


前記事はこちら 



自分を整えるためのツールとして、スピリチュアルとおつきあいしているわたしですが、


生まれ変わりとか、前世の記憶とか、ハイヤーセルフなどについても、「信じる」というより「使う」という感覚です。

それを使って、今の自分を理解し、課題解決をしています。


(盛り塩とかも好きです)

たとえば、わたしは何か選択すべき時が来たとき、本当に自分の望むことはなんなのか、ハイヤーセルフに尋ねることがあります。


ホントに質問するわけではなくて、自分が気づいていない自分の感覚にセンサーを向けるような作業をするのですが、

たぶん瞑想みたいな感じだと思います。(瞑想としてやってます)

(ちなみに内観や瞑想は心身メンテナンスとしてもやってます)


自分の体の感覚や反応に集中して、快不快を感じるかどうか、どのような感覚があるのか、「感覚に聴く」みたいな作業です。


それで答えを得るわけではなくて、そのときになんとなく浮かんでくることをつなぎ合わせてハッキリと意識にのぼってくるのを待つということをしたりします。

(その時々によって何がどうなるのかは変わります)



ハイヤーセルフの存在!

とか

前世はあります!

とか

生まれ変わる前はこうでした!

とか、

そう信じて感じて考えてみることで、今の自分の感覚や思い、望みにアクセスできるという作用があるよなあと思います。

そうすると問題解決につながるので、実在しない!事実じゃない!と否定するのはもったいないしそんな権利は誰にもないように思います。



(神話も大好き)
(時の為政者や社会がどんな思想を持っていたかとかどのような教育を施そうとしていたかとかわかっておもしろいvs心踊るファンタジーで元気がもらえたりリラックスしたりできる)


わたしはレイキヒーリングも使いますが、不思議な力というよりは自分と相手との関係、関わることから生まれる、互いの意識がもたらす作用だと考えていて、目に見えないエネルギーを信じるというよりレイキヒーリングを施すことがきっかけになって起こるその人の力の発揮だと思っています。

人の持つ潜在的な力、能力って本当にすごいと思います。




自分でも不思議な感覚ですが、スピリチュアルと科学のいいとこをとってる感じです。

要は、幸せに生きるため、今よりも向上するため、良いものはなんでも使っちゃおうという奴です。

感覚も思考も両方使って、より良い方法を探したいなあと思えるようになりました。



これも、アドラー心理学を学んでから得た、白でも黒でもない、間の無限をどれでも選べる感覚によると思います。

わからないものをわからないままにしておけること、

目的をしっかり意識し、方法や好き嫌いに固執しないこと、

そういうことが積み重なって、今の考え方ができたように思います。


アドラー心理学は学問だし、とても科学的なものだと思うけど、

いったん思考を止めて感じてみることができるようになったのはアドラー心理学の実践からくるものなので、そういう意味ではとってもスピリチュアルな感じがします。



もちろん、スピリチュアルな事柄を信じている方について否定する気持ちもないし、

そんなもの嘘っぱちだと証明することもできないのですから、事実は誰にもわからないと思います。

どちらかというと、妄信していた類いですから、気持ちもわかるし、今でも大好きなのでめちゃくちゃ話も合うと思います。




天使は、男でも女でもない、って言われますけど

どっちでもないんじゃなくて、両性具有なのだと聞いたことがあります。

そのカオスな感じが人間味あって、わたしは好きなんですよね。

清らかで無垢なカリスマよりも、酸いも甘いも知った上で最善を選ぶ玄人(時々間違う)みたいなのがわたしの好みなので、そんな風に解釈してます(完全にわたしの好みです)



もしかしたら、こんな考え方は、スピリチュアルで人々に貢献されている方にとったら、身も蓋もないような考え方かもしれないし、

わたしをすごくドライな人間だと感じるかもしれませんが、

わたしはスピリチュアルな事柄がとても好きです。今まで何度となく救われてきました。元気をもらってきました。


ただ、妄信して、こだわることで、この世界との調和が取れなくなるとしたら、本末転倒だと思って、自分のスピリチュアルな事柄との関わり方を模索していました。


最近やっと言葉にできるようになってきたので、記しておこうと思った次第です。



いつの日かまた考え方が変わるかもしれません。


いっとき、スピリチュアル系に傾倒して、大いなる存在だとか、見えない力、エネルギーとかを信じていました。(12~13年前かな)


今は、あの頃のように、無邪気に

神様が存在する

とは思ってないし、

不思議な力や能力に憧れたりもしていません。


一周まわって、そういうものの存在はないとさえ思います。


でも、科学では説明できない不思議な現象があることは否定できないと考えています。



ただわたしは、そういう神話から与えられたインスピレーションや、大いなる存在に守られているといった安心感から、人が思いもよらない力を発揮することを信じています。


それが「信仰」であり、

信仰によって、人は生きる意欲を生むのではないかと思っています。



よく言うパワースポットも「この場所は気持ちがいいなあ~~」って腹の底からリラックスした人が免疫力あがって調子がよくなるからパワースポットになるんだと思います。



すべての事柄は、人の起こす力だと思います。

今は

人の(思い込みの)力ってすごい

って思っています。



だからといって、スピリチュアル否定派ではなくて

瞑想をするときは、Something greatとつながるし、神社で祈りながらグラウンディングしたり、山に入って木々を渡る風の声を聴いたりもします。


「自分が元の自分になるため」「地に足つけて生きる力を養うため」に、とっても素敵なツールとしておつきあいさせてもらっている、

そんな感じなんです。



そして、「どのように生きていきたいか」というのは、やっぱり現実の暮らしの中でしか見つからないなあと思います。


家族や友人、いっしょに仕事をする人、ご近所づきあい……ごく普通の暮らしの中で、関わる人たちとの関係の中で、

信仰によって自分を保ちながら、どのように生きたいか、自分の目的を見つけてその都度変化させながらすすんでいくんじゃないかなあと思っています。