金庸作品における武功の正道について | 千紫万紅

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射鵰英雄伝を読み返していたら、ふと気になる記述にぶつかった。
作中では、登場人物が口を揃えて「全真教こそが武門の正道」であると言う。
その正道というのは、何を基準に言っているんだろうか。射鵰三部作を読んだ方ならご存じの通り、全真教は江湖の正義を標榜する一方、ろくでもない連中が大量に存在する組織である(特に神鵰)。そんな彼らの武功は、本当に正道なのだろうか? 
 
というわけで、金庸作品における武術の正道について、ちょっと書いていこうと思う。
まず、上記で挙げた全真教武功がどのように正道なのか検証していく必要があるだろう。
全真教武功の柱は、内功と剣術にあるように思われる。色んなキャラが言及しているので、簡単に例を見てみよう。
洪七公…愚鈍な郭靖が奥義の降龍十八掌を習得出来たのは、全真教の内功を学んだおかげだと口にしている。また全真教武功が天下の正道であると称したのも七公。
金輪法王…尹志平と趙志敬が年齢の割に優れた内功の持ち主であると評価している。
李莫愁…全真教の武術を全般的に評価。
郭靖…楊過に対し、全真教武功の正当性を説き、内功修行を勧める。
 
このように、全真教の武功を好意的に捉えている人物は多い。
しかし、技が優れている=正道というのは少々理屈に合わない。より強力な武功を求めるのであれば、四大高手をはじめ、全真教を上回る連中がいくらでもいるからだ。では、全真教武功の正当性は何なのか。
 
これを考えるにあたって、正道の逆である邪道の武功について少々述べていきたい。作中で正道から外れた武功を使うのは、主に敵キャラクターである。その特徴を代別すると、大体下記のようになるのではないだろうか
毒系の技…ご存じ西毒の蝦蟇功や、李莫愁の赤練神掌、そのほか霊智上人の大手印功がこれにあたる。毒の作用次第では相手を再起不能にすることも可能であり、しばしば邪悪な武功として言及される。
正々堂々としていない陰険・卑怯な技…孫ばあやの使用した古墓派の技は、不意を突いての目潰しなど、陰険な技が多いとの記述アリ。他にも多数の悪役キャラが卑怯な技を使う。
修行法が危険・あるいは非道…死体を練習台にする梅超風の九陰白骨爪、梁子翁が育てていた蛇の霊薬による内力増強など、修行方法そのものに問題があるパターン。
暗器…代表的なのは彭連虎の毒針環や、李莫愁の冰魄銀針。どちらも強力な毒を持ち、前者は騙し討ち、後者は戦闘で容赦なく使用。善人側のキャラは基本的に使用を控えるため、局面にもよるが卑怯な武功の一例と言える。
 
こうしてみると、全真教の正当性が明らかになってくる。
例えば、全真教の技は毒も無ければ、暗器も使わない。修行法も安全。邪道と呼ばれる要素が無い。
そういうわけで、こと武功に関して言えば、全真教は確かに正道そのものなのだ。
そして興味深いことに、この全真教基準は他の金庸作品の諸門派にもぴったりてはめることが出来る。即ち、卑怯な技が無く、修行法に問題が無い、この二点をクリアしている門派は、大体正派に含まれている。少林や武当はもちろんのこと、笑傲江湖の五嶽剣派や倚天屠龍記の諸派も入れていいだろう。
これを踏まえれば、金庸作品中のちょっとした疑問も解決する。例えば青城派や嵩山派なんて殆ど悪の巣窟、なんでこいつらが正派なのかと思った読者も多いはず。しかし武功自体を見れば、そこに邪道な門派の要素は無く、正道からそこまで外れているわけではない。これが彼らの(一応)正派たる所以ではなかろうか。
他にも、倚天屠龍記に出てきた崆峒派の七傷拳は見るからに邪道の武功だが、これも門人たちがきちんとした内功習得と修行を怠ったせいであり、技自体に問題があるわけではない。事実、内力に優れた張無忌は正しい七傷拳を披露している。
もちろん、門派自体が正当だからといって、そこに属する人物が正当ということは全くない。金庸作品を読んでいる読者なら、そのあたりは言うまでも無いだろう。
 
これはさらに余談だが、金庸作品の主人公で正道の武芸のみを極めている例は意外と少ない。すぐに思い浮かぶのは簫峯、胡斐くらいである。
残りの連中は軒並み邪道の武功を横道で習得している。令狐沖は江湖中に忌み嫌われる吸星大法を修行したし、狄雲も血刀門の武功を学んで達人になった。段誉や虚竹なんて修行自体がインチキレベルである。まあそうでもしないと、若い主人公達が作中最強クラスのレベルまで到達出来ないという、作劇上の都合もあるんだろうけど。
 
以上、割と思い付きで書いた考察でした。