紅楼夢侍女達の最期について語ってみる | 千紫万紅

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中国の文学、映画、ドラマなどの感想・考察を自由気ままにつづっているブログです。古代から現代まで、どの時代も大好きです。

 

紅楼夢に登場する主要な侍女達の末路について、なんとなく思ったことをキャラ別に。

 

花襲人

賈宝玉の側室候補だったが、主人の失踪によりその望みは叶わず。その後、定められていた縁によって舞台役者と結婚する。

紅楼夢における襲人の物語は、まさしくシンデレラストーリーだったと思う。大きいお屋敷に仕え、そのお屋敷の若き王子の教育係になり、肉体関係を持ち、まめまめしい献身でついに(内密とはいえ)側室の地位を手に入れる。ところが、最後の最後になって彼女は全てを失う。夢は夢のまま終わり、人並みの結婚をして退場する。まあでも、彼女の悲劇の半分は自分自身で招いたようなもんだから、あんまり共感も出来ないんだよなぁ。彼女が好意で宝玉のためにやったことは、結構裏目に出ちゃってることが多い。

 

晴雯

濡れ衣を着せられて屋敷を追放されたのち、病気にかかって死亡。

晴雯の最期は本当に悲しい。人に疑われ、身の潔白を明かすことも出来ず死んでいく。そのうえ葬式はぞんざいだわ、賈宝玉に貰った思い出の品は下種な親族に奪われるわと、侍女組の中では最も悲惨な末路ではなかろうか。

 

鴛鴦

主人であった史太君の死に殉じる。

鴛鴦の死に方は、周囲の人物が評したように高潔なものだった。が、その背後では彼女の遺品や葬儀代などを得てウハウハする醜い親族の姿が描かれる。晴雯もそうだけど、紅楼夢って綺麗な死に方をさせて貰えないのか。死に際の高潔さすら、醜い現実によって汚される。それが作品のリアリティとか悲劇性をより引き立てているんだろうけど。

 

紫鵑

黛玉の死に際しては主人の後を追うことが出来ず、悶々とした日々を送る。後、賈惜春に従って出家。

黛玉が死んだ後は働いているような描写も無く、日ごろ何をしているのかすらわからない。奥方連中や同僚達も全然紫鵑のことを気にかけてる様子が無いし、殆ど亡霊状態。たまに訪ねてくる賈宝玉も精神状態がアレなので、まともにコミュケーションがとれてない。そんな彼女にとって、出家というのはまさに救いの道だったのかも。惜春の侍女たちは露骨に出家を嫌がってたし、普通の境遇ならそういう選択はしないだろう。何となくだけど、主人の黛玉が賈家で大した後ろ盾も持ってないものだから、紫鵑自身も割と不当な扱いを受けている気がする。

 

平児

王熙鳳の死後、賈璉の正室となった。

侍女組の中では唯一ともいえる勝ち組。ただしそこまでの並みならぬ苦労を考えると、やっぱり幸せだったとはいえないかもしれない。中盤じゃ自殺未遂までやってるし。正妻になったとはいっても、夫があの賈璉で(終盤は大分まともな男になってるとはいえ)、家の経済はガタガタ、周りも頼りにならなそうな連中ばっか。うーん、やっぱり苦労は続きそうだ。それでも、他の侍女達に比べればずっとマシ。

 

金釧児

王夫人の些細な勘違いによって怒りをかい、屋敷を追い出されることに。そのことにショックを受けて井戸に飛び込み自殺。

彼女の最期も酷い。そもそも死ぬ原因を作ったのは賈宝玉なのに一切お咎めなし。そして死んだ後も薛宝釵には「遊んでいたところを誤って井戸に落ちたんです」などと言われる(宝釵本人に悪気はないだろうけど

)。宝玉に死後の弔いをしてもらったのがせめてもの救いか。

 

柳五児

原案では中盤、窃盗の疑いで監禁され、そのことから病にかかり死亡したらしい(これは晴雯の最期の伏線となっている)。現行本では生き延び、宝玉に仕えるも相手の精神状態がおかしくなっていたため、幻滅する。

現行本の扱いには批判もあるけれど、柳五児自身が当初から宝玉の部屋に仕えることを夢見ていたので、実際宝玉づきになる終盤の流れは意外と納得がいく。

 

芳官

屋敷の気風を正す名目で王夫人に追い出された後、尼寺で出家。

屋敷ではわんぱくに過ごしていた芳官が、出家してからはすっかり真面目な暮らしをしているのが面白い。ちなみに、同じように追い出された芳官の同僚達については、作中で濁した描かれ方になっているものの、悲惨な末路が待ち受けていた模様。

 

麝月

宝玉部屋の数少ない残存メンバーとして、最後まで仕えた。

全編通して、最後まで賈家にいた古株の侍女。その後も賈家に仕え続けたのではないかと思われる。研究者の一節では、屋敷を去った襲人の代わりに宝玉の妾となり、貧しい日々を送っている。

 

黄鶯児

宝釵が宝玉と結婚した後、宝玉に仕え最後まで屋敷に残っている。

現行本では、ラスト近くで宝玉に「宝釵に仕えてるお前は果報者になれるよ」と言われる。事実、薛宝釵のお腹には宝玉の子供があり、その他にも賈家の復興をにおわせる空気が漂っているので、宝玉の台詞の通りになったのかもしれない。