いつも、ありがとうございます。山口です。
歴史学者の故・阿部謹也氏は大学時代、尊敬するゼミの担当教授に大きな影響を受けた。
教授は学生の報告に、いつも“それで何が解ったことになるのか”と問いかけた。
以来、阿部氏は読書などの際に、そう自問し続けたという。
教授いわく“解るとは、それによって自分が変わること”。
ただ「知る」のではない。
徹底して思考を深め、研究対象の本質に迫っていく。
心からの納得は、自身をも変える力を持つ、という意味であろう。
恩師の言葉を踏まえつつ、阿部氏は「一見解っているように思われることでも、じつは何も解っていない」ことがしみじみ実感された、と述べている(『自分のなかに歴史をよむ』ちくま文庫)。
人はともすれば、表面だけを見て物事を判断してしまう。
この“分かっているつもり”が危ない。
成長への道を、閉ざしてしまっているかもしれないからだ。
トルストイは言った。
「英知は無限である、――そして英知を身につけて向上すればするほど、ますますそれは必要になってくる」(小沼文彦編訳『ことばの日めくり』女子パウロ会)。
学べば学ぶほど、実践すればするほど、もっと学び、鍛えずにはいられなくなる。
「無限の向上」こそ、、、