29歳 滋賀県在住
株式会社インテリジェンスオフィス (京都市中京区)営業リーダー
一つめの会社を胸を張って退職。憧れていた生き方を実践する経営者との出会い。
25歳のとき、華やかな世界に憧れて新卒として入社した大阪の広告会社を辞めた。新入社員研修は6泊7日で外部との連絡は一切禁止。社長の延々と続く講話から始まり、まったく人間の個性を無視したその教育内容。研修終了後の現場では、幹部社員からの暴力や毎日の強制的な深夜労働。およそ信じられない労働条件。
しかし誰の力も借りずに顧客から広告発注を獲得すると、認められた自分がうれしかった。「5年、10年と辞めずにいる人がいる。その理由がわかるまでやってやろう」という気持ちが生まれた。後輩たちの面倒を見ながら、プライベートな時間をほとんど持てない3年間を過ごした。
退職願を出すと、「何の実績もない新人時代から給料を払ってきたんやぞ!」と社長にすごまれる。退職を認める条件としてとても達成できそうにない受注目標を決められた。それを必死でクリアして、泣き落としにでた社長を振り切った。
何がしたいという明確な目的もない中、転職雑誌で見つけたのが今の会社。大手情報出版社の京都・滋賀地区の総代理店。12年前に設立され求人広告の代理店業務を主としながら、一般広告全般と総務業務のアウトソーシングを請け負う会社、ネットによる企業サポートをする会社の2社を分社し、グループ全体として100人近い陣容を誇る会社である。
2000年4月、大手情報出版社から京都・滋賀地区における戦略新商品の販売パートナーとして協力を要請され、営業部隊を増強するために人員を募集していた。採用面接で佐藤社長に会って、どうしてもこの人のもとで働きたいと思った。
大好きな音楽とどうかかわっていく? 社長がひとつのヒントを与えてくれた。
社長からはそれまでの経験を買われて、個人の営業成績のみならずリーダーとしての動きを期待された。後に採用された7人の後輩の先頭に立って走り回る。求人情報誌が乱立して久しい京滋のマーケットで、みずから朝から夜まで新規開拓する。営業経験のないメンバーを指導する。業務の効率的な流れをつくっていくために連日ミーティングに参加する。
新商品で創刊当時は広告効果もおぼつかず、顧客からのクレームにひたすら頭を下げる日々が続いた。仕事のハードさについていけないメンバーも多く、顔ぶれも次々に変わっていく。もう一人の営業リーダーと制作リーダーとともに、週1、2回は会社に泊まりこんでは膨大な業務をこなした。
入社して2年後の27歳のとき、深夜業務を終えていっしょに食事に出た社長から一声かけられた。「岩井よ。一番得意なことや自信のあることに夢中になれるのは当たり前。二番めに力を出せそうなことの能力を磨くことが大切だぜ」。
前の会社の退職と同時に、高校から始めていた音楽活動を再開させていた。テクノにハマっていた。
高校時代は、先頭に立って音楽部を、電子楽器が使える「軽音楽部」へ衣替えさせた。その一方、ボランティア活動で「子ども会のお兄さん」を続けた。大学時代は体育会スノーボード部の主将として、組織リーダーとして部員たちを引っ張った。とにかく若い人たちの先頭に立って頑張っていくことがヤリガイだった。
転職後は社長が応援してくれて音楽活動を続けられていた。しかし厳しいリーダー業務との兼ね合いの中で、中途半端な取り組みになっていて悩み始めていたときの一言。
これでふん切りがついた。「今は、音楽で生きて行こうと思う若い子たちを引っ張っていける能力を身につけよう」。
本気の二足のわらじ。腹を決めると行動量が倍増した。夢が夢でなくなってくる。
学生時代から、常に20歳前後の若い子たちに囲まれて、その子たちが憧れるような生き方をしたいと思っていた。「佐藤社長は、自分が学生時代から憧れていた生き方を実践する人。俺もこんな人になりたい」と素直に思えた。この人の若い人に対する情熱や育成姿勢、指導ノウハウ、そしてまったくブレることのない生き方をもっと学びたい。少しでも追いつきたい。
それができたとき、好きでたまらない音楽の世界で、若者たちを導いていくという夢が実現できる。
営業部隊は25人の大所帯にまで膨れている。そのメンバーの面接や、本格的な新卒採用実務を全面的に任される。自社のホームページのリニューアルや、新たなウェブサイトの立ち上げを、企画・立案から専門パートナー会社の決定、そして運営までも担当し、さらに多忙を極める。
一方で土日となると音楽活動に本格的に没頭するようになった。大物ミュージシャンが来日すると、ギリギリまでかかって業務を終わらせ、深夜バスで静岡まで駆けつける。
みずからも2ヵ月に1回は週末クラブイベントを主催して、DJ「HIDEKICHI」としてレコードを回す。
海外ミュージシャンは京都でのイベントに参加したがり、共演によってスキルはメキメキあがっていった。
疲労との闘い。あせりを抑えて、目の前の弱点を克服していく。
「お前はこの商品をなめてるのか!」。会社のメンバーをみんなの前でどなりつけてしまった。イベント間近になると会場の手配や集客などで忙殺される。音楽仲間との打ち合わせは、仕事を終わらせた深夜11時から始めることも多い。蓄積する疲労でイライラが募る。決して悪気のないメンバーのミスにも、相手の立場を考えずに感情的になってしまう。「またやってしまった。後輩たちに申し訳ない」。
仕事に絶対に悪影響を及ぼさない、そんな決意もときに疲労に負けてしまう。寝坊をしてしまったり、接待で居眠りをしてしまうこともあった。しかし、仕事へ取り組む姿勢、普段の面倒見のよさから、周囲からも温かく見守られている。
学生時代は、30歳には自分で商売しようと思っていた。その期限を今は35歳に延ばすことにした。迷いがないわけではない。仕事と音楽の両立で将来を考える暇がない。本当に音楽やイベンターとして生計を立てられるのだろうか?と。
今は、「給料をもらって勉強させてもらえるなら、もう少し甘えさせてもらおう」と思っている。社長がやれば1日で済むことを、10日かかろうとも自分にやらせてくれる。
「いつかくる会社を辞めるとき、それは自分が育ててもらったのと同じように後輩たちを指導できたと思えたときでしょう」。今を精一杯生きてシッカリと自立すること、それが最大の社長への恩返しだと思っている。