病気が治る時とか
苦しいのが山を越えた時とか
快復に向かう時期に 夢を見ます。
印象的な夢を。
昨夜 というか、今朝、夜明け前
夢を見ました。
私は誰かの古い家にいる。
その家がそこにあることは知っていたけど
誰の家かは知らない。
古い家で 鍵は開いてて
私はどこかに行く途中 たまたまそこに寄った
トイレを借りたかったんだと思う。
誰もいなかったので、黙って家に入る。
古い でも 居心地がいい
開いた縁側から 明るい春の日差しが差し込んでいて
外には 冬が終わって 枯れた木々や草から
少しずつ 緑が芽を出し始めてる庭があって
静かで 穏やかで のんびりとしてて
ああ、いい場所だな
ここで仕事ができたらいいな と思っていると
その家の近所の人が 近づいてきた
「この家の人と知り合いなの?」と聞いた。
私は ちょっと焦って ドギマギしながら
「いえ、たまたま通りかかって、とトイレを借りようと。」
誰もいない家だよ、とその人が言う。
でも、縁側のすぐの座敷には 布団が敷きっぱなしで
誰かが寝起きのままどこかに行ってしまった様子で
掛け布団の片側がはねのけられてて
電気がつけっぱなしで(私がつけたのかもしれない)
私は 近所の人と話しながら 電気を消していく。
良いところですね とか言いながら
見知らぬ近所の人は 私を咎める風もなく 穏やか。
私は 電気の笠から下りているスイッチの紐を 引っ張るけど
何度引っ張っても なかなか消えない。
異常に何段階も明るさの切り替えがあって
極普通の電球なのに すこしずつ すこしずつ 暗くなって
10何回か引っ張って ようやく一つ消え。
他にもいっぱいスイッチがあって
ブレイカーみたいな スイッチセットに気づき
あれを倒せば良いのか!と気づき
パチンパチンと倒していくと
なんだか急にミラーボールみたいにいろんな明かりがついたりして
ハワイアン音楽まで鳴り出す始末。
コントみたいになって、何が何だかわかんない!と思いつつ
ようやくスイッチを一つ一つ最後まで消した。
縁側から外に降りると
初めて 庭が キレイに手入れされて刈り込まれてるのに気づく。
冬が終わったから、春の支度ができているんだよと
近所の人が言う。
そうすると、なぜか、わたしの仲間たちが急に何人もやってきて
ここにいたの! と嬉しそう。
わたしも嬉しい。
この、冬の終わった庭の
刈り込んだ枯れ枝や 落ち葉の山を 片付けないといけないんだよ
というと、
みんなが手伝ってくれる。
わたしが 熊手や 斧を 持とうとすると
それは 男の子たちに任せなさいよ と
みんなが道具を持って行ってくてた。
地味でめんどくさくて力のいる仕事を
なんか、みんなが楽しそうにやっている。
「男の子たち、すごいねぇ。
力持ちだねぇ」とわたしが感心すると
「あの子たちも、楽しんでやってるよ。
やってみたら 意外と楽しかったみたいよ。
気持ち良いって。
自分の持ってる力に 気がついたんじゃない?」
と、仲間の女性が楽しそうに言った。
わたしは それを聞きながら
ああ、これでよかったんだ。
わたしが一人で頑張るよりも
みんなに助けてもらう方が
わたしも嬉しいし
みんなも楽しいんだ!
と 思って
木の塀にもたれて、みんなの働く姿を
楽しく眺めていた。
******
それが、夜明け前の夢。
目が覚めて しばらくぼんやりと
今見た夢を思っていた。
昨夜、寝る前に
大好きな ゆっちさん の
このブログ記事 を読んで
なんか、すごく気づかされた。
離婚して15年以上も経つ 元夫のこととか
わたしが裏切られたと感じた 昔の仲間とか
そうです、昨日の日記でも書いた、
先週の金曜日に 許しますワークで 召喚した 大嫌いな人たち
その一人一人に
こんな風に思えたらよかったんだ。。。
そうしみじみと思えた。
相手を責めることなく。
自分を責めることもなく。
ただ、互いのすれちがった思いを
うまく抱きとめられなかった自分を 慰めて
よくがんばったね、って
ねぎらって、いたわって、
(いま気づいた、ねぎらう と いたわる は同じ漢字なんだね)
別の道を歩いて行った その相手と自分自身に
心から感謝が できるようになってた。
彼ら、彼女たちが
わたしと一緒に歩いてくれた時間と
一緒に過ごした 楽しかった思い出と
わたしに与えてくれた 大きな学びに
心から 感謝ができた。
別れて行ったみんなに ひとりひとりに
あなたが幸せであるように と
いまいる場所で 幸せに咲いていますようにと
心から 祈った。
これって、
愛だなぁ
そう思いました。
わたしの心に愛が溢れてきたよ

じわじわと 幸せが こみ上げてきた
世界が 変わった。