その後僕たち家族の月夜のジョギングは、言い出しっぺの朔太郎と出不精のママの脱落を経て、僕と亜紀とゴン太の三馬鹿トリオでの日課になっていた。
ジョギングと言っても亜紀とゴン太が一緒では「歩くのに毛が生えたくらい」のもんで、要するに普通の散歩へとその形態を変化させていた。昨晩も食事が終わるとそれを待っていたかのように「パパまだ行かないの?」と亜紀が急かすので、お茶をすする暇も無く僕たちは夜の公園へと繰り出していった。
公園のウサギのかたちをした遊具に腰掛け、ブランコで遊ぶ亜紀とその周りをぐるぐると回っているゴン太を見ながら、ある意味僕自身の生きがいにもなっていた朔太郎のサッカーがなくなり、ポッカリと穴の開いた心を引きずったまま、自分がすごく不幸になってしまったような、そんな甘えたことばかり考えていた数週間だったけど、そもそもこの国の「子供のため」とは名ばかりで、飽きれるほどに大人社会なジュニアサッカーの世界に愛想を尽かし、唾を吐きかけ、中指を立てたのは僕自身なのだし、一番苦しんでいるのは朔太郎自身のはずだから、そんなセンチな泣き言ばかり言うのはもうやめようと思った。
自分はこんなにも幸せで、まだまだやらなければならないことはたくさんあるのだ。
そして今までどうしても朔太郎のサッカー優先だった生活が、こうして亜紀との時間を楽しめるようになったことは、僕にとっても亜紀にとってもいいことなのかもしれないと思った。
保育園のことやゴン太のことなど、ときに笑いながら、ときに追いかけっこをしながら、僕たちは時間の経つも忘れて話をした。
一時間も遊んで家に帰ると、めずらしく朔太郎が玄関までお出迎えにやってきた。
サク:「どこ行ってたの?」
僕は自分で言い出しておいて、三日坊主にすらなれない朔太郎にいささか腹をたてていたので
「あ?さんぽ」
とそっけなく言った。
サク:「どこまで行ったの?公園?竹の公園?」
朔太郎がサッカーをやめてから僕と朔太郎の会話は極端に減っていた。
特別用事が無ければ僕からは話しかけないし、彼もそんな親の雰囲気を感じてなのか不必要な会話は避けるようにしていた。
いまから思えば、そんな朔太郎がやけに話しかけてくるのにはなにか訳があったんだろうけど、そんな相手の気持ちを慮る余裕のない僕は
「あぁ・・うん」
とさらにそっけない態度をとった。
すると彼は何かを諦めたように踵を返し、電気もついていない自分の部屋へと戻っていった。
しばらくすると、真っ暗な部屋の中から朔太郎の声がした
サク:「おとうさん・・・・・・」
僕:「ん?」
答えが返ってこない・・・
僕:「なんだよ?」
サク:「おれ・・・・学校の#&$%\か・・・・ち#&$%と・・・ちゃ%$&#%る\ら・・・」
僕:「あ?なに?聞こえないから・・・」
その声からもうすでに泣いているのがわかった。
サク:「おれ・・・・学・・・校のこ・・・ととか・・・・ちゃん・・とや・・・るから・・・・・・」
僕:「うん」
サク:「だから・・・」
「だから・・・・サッカーがやりたい・・・・」
胸の奥に痞えていたことを吐き出すかのように彼はそう言った。
たったそれだけの言葉を言うのに、彼はどれだけ思い悩んだのだろうか?どれだけ心を痛めたのだろうか?そしてどれほどの勇気が必要だったのだろうか?それを考えると、僕はいたたまれない気持ちで一杯になった。
でも僕はそんなそぶりをみせることなく厳しい口調でこう言った。
「なぁサク。お前がどこでどう勘違いしたのかわからないけど、オレはそんなことはどうでもいいんだよ。学校に忘れ物をしていくとか、部屋の片づけが出来ないとか、門限が守れないとか色々あるけれど、そんなことはなんとも思っちゃいないんだ。ただな、なんでもそうだけど自分で何かをやると決めたら、歯を食いしばってでもとことんやらなきゃダメなんだよ。苦しいから、面倒だからと言って逃げてちゃダメなんだ。聞いてるか?サク?」
部屋から出てきた彼はボロボロと涙を流し、嗚咽しながら必死にウンウンと首を縦に振ってみせた。
「サッカーなんて楽なことばかりじゃないよ。10有ったらそのうちの8は苦しいことで、楽しいことなんか残りの2くらいなもんだ。でもな、その8ある苦しさを乗り越えた人だけが、残った2の楽しさを実感できるんだ。サッカーだけじゃない、世の中の大抵のことはそうなんだよ。だから勉強でも遊びでも、やるときはとことんやらないと・・・」
と僕はまるで自分自身に言い聞かせるようにそう言った。
「もしまたサッカーをやりだしたとして、次も中途半端にしか出来ないようなら、その時は本当にサッカーをやめなきゃならないぞ。だから焦ることはないから、そこんところをよーく自分の心と話し合って、それでもどうしてもサッカーがやりたかったら、またオレに言えばいいよ。その時はオレは、どんなに嫌いなヤツにでも頭を下げるし、世界中どこだろうが連れて行くから。」
僕がそういうと朔太郎は真っ赤な目をこすりながら何度もウンウンと頷いていた。
朔太郎、こんなことしか言えない父を許してくれ。
本当は「いままで辛かっただろう?よくがんばったな」っと言って、この手で抱きしめてやりたいんだ。
でもオレみたいな後悔をしないためには、今踏ん張るしかないんだよ。
僕は心の中でそう言いながら、暗い部屋へと戻っていく彼の後ろ姿を見送った。
翌日、またもや僕の部屋にやってきた朔太郎は、夕べの彼とは見違えるような笑顔で
「おとうさん、おれやっぱあのチームでサッカーやる」
と言った。
「ん?そうか、決めたんか」
「うん、もう決めた」
「ちゃんと自分の心と相談してみたか?」
「うん、した。」
「がんばれるって言ってたか?」
「うん」
「本当にそこでいいのか?他にもチームはたくさんあんだぞ?」
「いい。あのチームでやる」
あのチームとは、朔太郎が元在籍していたチームだ。
親としてはどこでサッカーをやろうがかまわないが、同じチームというのはかなり行きづらいものがある。
「まぁお前がそう決めたんならいいか」
「うん」
「今度はがんばれよ」
「うん」
ややあって
「じゃぁこれから行って来る」
「はぁ?どこへ?」
「練習」
「なんの?」
「チームの練習」
呆れたもんだ。
「あのなぁ朔太郎、お前は一度チームをやめてるんだよ。だから今度またはじめるときもそれなりの手続きってのがいるんだ」
「てつづき・・?」
「そりゃそうだよ、練習中に「ちょっとジュース買ってきます」って出てきたわけじゃないんだから・・・・そうだなぁ・・まずは代表に挨拶に行かないとダメだぞ」
「和泉さん?」
「そそ・・・お前行けるか?」
「うん、行けるよ」
「ちゃんと言えるか?それともオレが一緒に行ったほうがいいか?」
僕はそんなつもりはさらさら無かったけど念のためそう聞いてみた。
「だいじょうぶ。多分泣いちゃうと思うけど、がんばってみる」
「そか、じゃ行ってこい」
代表に挨拶に行くのにわざわざジャージに着替えている朔太郎を見て、つくづく馬鹿なやつだと思いながら、反面子供の行動力のすさまじさ、展開の速さに脅威を感じていた。
その後彼が代表相手にどんなことを言ったのか、どんな顔をしていたのか、僕は一切聞かなかった。
それは彼が自分の器量でやったことなのだから、どんな言い方をしようが、どんな顔で行こうがそれは誰も何もいうことはできない。
そうしてめでたく朔太郎は、いとも簡単に、何の躊躇もなく、涼やかな顔をしてまたサッカーの世界へと足を踏み入れた。
明日の練習が復帰第一日目となる。
代表への挨拶、コーチへのお詫びと挨拶、他の父兄の皆様への挨拶・・・・親としてやらなければならないことは山ほどある。
どうなることやら先のことはとんとわからないが、今コレを書いている傍らで寝ている朔太郎の満足そうな寝顔を見ていると、「ずいぶん大きくなったなぁ」という気持ちと「まだまだガキだよな」という気持ちが入り混じった複雑な心境になった。
そうして僕たち親子の間で、何かが少しだけ変わったのをうっすらと感じた。