俳句コラボライブ「歌う俳句」@銀座BRB
出演: 蘭華 サポート:小早谷幸(ピアノ)、郭敏/Guo Min(揚琴=ヤンチン)
俳句講師: 薬師川摩耶子先生
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第2部は、ピアノとヤンチンの調べで始まった。そこに現れた蘭華の麗しいことといったら!そのチャイナドレス姿に、会場の中からため息がもれる。今夜はまた一段と艶やかだ。
4ヶ月ぶりの東京ライブ。注目の1曲目は、なんと意表をつく「あなた」。この曲は彼女が俳句を始める前から歌っていた、軽やかな恋愛ポップス。しかも、和でもオリエンタルでもなく、ボサノバ調。どっしりした近作を想像していたファンの力を抜くように、柔らかい。飲食や歓談していたお客さんの耳にすっと入り込む。
そして2曲目も数年前の明るくポップな作品「夢の途中」だ。歌手活動をするために上京してきたが、様々な壁にぶつかり、思うようにいかない日々。挫けそうになることも多かったろう蘭華が、自分自身を励ました応援歌。あの頃も今も、彼女にとって大切な歌だ。


本日のお客さんの多くは句会関係者。蘭華のライブを見るのは始めてという人も多い。この軽やかな2曲は、そんな彼らの心をほぐすと共に、自己紹介でもあった気がする。
そして、ここから一気に、彼女の今を形作る曲たちへと移っていく。その枕に彼女は、昨年3月の大きな転機について語りだした。
大震災と父の死が相次ぎ訪れ、自分自身が落ち込んだこと。その中で大分にひとり残される母親への思いや、周囲からもらった優しい心使いのこと。そして、縁あって参加した東北各地での炊き出しボランティアでみた被災地の現実や自分の胸に去来した想い…
その一言、一言に、会話や飲食しながら蘭華の歌を聞いていた客席が、徐々に静まり、彼女の言葉に耳を傾けていくのがわかる。沢山のベクトルが、ステージの蘭華に収斂していくなかで、彼女は福島県の避難所の中心となった郡山市のビッグパレットを訪れた時の体験を語った。
真夏の陽炎が立ち昇るような暑い日に、駐車場に設けたテントで彼女らが被災者のための炊き出しをしていると、一人の老人が何時間もその周辺に水をまき続けてくらた。おかげで涼を取れた彼らが、撤収する際に声をかけると、それは市の職員とかではなく、被災者の方だった。「僕らにはこんな事でしか、感謝を伝えられないので」と。ふるさとに、いつ帰れるか分からないが、人への感謝の念をひとしお大切にする姿に感じるものがあったという。
その想いを曲にした。「あの街を離れて」だ。その明るい曲調に、蘭華が被災者の方々に、元気と希望を抱いて歩き続けようとメッセージを込めていた。歌い終えた彼女に、明らかに前の2曲と違う盛大な拍手が起こった。会場は、いよいよ彼女のワンマンらしい雰囲気を湛えはじめた。
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「絆が強かった昭和という時代。このアルバムを聴いて古き良き時代を思い出し、懐かしい気持ちになってほしい。そして大切な人を思い出してほしい」という蘭華にとって大切なものは「家族や応援している人、そして支えてくれている人」だという。
先月、読売新聞がWEBで蘭華へのインタビューを掲載。その中で最新アルバム 「昭和を詠う~大切なものへ~」について蘭華が語っていた言葉だ。
https://yorimo.yomiuri.co.jp/csa/Yrm0402_C/1221802672716
そんな昭和の思い出を蘇らせるような「黄昏のビギン」「蘇州夜曲」を力強く。中高年層の多いお客さんには当然馴染み深い曲たちで、一緒に口ずさむ方々も目に留まった。ここで、彼女はいったん楽屋に。
代わって日本の琴の原型のような揚琴(ヤンチン)の見事な独奏があり、美しくも激しい調べに酔いしれた。
その間に最終選評を終えた蘭華と薬師川先生が再び登場し、ミニ句会の結果を発表。先生が2句、蘭華が1句を読み上げ、その都度、客席からは歓喜の声がひろがった。賞品を授与する今夜の俳人らの顔は、嬉しげで楽しい時となった。
もちろん、僕は選外(笑)しかしながら、「選外にも素敵な作品がいくつか」、と蘭華がわざわざ読み上げてくれた。望外な幸せ。
俳句ライブの醍醐味?で盛り上がったところで、いよいよ今宵の成否さえ左右する大事な一曲を歌う時が…。そう、俳句に曲をつけて歌うのだ。
といっても、即興ではない。薬師川先生が句会の作品から候補を選び、蘭華が歌詞の並びやつながりなどを考慮して選びぬいた9句を、一曲の歌にしたもの。多くのお客さんが、もしや自分の句が歌われるのではないか、そんな期待感を抱き、息をつめて見守っている。
五七五という音律は、1000年以上前から日本人には馴染み深いもので、若手ミュージシャンのヒット曲でさえも歌詞を意識して五七五にして、覚えやすくしているものがある。おのずと俳句と歌は、親和性が高いはずなのだ。
ただ、全て作者が違う、題詠でも連歌でもない作品リストを前に、最初は一つの曲に何句も盛り込めないだろうと想像していたという。ところが、それは杞憂で、メロディに詩をのせていくと、いくつもの作品があたかも自らの定位置を知っているかのように、曲中にはまっていく。結果として、なんと9句も織り込むことができたそうだ。
蘭華が唄ったその曲は、一つの作品として違和感なく、まさに連歌のように言葉が連なった。巧みにオリジナルの歌詞で繋ぎ、韻を踏み、大きなメッセージを込めたさびで多様なベクトルを持っていた9句を一つの方向に収斂させた、蘭華の才能を強く感じる作品に仕上がった。
そんな歌詞を、美しい高音と見かけ以上に強い発声で、感動的に歌い上げた。さびでは確か、


俳句と歌謡、これまで試みられてこなかったというが、親和性は高いのも当然。俳句のルーツをたどれば、連歌にあるのだから。平安朝のころからあったという連歌は、発句に後の人々が次々と句を付けていき、結果として一遍の長大な歌になる。その作為の工程は、現代のソングライターが脳内でしている創意と変わることはないのではなかろうか。
今回はバラバラの句を集めて曲にしたが、次回は五七五七七の連歌ではなく、五七五を連ねる十連句を2チームが競作して、それを1番、2番とする歌を蘭華に歌ってもらうとかどうだろう(笑)伝統的な句会もいいが、新しい座を模索してみるのも「遊び」の醍醐味ではなかろうか。無責任に言ってしまいますが(笑)
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そしてライブは、ここから一気にクライマックスへ。
この1年、実は蘭華はライブの本数を絞っていた。先に書いたが大震災と最愛の父の死が相次ぎ昨年3月に訪れ、いろいろな思いを胸に歩いてきた。その間は創作などに励み、昨秋からはメディア露出を増やし、年末には海外華人文化社団という中国の財団?による海外在留の中華の才能や技芸を磨く研修に、中国政府から招聘されて参加するなど、一段上のステージへと踏み出し始めた。
その中で産み出されたのが、昭和歌謡のカバーCDであり、作曲家でもあるピアニストの村松崇継さんとの共作である「希望という花を」だった。その曲を収録したコンピレーションアルバム「Lovely Notes of Life」は昨年11月に発売されている。
ライブは昨夏に一度、言霊音楽スタジオに出演して以降、10月12日に東京では8ヶ月ぶりという調香師とのコラボライブがあり、続いて11月18日に開かれ村松崇継さんの渋谷・Hakujuホールコンサートにゲスト出演したくらい。ただどちらも出番の時間が短く、物足りなさが残った。昨10月には大阪のミナホに出演、今年2月4日の大分凱旋ワンマンでは、涙、涙の大きな感動に包まれたというが、どちらも行けなかった。だからこそ、この4ヶ月間、彼女のライブを待ち焦がれていたのだ。それに、がっつり蘭華を聞けるのは、それこそ昨年2月の代官山ライブ以来なのだから。
何より待望していたのは、彼女がその歌で紡ぎ出す感動だ。父母への感謝や強い愛情、命への敬意、そして自らの夢…。エモーショナルかもしれないが、そうしたテーマを雄大な情景の中に優しく描き出す彼女の歌に、癒されるのだ。ライブは、ここからラストまで、そんな曲が連なり大きな感動と満足感に浸してくれた。
まずは新曲「ゆれる月」。彼女には新古今和歌集を題材にした「花籠に月を入れて」という佳作がある。そんな日本の歴史的な文芸に想を深め作る曲の第2弾ともいえる新曲で、題材を求めたのは近松門左衛門の「曽根崎心中」

そして今夜、最も感動した歌のひとつが、次に歌った「花時」だった。大分で初披露したという新曲だ。
蘭華には彼女の音楽に深い理解を示し、応援し続けてくれていた父親がいた。だが、彼女が親への想いを込めた曲としてまず作ったのが「maama」。母親への感謝に満ちた美しい曲で、父親もたいそうはその曲を気に入っていたという。「父さんにも曲を贈るから」と話していたが、彼は病に倒れ看病生活の末、昨春亡くなった。
身罷る1週間前、父へ贈る歌のAメロとサビがようやく出来あがり、もう話すこともできなくなった父親の枕元でその曲を歌うことができたという。それが「花時」の原形だ。まもなく桜が咲く。満開の桜を見るまでは生きていて、との願いを歌に込めた。


父の死後、Bメロを書き加えた。


その歌を聞いて、末期がんだった父親は安らかになれただろうと思う。昨年3月22日逝去。ライブ前々日に大分で1周忌の法要を努め、昨日東京に戻ってきたという。
MCでその経緯を話す彼女の目には涙があった。そして、その優しく情緒に訴える曲調に、聞いているこちらも思わず涙が出そうになる。周囲は初めて会う人ばかりなのだから、こらえず泣いてしまえば良かったな。こらえたのは、蘭華が頑張って歌っていたからかもしれない。
そして、続けて「maama」と「大切なものへ」。
「maama」はもともと感動的な曲だったが、「花時」が作られた背景を聞き、二つの曲を合わせて聞くことで、歌が深い意味を持って迫ってくる。つくづく、作品と作者は不可分なのだと思う。
そして、その2曲を包み込み、より普遍的な愛のメッセージを込めたのが「大切なものへ」。この歌は希望だ。
「大切なものへ」はPVがYouTubeで公開されているので、ぜひ聞いてほしい。
こちらから画面が切れてないPV見れますhttp://youtu.be/tOPSvD7Tpq0


最後を締めくくったのは、まさに「希望という花を」。これはピアニストの村松氏が作曲し、彼のリクエストで被災者へのメッセージを込めた詩を蘭華がつけた。


目頭がじわっと熱くなった。心が真っ白に、ピュアになった気がした。それは、この日、この会場に集まった皆が共有する感覚だったことだろう。僕のテーブルには蘭華を始めてみるというお客さんが何人かいたが、感極まっていた。「なんて素敵なの」と感嘆の声も聞かれた。
歌い終えた蘭華が深々と頭を下げて、感謝の言葉を述べて、すそに下がると、大きなアンコールの拍手が続いた。
リクエストに応えて再びステージに現れた蘭華が歌ったのは、あの「草原情歌」。
揚琴の悲哀に満ちた調べが、中国の草原の風を呼び起こすように空気を震わすと、細く美しい声が天から降りてきて響きわたる。中国語で歌われるAメロの意味を分かる客は多くなかったろう。だけれど、記憶の奥底の何かが呼び覚まされる。その切なさといったら。(二胡バージョンはこちらhttp://youtu.be/du3BCp1UgoE)
大きな余韻を残し、幕となった蘭華の俳句ライブ。美しいものを体験したなあ、と感慨深し。
印象強く感じたのは、言葉の持つ美しさだ。大切に丁寧に紡いだ言葉は、伝わるのだ。それが五七五の17文字だけだとすれば、なおさら一言ひとことに気を配る必要がある。世上は言葉遣いの乱れを指摘する声が溢れているが、つくづく、この言葉の美しさを取り戻してもらいたいと思う。蘭華の歌には、そんな力もある気がする。
次のライブ、決まってないようだが、早く開いて欲しい限り。楽しみに待っていよう。
蘭華のホームページはこちら
http://www.rankaweb.com/index.html
<第一部 ミニ句会>
蘭華+薬師川先生のトークセッション「俳句とは」
来場者の作句タイム
お題は「蘭華」「さくら」「銀座」だったかな?
<第2部 蘭華ワンマン>
1)あなた
2)夢の途中
3)あの街を離れて
4)黄昏のビギン
5)蘇州夜曲
~~~~ヤンチン独奏~~~
~~~~俳句表彰~~~~
6)俳句コラボ曲
7)ゆれる月(new)
8)花時(new)
9)maama
10)大切なものへ
11)希望という花を
en. 草原情歌