ちょっと前になるが、詩-uta-企画「月ときどき太陽vol.6 ~激しい女子の会~」を見に、渋谷O-crestへ行ってきた。激しい女子?まさに僕の好み。そして、今夜の出演者全組、気に入ってるアーティストばかり。詩ちゃん、素晴らしいブッキングだ!
出演者は切り込み隊長の菅田紗江、火付け役のVIVAROSSA、ハートクラッシャーのヒグチアイ、心理攻撃(笑)の小林未郁、美味しい所持っていく隊長、詩ちゃんの実に個性的な5組だ。
攻めてる姿勢が前面に出ているだけで、もうかなり好きなのだが、この5組の演者はさらに上手い。それぞれのスタイルで、激しく攻め立ててくる。その熱さに、ライブは最初から最後まで大いに盛り上がった。
今、あのライブの熱を思い返しながら書いていて、ふとある文章を思い出した。
先日、道尾雄秀介の「ラットマン」を読んだ。数年前から最も好きな作家の一人で、あらかたの作品を読了しているが、この作品だけまだだった。昨夏に文庫が出た時に初版購入したのだが、同時に買った別の本を読んでいるうちに本棚に埋もれ忘れていた。このほど何度も候補に挙がっていた直木賞をようやく取ったというニュースで思い出し、1日で読んでしまったのだが、その解説が面白かった。
大沢在昌が書いているのだが、道尾秀介の作品に出てくる人物は、人生を左右するような事態にありながら、がむしゃらさ、一所懸命さがないことに違和感を感じると指摘。それを「平熱」と形容していた。これに対し、大沢在昌の作品の登場人物は「熱い」……20歳違いの二人の作家の違いを、日本人の変質だと結んでいる。
大沢在昌はご存知「新宿鮫」シリーズほか、沢山の代表作を持つハードボイルドの第一人者。
彼の言わんとしたことは、音楽シーンにも通じるなあと思った。最近のバンドに昔は見かけなかった「平熱」なバンドが増殖していて、その中から「世界の終り」とか、かなり流行る存在も出てきた。個人的には、そういう平熱なアーティストって、あまり興味感じないのだ。
それよりラットマンの解説にあった大沢在昌の言葉を借りれば、「人が死ねば傷つき、怒り、その行為者や動機を強く知りたいと願い、体温を高める」熱い人間味に惹かれる。
またこんな言葉もあった。「(道尾作品の登場人物たちは)変えられるものと変えられないものの境界をはっきり知っている、そんな気がする。変えられるものを変え、その勢いで変えられないものまで変えてやるぞと意気込んでしまう、ドン・キホーテ的な勢いが私の登場人物にはある」と。
音楽をやるって、かなりの覚悟がいる。簡単に言えば、一握りの恵まれたアーティストを除き、音楽だけで食べてはいけない。ライブのノルマや機材の購入・レンタル費、レコーディング費用やボイトレ代などを捻出して、その上で生活費も工面しなければいけない。
実家に住んで、生活費がかからないなら、かなり恵まれている。ましてや若くして事務所に注目されて、生活できる水準の給料もらえるならば、なおいいが。
それでも成功とは何なのか。果たして何を求めて歌っているのか。そんな自問を繰り返しながら、何か大きなものに向かっていくドン・キホーテ的なパッションを、アーティストは多かれ少なかれ抱いている人が多い。内向的な性格ながら、心に溜まった想いを吐き出すような攻撃性をみせる歌手も多い。
気持ちが表に出てくるアーティストが、僕は結構好きなのだなあと、つくづく思う。それは世代も多少あるかもしれない。この日、O-crestに参集した5人のアーティストが同世代に広く受け入れられてない面から分かるかもしれない(小林未郁さんは、ちょっと違う意味でかもしれないがw)。「平熱」な人が一般化した現代では、広く受け入れられにくいのだ。そこに時代の変質を読み取ることも可能だろう。
だが、この熱いアーティストたちはみな本物だった。例えば、この日の一番手に登場した菅田紗江。
「私、渋谷とか新宿とか人がいるところが嫌い。だから電車も乗りたくない」とか「私、嫌われることは全然怖くない」と話す彼女はとても内向的で、渋谷で遊んでいる彼女の同世代の女の子とは全く異質にみえる。
ところが、その彼女の音楽はまさに脅威。小さい体で激しくギターを掻き鳴らし、たたきつけるように歌いあげる彼女のステージからは、何か大きな手が客席に伸びてきて、自分たちをつかもうと襲ってくる錯覚さえ覚える。その迫力にしびれる。
この日もそんなステージで、冒頭からサブタイトルの「激しい女子の会」をまじまじと感じさせてくれた。「自己愛」とか、すごく心に響いてくる。
2番手はVIVAROSSA。格好よい女性ボーカルバンドで、詩ちゃん企画にしては異質な存在。しかし、このバンドのボーカル、茨城出身の小橋麻美ちゃんが、とっても、とっても、音楽を楽しんでいて、しかも素晴らしいセンスで、見ていて嬉しくなってくる。
ポップだが、R&B的でもあり、クラブミュージックでもあり、その多彩な音楽にノせられる。時に激しく、時に扇情的に、そしておしゃれに、お祭りのように、バーっとテンションを上げてくれた。またライブで聞きたいね。
3番手はヒグチアイ。彼女もまた、ピアノ弾き語りアーティストの中では抜きんでて攻撃的で、いまその存在感はライブシーンでぐんぐん増している。
彼女の線が太く強いボーカルを一声聞いただけで、もう耳を奪われていく。その歌力たるや、心の準備していないと圧倒され、のけぞりそうな程だ。
VIVAROSSA麻美ちゃんが歌姫なら、ヒグチアイは歌龍とでもいおうか(笑)
渾身の力で歌いあげる「永遠のウォーカー」や「ココロジェリーフィッシュ」に、ライブハウスの空気は支配され、共振する。すごいよ。
その後を受け登場した小林未郁が、また全く違う意味で凄かった。
いや、初めてこの深窓のお嬢風のお姉さんを見た人は、なぜ「激しい女子」の企画に彼女が?と思ったろう。その歌声は綺麗でのびやか、ピアノの伴奏は端正。曲調は耽美的でさえある。歌詞を聞かずに、「上手いなあ」と声に聞き惚れてしまってもおかしくない。
MCでは「今日の出演者の中の私の立ち位置は、内股的な激しさ担当かな」と、分かる人には苦笑を誘う自己紹介。この「内股的な」には実は毒がたっぷりなのだ。
この日歌った「あやつり人形」や「毒」の歌詞をゼヒゼヒ機会あったら、よーく聞いて欲しい。その怖さといったら、真昼のホラー(笑)力のない、声も小さそうな女性が、いかに男を飼い慣らしていくか。まるで自分がじわじわ殺されていくような錯覚に慄然とするよ。
イヤー、これは好き嫌いあって然るべき。だけど、僕はもう抱き締めたくなるほど、こんな歌世界を作り出す小林未郁が好きなんだなあ。
そしてトリは、企画者の詩-uta-だ。その特権?で彼女だけバンドにハンドマイク(笑)
基本的に彼女も、詩で攻めるアーティスト。歌手名にしてしまう位だしね。なのだが、この日は音でも攻撃的。バンドならではの厚みやギターリフで、存分に楽しませる。
彼女もエンターテイナー。詩の主人公になり、時に強く、時に悲しげに、喜怒哀楽を描き出して、惹き付ける。
実は早く帰らねばいけない事情があり、彼女の途中で引き揚げようと算段してたが、盛り上がっていてその機会を逸してしまった。でも最後まで聞けて満足。
詩ちゃん、最高のメンツで心から楽しめる企画、ありがとう。
追伸(笑)「ラットマン」は超オススメの小説ですよ。あるバンドの面々がスタジオで直面する悲劇を、道尾秀介ならではの心理的葛藤劇と、錯覚からくるどんでん返しに次ぐどんでん返し。最後には不思議なカタルシスに包まれるという一級の作品だ(そうでなければ直木賞や、あらゆる文学賞を総なめできる訳ないしね)。ミュージシャンや音楽好きは、ぜひお読みください。