むかし、むかし、僕は高校生のころ、アフリカ最貧国の一つだったモーリタニアという国の「大使」としてある国際会議に臨んだ。
何ヵ月も前から国の歴史から政治状況、国際会議での発言録を調べ、彼の国の代表として相応しい言動を身に付けるべく準備し、その「開発会議」に出席した。そして会議では、先進国や政治力を持つ国々(の「外交官」)や、スタンドプレーに走った同じアフリカのシエラリオネ「代表」らに振り回され、ほとんど自国の主張を述べるだけに終始し、会議を動かすこと何もできなかった。(学生の国際問題への意識を高め、国際人育成を促すための模擬国連会議でした)
ただ悔しさが残った。会議を主導しないことが「最貧国」の正しい振る舞いだったとしてもだ。国際政治の中で、経済力も軍事力もない貧者は無力だ。そして、そんな国について知れば知るほど、何か自分でもできないか、という気持ちは募った。学生時代、様々な国際支援活動やボランティアに加わった。そして、就職し、様々な経験を積み重ね、月日は流れた。今、そんな初志は何処にいったのだろうか。様々なこと思い出させてくれた今宵のイベントだった。
立教大学の教室で、廻田彩夏の歌を4ヶ月ぶりに聞いた。先日紹介したピース・ウィンズ・ジャパンの活動を紹介する会のヒトコマでだ。
彼女の歌は、昔と変わらず力一杯のマワリー節で、全身全霊で気持ちを伝えようとする姿に元気と笑顔をもらった。今日の会の主旨に沿って、自分が世界の平和にどう関わり始め、どんな活動をして、どんな楽曲を作り、歌ってきたか。話がメイン、歌は手段といった構成で、計4曲歌った。
1)Colored Rainbow
2)カシグレ
3)キンモクセイ
4)地球の迷子
久し振りとあって、さすがにピアノの指運びや高音の伸びなどはやや苦しげな所もあったが、そこは愛嬌だ。多分、マワリーの歌を聞きに来た人は、彼女に完璧な歌唱力を求めている訳ではない。多かれ少なかれ、歌で「笑顔の連鎖」を世界に広げたいという思いを語る彼女への共感や興味、そんな信念が映し出された楽曲の素敵さ、何より彼女自身の笑顔などに親愛を感じているのだと思う。自分もその1人だ。
彼女が就職活動を通じ、自分の生き方や将来進むべき道を頭の中で整理し、「私が今まで誇りを持ってやってきた歌は、大学卒業と同時におしまいにしようと思っています」と彼女がブログで明らかにしたのを読んだときは、少々…いやかなり残念に思った。それだけに、今日、彼女が何を話すかはとても気になっていた。
そして、今日、彼女はその「野望」を語ってくれた(笑)
それは、「世界中に笑顔を増やすことをテーマに日本でも、世界でも歌ってきた。ただCDの売り上げを寄付したりすることは、一時的な支援になっても、貧困などで苦しんでいる人たちが将来にわたり、安定的に暮らしていけるようできるものではない。恒久的な『幸せ』につながらないのが悔しい。だから私は、歌とは違う方法で、『笑顔の連鎖』を作っていく野望を、もっと現場の近くでやっていきたい。そして10年後か20年後には自分でNPOを作り、ビジネスの形態を通じて、世界の貧しい子供たちにちゃんと勉強でき、働ける環境を実現させていきたい」といった内容だった。
この「」内の言葉は、MCで語った彼女の言葉に、演奏後の質疑応答で「その野望って何ですか」という質問に対する彼女の答えを僕が合わせたもので、そのままの内容ではないこと断っておきたい。だが、質問者(彼女の先生だが)も思わず聞きたくなった、あるいは彼女の回答を学生たちに聞かせたくなった、彼女が使った「野望」という言葉があまりに印象的だった。その具体的な手法、特に当面の就職先については語られなかったが、彼女が人生をかけて挑む内容は、長い時のなかで自ずと明らかになっていくことだろう。
ただ、「歌」は彼女の世界平和への手段であり、彼女がそれ以外の様々な手段にこれから挑もうとしているということだ。そのチャレンジは壮大で困難なものだろうが、持ち前の明るさと頑固さ(笑)で彼女なら実現できるのではないか、と思えてくる。彼女はそういう宿命を持って生まれてきたのではないかとさえ思えるのだよね。
今、世界のキーワードは「sustainable」(持続的)だ。
80年代以降、ダボス会議などで、世界の経済が持続的に発展を続けられるのかが問われた。中国やインド、他の途上国での人口爆発の結果、世界の民は将来も十分に食料を確保できるのかも重大な問題として議論が続いている。そしてこの10年余りは、地球温暖化などから地球という星が持続的に人類の生存に適した環境を維持できるかが真剣に問われている。経済が不況に襲われるたびに多くの企業が潰れ、企業の持続条件は何か様々な意見が提起されている。
一方で、常にたな晒しとなっている世界の貧困問題への解決は、一向に進まない。リーマンショックで失われた富の100分の1でも途上国支援に回されていれば、かなり大きな貧困解決の一歩が刻まれたことだろう。だが、富はより富めるもののもとに集まり、持たざるものはさらに失うのが現代世界だ。
国が、自国の失業者対策や福祉に問題山積しているときに、海外の貧者へ税金を回すことに積極的になれないものだ。ある意味、それが有権者の意思でもある。一人ひとりの小さな善意は、立法府や行政府が反映するのは構造的に難しいものだ。そこで昨今、国にできない分野を埋めるNPO/NGOの活動が注目されている。国家として支援するところもある。
ただ、一方でこうしたNPO活動でよく聞かれるのが、「ボランティア疲れ」「支援疲れ」だ。今日のPWJの斉藤さんも語っていたが、彼のように8年間もそうした活動に従事し続けている人は少ない。厳しい環境で、犠牲的精神で貧困や救済活動にかかわり続けるには限界があるのだ。経済的な問題や、国際政治の問題もある。いくら手を尽くして種を植え、井戸を作っても、援助した人たちがそれを生かせない、あるいは砂漠化や内戦などが発生し、すべてチャラになることも多い。その徒労感に心はくじけがちだ。
善意だけで、持続可能な援助活動は難しいのが現実だ。だから今、世界でビジネスを持ち込み、共に収益を上げられる仕組み構築して、持続的に貧困解決を進めていく試みが続いている。有名なところでは、スターバックスコーヒーなどが南米のコーヒー農園とその貧困な従業者と利益分配の割合を明白にして取り組むフェアトレードコーヒーであり、ノーベル平和賞を受賞したグラミン銀行という貧困者を対象にした低額無担保融資ビジネスであり、山口絵理子さんが立ち上げたマザーハウス(バングラディッシュで、地元のジュートと呼ばれる麻でデザイン性の高いバッグを作り、先進国に輸出販売することで、貧困な同国に経済基盤を築く)などだろう。
多分、マワリーのやらんとしているのは、この山口絵理子さんのような試みなのではないか。その具体的な手段はまだ不明だが、その一歩を今度の就職で踏み出すということではないか。彼女が持ち前のシンパチコで共感者を増やし続け、粘り強く取り組むのなら、その規模の大小はわからないが、成果は期待できるのではないかと思う。それは10年後かもしれないが、彼女が声をかけて応援を募るなら、自分も協力したいと思う。
先生もPWJの斉藤さんも学生たちを意識して話していたが、「青年よ、野望を抱け」だ。廻り道の波乱万丈もまた、人生楽しい、ということです。マワリーのこれからに期待
