昨夜、ふっと時間が空いた。近場の赤坂グラフィティの予定を見ると二足のサンダル(この日は2人がソロで対バンという珍しい形態でしたが)が出演している。前から2人でやるのを見たいと思っていたので(さとえちゃんのライブは何度か見ている)覗いてみることに。この時点で、松岡里果はまだ主目的ではなかった。
でもライブ後には、彼女はすでにお気に入りアーティストに

案の定、固定ファンとおぼしき男性が多数来場していて、ビデオ5台位、カメラ数知れず、レコーダーまで回していた(この日は撮影OK)。また、応援の手振りまで一部で統一した動きも。なかなかです。
1)雨のにおい
2)夢半ば
3)ほろり君思ふ
4)wing
5)おかえりなさい
6)月とココロ☆
7)花咲く春に逢う
どうエンターテイナーかって?例えばこの日のオープニングの演出だ。
暗転。いきなりの雷鳴(効果音です)。夕立(同)。雨音に混じってアコギのアルペジオ。そこに傘をさして里果ちゃん登場。ステージが夕立を避けて駆け込んだ軒下の光景に見える。そのまま「雨のにおい」。松岡里果ワールドに引き込まれる。
前奏や間奏には、彼女自身がフルートを吹く。歌っている時は、そのフルートをステッキのように使う。そしてステージ上を右へ左へと動き、全てのお客さんと目線合わしていく。撮影のビデオやカメラにもしっかり目線を送る。こういう所嫌う人もいるが、僕は高評価。全身でリズムを刻み表現しようとしており、ステージの幅や奥行きがぐっと広がる。いいじゃないか。
ただこれだけなら、まさにAKBのようで、当初抱いていたアキバ系という見方もあながち外れていない事になる。メロディーラインもわりと王道。分かりやすく、アイドルが歌っていても違和感ない。
だが、2つの点で違った。彼女ならではの魅力を作り出している要素があるのだ。
1つは声。第一声を聞いて驚いた。ハスキーで低く太い。勝手にアニソン風と思っていたからギャップにやられた。
そしてもう1つ。これが一番僕の心に響いたのだが、万葉、まほろばの心、とでもいおうか。
日本語は、世界でも類をみないほど季節の移り変わりや自然の姿、色や音を表現するボキャブラリーが多い。平安のころからの歴史だ。いにしえの日本人の感受性がいかに豊かで繊細だったか。
逆に現代人の自然を感知する力や、表現する言語感覚がどれだけ衰えてしまったことか。大変、残念だと思う。だから俳句や短歌に記された短い言葉にはっとする事も多い。
そうした日本人ならではの単語や表現を、松岡里果は詩に積極的に取り入れている。それだけでなく、彼女自身のものにして、違和感なく歌えているのだ。彼女自身が自然や季節、色や音に対する優れた感受性を持ち合わせているのだろう。冒頭に言った「若いのに」という感想は、まさにここにかかっている。
そして、演出の根底にこの季節感を置いている。途中、ギターのトラブルで必要以上に長くMCでつながなければいけない場面があり(おかげでCD500円引きで購入できたので客はラッキー?)、演出の狙いや場面ごとの解説を話してくれたが、季節感をとても大切にしている事がよく分かった。
この日のテーマは、「冬。そして春を待ちわびて」。寒から暖へ、表現できていたと思う。「wing」という曲では、雪雲が去り澄みきった青空を飛び回り、「花咲く春、君思ふ」では、しばれた手足に血が通い出し思わず催す眠気のなかでひねもすあなたを想う気分になった。勝手な解釈だけど。
次回ライブは「春夏秋冬」でやると言っていた。楽しみじゃないか。
感受性って持ち合わせていない人には見えなかったり、聴こえなかったりするもの。自分が灰色に見える田園風景も、彼女には生命が躍動する息吹に満ちた彩の国なのかもしれない。彼女のいう「松岡里果脳内への聴音旅行」という名のライブに、また是非行きたいと思う。
今年は平城遷都1300年。奈良に脚光が集まっている。そんな年に、アーティストとして急成長している巡り合わせ。今年、奈良出身で万葉の心を持つ松岡里果が活躍するのは、時代の必然のような気がするね。
おっと二足のサンダル忘れてた(ごめん)。詳しくはまた書こうと思うが、とても温かいアットホームなステージでした。クールそうで繊細なドジ?な斉藤恵ちゃんと、母親かおばあちゃんのような(里果ちゃんの言葉です,笑)あべさとえちゃんが組んでいる妙は、もう少し見てみたいね。