いやー、昨日は暑かったねえ。東京で最高34℃に。
都心の外は照り返しで熱気が揺れていました。
そんな中、7月30日@表参道FABに行ってきました。
お目当ては倉沢桃子と森恵。それぞれ聞くのは2度目と3度目だ。
ちょうどOpening Actの「eika」のステージが始まったところに到着。童顔、短い金髪、ぼろぼろジーンズでギター鳴らしてステージに立つ彼女はまるで少年のよう。目がキラキラとライトを反射して北欧の子ども向けの人形のようでもありました。
まっすぐな声でのびのびと歌っていて好感。ラストの曲「東京メトロ」のさびの「東京メトロに乗っかって~♪」が印象に残りました。会場を明るく盛り上げてくれ、暑い夜の予感を振りまいてくれました。
なのに………
やってくれました。倉沢桃子。(悪い意味じゃないですよ)
舞台にすっと現れ、お客さんがまだざわついている中で
いつのまにか静かなギターアルペジオ。
徐々に静まるなかで、歌いだすと一気に会場の空気が寒い夜へ。一瞬にして張り詰めた倉沢ワールドの開演です。
歌いだしの詩はこんな感じ
♪「こんな冷たい雨が降る夜は
あなたと傷のなめあいをするに限ります
(中略)
世界で一番悲しいキスをしよう…」
静かに語りかけるように歌う彼女の言葉が、はっきりと脳に染み透る。
曲を聴くぞー、とまだ集中できていなかったのに、
歌い始めた彼女の詩の冒頭から、こうして鮮明に記憶に残るなんて。
こんなにはっきり詩が伝わってくる歌手は珍しい。
2曲目
「どこか遠くへ行きたいな
つぶやいた言葉は自責心になり
仕事に行かなきゃ
よく頑張ってるなと言われると
なぜかとても不安になる
ほめ言葉も素直に受け取れず
裏を探す
信じられないのは他人じゃなくて自分自身だ
生きることは単純で
大げさにうけとめて意味を求めがちだけど
人間らしく頑張っている」
桃ちゃんに吸い寄せられながら、思わず手が詩を書き留めていた。間違っているところも多いだろうけど、一つ一つのフレーズがずしっとくる。
詩のワンフレーズ、選択された言葉の一つ一つが、彼女のなかでしっかりと形作られているのが分かる。
どんな作詞の作業だったのだろ。
心の内へ内へと意識を向けて、最適な単語を探り当てる作業を根気強く、いくつもの夜と朝を超えて、紡いでいる姿が目に浮かぶ。昔話にある月夜に機織りする鶴みたいなイメージだ。
作詞は苦手という歌手は多い。作詞は簡単と、かろやかに詩を作る歌手もいる。だが、そうした詩は曲にのせるのに適当な言葉を探しながら作っている場合が多く、ノリが良いだけってのも多い。詩としての完成度や、突き詰めた言霊の力で惹き付けることは極めて稀だ。
桃ちゃんの詩の力は、その語りの素晴らしさと合わせて、すごい説得力だ。
MCで、「私は暑いのは嫌いです。だから家でクーラーをがんがんかけて、ベッドでいつも本を読んでいます」と話すほど内向的。MCは客に語りかけるものだけど、彼女は空気に語っているよう。コミュニケーションを拒むかのような、冷たい壁を自身の周りに張り巡らしている感じ。
彼女は女優だ。
演技力もある。
そして内向的。
なぜ、歌で舞台に立っているのだろうか。
なんのために歌っているのだろう。
「余計なお世話」と言われそうだが、気になってしまう。
内面を詩に載せて歌うインディーズのアーティストとしては、
堀川ひとみがいる。
彼女の心の闇は光のない暗黒で、聞き手はそのブラックホールに引きずり込まれる。でもそれがおどろおどろしくて、心地良い。
それは、彼女が優れた美意識や歌の技術で意図的に聞き手を彼女の世界に巻き込もうとしていることが、暗黙の了解としてあるから。これはコミュニケーションの一手段であり、芸術鑑賞と同じ。実際、彼女は自分のファンを広げることに力を注ぎ、ライブ後に必ず応援団との飲み会で盛り上がっている。僕はかってに和製フレンチポップの名手として彼女を評価している。
桃ちゃんは違う。
舞台人として、聞き手に一言一言の詩をわかりやすく歌うことに細心の注意を払う姿は、サービス精神があるといえなくもない。
でも舞台上と客席は断絶しているんだな。
最後の曲だったか、「光の道」を歌った。
多分その中の歌詞と思うが、
「少しずつ変われる気がする」とあった。
桃ちゃんは光の道を進もうとしているのだろうか。
変わろうとしているのだろうか。
なぞだ。