前回は、「祈りの手紙43」を記しました。
私は引き続き、このブログを通して福音を述べ伝えていきたいと考えています。
聖霊の時代を迎えた今、私たちはこれまで以上に聖霊を受けやすくなってきていると、RAPTさんの「御言葉」で知りました。
そして、聖霊を豊かに受けるには「祈り」と「賛美」が不可欠だということを教わりました。
「祈り」と「賛美」によって神様と一体となり、聖霊に喜ばれるような生き方を追求する必要があるのです。
では具体的に、どのような形で「祈り」と「賛美」を捧げたら良いのか?
まず、「賛美」についてはネット上の動画を視聴し、お気に入りの讃美歌を繰り返し口ずさむのが一番の方法でしょう。
中でも、絶対に外せないのはRAPTさんが作詞作曲された音楽です。
○RAPT『愛される人』MUSIC VIDEO
○RAPT『神はすぐ傍にいる』MUSIC VIDEO
○RAPT『蛹から蝶へ』MUSIC VIDEO
○RAPT『いのりのちからで』Music Video
初めてRAPTさんの音楽を視聴した時は、既成の讃美歌とはあまりにも違っていたので、驚きを隠せませんでした。
と同時に、「これぞ聖霊の時代に相応しい、新しい讃美歌だ!」と思いました。
音楽のことは詳しくない私でも、その歌声とリズムがいつまでも私の心に深く刻まれていくのを感じたのです。
それらの音楽に共通するのは、RAPTさんの清々しさと温か味のある心音であり、神霊でありながらも親しみやすいものに仕立ててある点です。
私自身まだまだ、しっかりと歌いこなすレベルには至っておりませんが、さまざまな場面で楽しみながら、心を込めて賛美して歌っていきたいと思います。
一方、「祈り」については、できるだけ自分の言葉で、神様と会話するような気持ちで祈っておりますが、中々長時間祈るということができません。
朝の1時から4時30分までの祈りの時間に合わせて祈ろうとしますが、同じ言葉を何回も繰り返すだけで、仕舞いには祈りのネタがつき、何を祈ったら良いのか思いつかなくなってしまい、挙げ句の果ては睡魔に襲われて眠りこけてしまうのです。
やはりここは、「御言葉」の力を借りるしかありません。
朝の祈り会で十二弟子の皆さんが祈っておられるように、私も「御言葉」を授かった直後に感謝の意を込めて祈るという取り組みを試みてみようと思いつきました。
本来は言葉を発して祈るというのが一番良いとは思いますが、言葉をスムーズに発することが苦手な私は、言葉を文字に変換して祈るという方法を取りたいと思います。
どの「御言葉」を受けての祈りなのかが分かるように、「御言葉」が発信された年月日と要約文を最初に掲げて、その後に祈りを捧げるという形で進めようと思います。
題して「祈りの手紙」です。
皆様も、どうぞ一緒にお祈りしてください。
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RAPT朝の祈り会(2026年5月7日)
イルミナティは6年前のコロナパンデミックと同じように、今再びハンタウィルスのパンデミックを捏造しようとしている。彼らの計画が完全に阻止されるように祈りなさい。6年前とは違って、神様がこの地上を掌握しているから、義人が祈るなら必ず彼らの計画を阻止できるだろう。
RAPT有料記事1019 (2026年5月9日)おおよそ人は自分の欠点・弱点を指摘されても、それがいかに悪いことか分からない。だから、神様はそれを分かって直すまでその人を艱難苦難で打ち、練達なさる。
祈りの手紙44
聖なる神様、いつも豊かな「御言葉」を与えてくださっていることを心から感謝します。
ありがとうございます。
神様、本当に申し訳ございません。
「御言葉」に従って生きることができないこの私を、どうか憐んでください。
神様の今回の裁きによって私は、神様のお怒りをひしひしと感じ、悲嘆に暮れる日々を過ごしておりました。
あの時、確かに不思議な印と奇跡が起きました。
明らかにそれは、神様がお怒りであることの印だと受け止めました。
あれから私は、神様の恐ろしい裁きに、ずっと怯えて生活しておりました。
と同時に、これまで以上に神様の存在を確信したのです。
そして、「御言葉」に忠実に生きることの重要性を改めて痛感したのです。
この度の神様のお怒りは、私が異教徒の神(サタン)に与する行いをしてしまったのが原因であると受け止めています。
そのことが罪であると分かっていたにもかかわらず、その罪から抜け出すことができなかったのです。
その間、私の中には二人の人格が存在している状態でした。
一方は神様を崇める自分がいて、もう一方はサタンに与する自分がいたのです。
これら二人の人格によって、私の心はズタズタに切り裂かれ、ずーと悶え苦しんでおりました。
この間私は、まともに神様の方に顔を向けることができない状態でした。
正に、アダムとイブがそうであったように、とても神様の御前に姿を見せることができる心境ではなかったのです。
自分が如何に中途半端な人間であり、如何に勇気のない人間であるかを痛感し、神様を裏切るような行いをしてしまっている自分を責めるしかなかったのです。
正に、サタンの思う壺となっていたのです。
今、こうした公の場で、私の罪について具体的に述べることは控えますが、この度のことは私の弱さ故に犯してしまったことであり、兼ねてから克服しようとしても中々乗り越えることのできない私の欠点がまたもや露呈してしまったというわけです。
過去の自分を振り返ると、いつも私は周囲の目を気にして、自分の信念や主張を押し通すことができない不甲斐ない生き方をずっとしてきたように思います。
同調圧力に屈し、嫌なことは嫌だと、きっぱり断る勇気がないのです。
人と対立して喧嘩になるくらいなら、自分の気持ちを押し殺して、その場が丸く治ればそれでいいという方向を優先させてばかりいるのです。
結局私は、長い者に巻かれろという安易な方向に走ることしかできない、浅はかな人間だということです。
信仰が薄いと言われればそれまでです。
強い信仰があれば、そのような欠点・弱点はおそらく、簡単に乗り越えられるのかもしれません。
神様に祈り求めれば、もっと強い人間に生まれ変わることができるのかもしれません。
嗚呼神様、私はもう救われることはないのでしょうか?
今更、山羊が羊に変身することは不可能でしょうか?
山羊が羊になることを憧れ、羊たちの幸福を祈ることは許されますか?
羊の群れに加わることができないのであれば、せめて義を貫く羊たちを陰ながら応援する者であり続けたい。
第一線で働く羊たちの祝福を祈り、神様の歴史が成就されることを心から応援する者であり続けたい。
たとえ神様から「あなたは山羊だ」と宣告されても、サタンの仲間に入ることは真っ平ごめんです。
人類を不幸に陥れようとするサタンや悪人たちが、もうこれ以上のさばるようなことがあってはなりません。
コロナパンデミック騒動のようなことが、もう二度と起こってはいけません。
たとえ神様から「あなたは山羊だ」と宣告されても、私は祈り続けます。
サタンや悪人が滅び、義人が祝福されるような世界になることを心から祈ります。
中心者が仰る通り、中途半端な信仰ではサタンの攻撃から身を守ることはできません。
一から出直しです。
信仰の4本の柱をしっかり立てて、一から出直します。
たとえ神様から「あなたは山羊だ」と宣告されても、神様に縋りついていきます。
たとえ中心者から「あなたは工作員だ」と疑われても、「御言葉」を聞き続けていきます。
神様に祈り求めて、自分の欠点・弱点を克服できるよう、もがき続けます。
どうか神様、私にチャンスをください。
もう一度、神様の歴史に加わることのできるチャンスをください。
たとえ艱難や試練が自分に迫り来たとしても、そこから逃げることなく、強い信仰者となれますことを心から祈ります。
自分の欠点・弱点を克服し、神様の体として使っていただけるまでに成長できますことを心から祈ります。
自分に迫り来る艱難苦難はすべて神様からの練達なのだと考えて、それら全てを乗り越えられますように。
この世の人に意識を向けるのではなく、神様を見る者となれますように。
いついかなる時も、自分の中心に神様を置き、神様を第一に思い、神様を第一に愛する者となれますように。
神様の心を見詰め、神様を喜ばせようとし、神様の思いに心を合わせ、神様に寄り添って生きる者となれますように。
それによって神様との愛の関係が、より深くより安定したものとなり、満ち足りた幸福の中で生きる者となれますように。
すべての人が、神様を第一に愛する者となり、感情に支配されることなく、理知に基づいた関係を築き、真の愛で互いに愛し合う一人一人となれますように。
そして、この世の全てが神様にとって都合の良い世界となって行きますように。
この日本においても、神様を讃える真の文化・芸術が主流となり、サタンに支配された社会構造から全て脱却できますように。
ハンタウィルスのパンデミックを捏造しようとしているイルミナティの計画が完全に阻止され、もう二度と彼らがこの地上で悪事を働くことがないよう、神様の裁きが強力に下されますように。
今の状況が、どんなに私たちにとって不利な状況に見えても、必ずその状況を覆せると信じて祈る一人一人となれますように。
「御言葉」を聞いて救われている兄弟姉妹たちが霊肉魂ともに大きく成長し、神様の御心を壮大に成し、それによって全人類の救いが成されていきますように。
全ての義人たちが力強く伝道し、この世の多くの人々に不思議な印と奇跡が起こり、神様の歴史が着実に成されていきますことを心から祈ります。
これら全てのことに感謝して、愛する主の御名によって祈ります。
アーメン。
(2026.5.10)