前回は、「ヘブライ人への手紙9」を紹介しました。
聖書を読む目的は、御言葉を実践に繋げていくためです。
単に、知識を得るためだけに終わってしまっては、宝の持ち腐れになってしまいます。
聖書を読むことによって、如何に実践に繋げ、如何に自分の信仰に深みを与えていくかが重要になってきます。
単に、物語や歴史的事象を読み解くだけに満足してはいけないのです。
如何に己の信仰に活かし、実践していけるかが重要なのです。
そのことを、常日頃から教えてくださっているのがRAPTさんです。
○RAPT有料記事762(2023年7月29日)全てのよこしまな心をなくし、神様をまっすぐに一筋の心で愛してこそ、真理を無限に悟り、吸収し、サタンに完全に勝利し、偉大な大使徒へと成長できる。
このRAPTさんの御教えを念頭に置きながら、今後も聖書紹介を続けていきたいと思います。
そこで、今回は「ヘブライ人への手紙10」を紹介します。
まず、この手紙の書き手は誰か?という問いに対して、さまざまな意見があり、はっきりと断定できるものが示されていないのが現状です。
しかし、この手紙のタイトルから想像できるのは、少なくともこの手紙は、ヘブライ人向けに書かれたメッセージだということです。
ヘブライ人はセム語族に属する一神教信仰のユダヤ教を信仰する民族で、彼らは”神が支配する”という意味を込めて、自身のことを「イスラエル」と呼んでいました。
彼らはエジプトで奴隷になった後、カナン地方でイスラエル王国を建国した人たちですが、彼らの驕り高ぶりによって、神から見放され、その後、滅亡の道を辿ることになります。
旧約聖書には、彼らヘブライ人の系統が詳しく記されていますが、それと合わせて、彼らの神に対する反逆の歴史が刻まれており、旧約時代の神様とヘブライ人との関係は、神様にとって、決して満足できるものではなかったことがわかります。
もちろん、神様の歴史がそこで終わるわけではなく、むしろ、そこからがスタートとなって、新約時代にイエス・キリストを御子として、そして成約時代にはRAPTさんを最後の使命者として、この地に遣わされたのです。
すなわち、神様のご計画には、旧約時代→新約時代→成約時代の流れがあらかじめ設定されていたということです。
この壮大な神様のご計画を知るか知らないかで、人類の救いの歴史は大きく変わります。
いつまでも過去の古い時代の信仰にしがみ付いているだけでは、神様の歴史を成就させることはできないのです。
当時のヘブライ人にとっては、それまでの古い信仰から脱皮して、新しい信仰へシフトチェンジする時期だったと言えましょう。
すなわち、古いユダヤ教の教えにいつまでも縛られるのではなく、新しいイエス・キリストの教えへと、自らの信仰を切り替えて行く必要があったということです。
そして、信仰の切り替えのためには、適切な新しい指導書なるものが求められたと思います。
そのために作成されたのが、この「ヘブライ人への手紙」であったと、私は理解しています。
もちろん、当時の歴史的背景も見逃してはなりません。
この手紙の(10章32〜34節)に書かれている迫害は、西暦60年代半ばに実行されたローマ皇帝ネロによる迫害を指しているのではないかと思われます。
当時のローマ帝国は、ユダヤ教は保護を受けておりましたが、キリスト教に対しては厳しい弾圧の姿勢を示し、キリスト信仰者を迫害していたのです。
迫害時に、ヘブライ人キリスト信仰者の一部はユダヤ教に逆戻りしてしまった者もいたことでしょう。
そこで、迫害下にあるキリスト信仰者たちが信仰を失わないよう勇気づけるために、この手紙が書かれたということも押さえておくべきでしょう。
以上のような新しい信仰に対する偏見と弾圧の歴史は、決して人ごとではありません。
新約時代から成約時代へと神様の歴史が移り変わる、今のこの時期に生きる私たちにとっても、新しい信仰に対する偏見と弾圧の問題は重なる所が多いと思います。
きっと成約時代の信仰者にとっても、この「ヘブライ人への手紙」は多くの示唆を与えてくれることでしょう。
それでは、「ヘブライ人への手紙10」の本文に入っていきましょう。
(新約聖書〈新共同訳〉より抜粋)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ヘブライ人への手紙10
1いったい、律法には、やがて来る良いことの影があるばかりで、そのものの実体はありません。
従って、律法は年ごとに絶えず献げられる同じいけにえによって、神に近づく人たちを完全な者にすることはできません。
2もしできたとするなら、礼拝する者たちは一度清められた者として、もはや罪の自覚がなくなるはずですから、いけにえを献げることは中止されたはずではありませんか。
3ところが実際は、これらのいけにえによって年ごとに罪の記憶がよみがえって来るのです。
4雄牛や雄山羊の血は、罪を取り除くことができないからです。
5それで、キリストは世に来られたときに、次のように言われたのです。
「あなたは、いけにえや献げ物を望まず、むしろ、わたしのために体を備えてくださいました。
6あなたは、焼き尽くす献げ物や罪を贖うためのいけにえを好まれませんでした。
7そこで、わたしは言いました。
『御覧ください。わたしは来ました。
聖書の巻物にわたしについて書いてあるとおり、神よ、御心を行うために。』」
8ここで、まず、
「あなたはいけにえ、献げ物、焼き尽くす献げ物、罪を贖うためのいけにえ、つまり律法に従って献げられるものを望みもせず、好まれもしなかった」
と言われ、9次いで、
「御覧ください。わたしは来ました。御心を行うために」
と言われています。
第二のものを立てるために、最初のものを廃止されるのです。
10この御心に基づいて、ただ一度イエス・キリストの体が献げられたことにより、わたしたちは聖なる者とされたのです。
11すべての祭司は、毎日礼拝を献げるために立ち、決して罪を除くことのできない同じいけにえを、繰り返して献げます。
12しかしキリストは、罪のために唯一のいけにえを献げて、永遠に神の右の座に着き、13その後は、敵どもが御自分の足台となってしまうまで、待ち続けておられるのです。
14なぜなら、キリストは唯一の献げ物によって、聖なる者とされた人たちを永遠に完全な者となさったからです。
15聖霊もまた、わたしたちに次のように証ししておられます。
16「『それらの日の後、わたしが彼らと結ぶ契約はこれである』
と、主は言われる。
『わたしの律法を彼らの心に置き、彼らの思いにそれを書きつけよう。
17もはや彼らの罪と不法を思い出しはしない。』」
18罪と不法の赦しがある以上、罪を贖うための供え物は、もはや必要ではありません。
奨励と勧告
19それで、兄弟たち、わたしたちは、イエスの血によって聖所に入れると確信しています。
20イエスは、垂れ幕、つまり、御自分の肉を通って、新しい生きた道をわたしたちのために開いてくださったのです。
21更に、わたしたちには神の家を支配する偉大な祭司がおられるのですから、22心は清められて、良心のとがめはなくなり、体は清い水で洗われています。
信頼しきって、真心から神に近づこうではありませんか。
23約束してくださったのは真実な方なのですから、公に言い表した希望を揺るがぬようしっかり保ちましょう。
24互いに愛と善行に励むように心がけ、25ある人たちの習慣に倣って集会を怠ったりせず、むしろ励まし合いましょう。
かの日が近づいているのをあなたがたは知っているのですから、ますます励まし合おうではありませんか。
26もし、わたしたちが真理の知識を受けた後にも、故意に罪を犯し続けるとすれば、罪のためのいけにえは、もはや残っていません。
27ただ残っているのは、審判と敵対する者たちを焼き尽くす激しい火とを、恐れつつ待つことだけです。
28モーセの律法を破る者は、二、三人の証言に基づいて、情け容赦なく死刑に処せられます。
29まして、神の子を足げにし、自分が聖なる者とされた契約の血を汚れたものと見なし、その上、恵みの霊を侮辱する者は、どれほど重い刑罰に値すると思いますか。
30「復讐はわたしのすること、わたしが報復する」
と言い、また、
「主はその民を裁かれる」
と言われた方を、わたしたちは知っています。
31生ける神の手に落ちるのは、恐ろしいことです。
32あなたがたは、光に照らされた後、苦しい大きな戦いによく耐えた初めのころのことを、思い出してください。
33あざけられ、苦しめられて、見せ物にされたこともあり、このような目に遭った人たちの仲間となったこともありました。
34実際、捕らえられた人たちと苦しみを共にしたし、また、自分がもっとすばらしい、いつまでも残るものを持っていると知っているので、財産を奪われても、喜んで耐え忍んだのです。
35だから、自分の確信を捨ててはいけません。
この確信には大きな報いがあります。
36神の御心を行って約束されたものを受けるためには、忍耐が必要なのです。
37「もう少しすると、来るべき方がおいでになる。
遅れられることはない。
38わたしの正しい者は信仰によって生きる。
もしひるむようなことがあれば、その者はわたしの心に適わない。」
39しかし、わたしたちは、ひるんで滅びる者ではなく、信仰によって命を確保する者です。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(ヘブライ人への手紙10より)
聖なる神様、ありがとうございます。
たとえ私たち信仰者が迫害と弾圧を受けたとしても、神様の”霊”と繋がれば、ひるんで滅びる者ではなく、信仰によって命を確保する者となれることを教え諭してくださっていることに感謝します。
私たちは、律法には、やがて来る良いことの影があるばかりで、そのものに実体があるわけではないことを聖書から学びました。
律法は年ごとに絶えず献げられる同じいけにえによって、神に近づく人たちを完全な者にすることはできません。
もしできたとするなら、礼拝する者たちは一度清められた者として、もはや罪の自覚がなくなるはずですから、いけにえを献げることは中止されたはずです。
ところが実際は、これらのいけにえの儀式は繰り返され、それによって年ごとに罪の記憶がよみがえって来るのです。
いけにえの儀式を繰り返すという行為は、いつまで経っても罪から逃れられない状態であることを示すのであって、神様は、そのような不義にうんざりとされていることでしょう。
雄牛や雄山羊の血は、サタンは好むかもしれませんが、神様にとっては、もはやそれは不義の象徴であり、偽善的行為であるとして、むしろ嫌悪感すら持たれているのではないでしょうか。
それで、キリストは世に来られた時、神様に向かって次のように言われたのです。
あなたは、いけにえや献げ物を望まず、むしろ、わたしのために体を備えてくださいました。
あなたは、焼き尽くす献げ物や罪を贖うためのいけにえを好まれませんでした。
そこで、わたしは言いました。
「御覧ください。わたしは来ました。
聖書の巻物にわたしについて書いてあるとおり、神よ、御心を行うために。」(10章5〜7節)
あなたはいけにえ、献げ物、焼き尽くす献げ物、罪を贖うためのいけにえ、つまり律法に従って献げられるものを望みもせず、好まれもしなかった。
御覧ください。わたしは来ました。御心を行うために。(10章8〜9節)
第二のものを立てるために、最初のものを廃止されたのです。
この御心に基づいて、ただ一度イエス・キリストの体が献げられたことにより、私たちは聖なる者とされました。
聖書の中で、神様は次のように宣言しておられます。
それらの日の後、わたしが彼らと結ぶ契約はこれである。
わたしの律法を彼らの心に置き、彼らの思いにそれを書きつけよう。
もはや彼らの罪と不法を思い出しはしない。(10章16〜17節)
罪と不法の赦しがある以上、罪を贖うための供え物は、もはや必要ではありません。
私たちは、イエス様の血によって聖所に入れる許しを得たのです。
イエス様は、垂れ幕、つまり、御自分の肉を通って、新しい生きた道、すなわち天国への道を私たちのために開いてくださったのです。
約束してくださったのは真実な方である神様なのですから、これは私たちにとっては何よりも希望となるものです。
私たちは、この希望が永遠に揺るがぬよう、信仰に励む必要があるのです。
常時、神様と繋がって、神様が喜ばれるように信仰生活を送る必要があるのです。
RAPTさんの「御言葉」に従い、義の条件を立てることを怠ったりせず、祈りを通して神様とより深く通じ合いたいのです。
せっかく神様が私たちに与えてくださった愛のご計画を、台無しにしてはならないのです。
同じ過ちを犯さぬよう、絶えず神様と疎通して、自らの霊魂を成長させ、義を貫く者とならなければならないのです。
「かの日」がもうすでに来ているのを私たちは知っているのですから、ますます祈りを通して神様から祝福を受ける者とならなければなりません。
もし、私たちが真理の知識を受けた後にも、故意に罪を犯し続けるとすれば、罪のためのいけにえは、もはや残っていません。
ただ残っているのは、審判と敵対する者たちを焼き尽くす激しい火とを、恐れつつ待つことだけです。
なので、自分の中に不義が残っているのであれば、悔い改めて「御言葉」に忠実に従うことができるよう神様に祈り求め、霊魂を成長させていかなければなりません。
完全な者となれるよう、もがく必要があるのです。
かつて義人たちが、あざけられ、苦しめられて、見せ物にされた時代があったことが聖書に書かれています。
そして、成約時代に生きる今の私たちも、当時の信仰者と同じような迫害と弾圧を受けています。
神様の「御言葉」を足げにし、中心者RAPTさんの活動を弾圧し、その上、恵みの霊を侮辱する者は、どれほど重い刑罰に値するでしょうか。
キリストの霊と結ばれた後、苦しい大きな戦いによく耐えた当時の義人たちのことを、今の私たちは決して忘れてはなりません。
迫害の目に遭った義人たちの思いを受け止め、彼らの願いを私たちは引き継いでいることを心に留めておく必要があるのです。
実際、捕らえられた人たちの苦しみを推し量ることはできませんが、彼らの信仰に対する情熱と神様への愛は共感することはできます。
たとえ財産を奪われても、信仰のためなら喜んで耐え忍ぶことができる彼らの生き様は、今の私たちを勇気づけ、奮い立たせてくれます。
だから、自分の確信を捨ててはいけないのです。
この確信には大きな報いがあるのです。
神様の御心を行って約束されたものを受けるためには、忍耐が必要なのです。
聖書にも、下記のように記されています。
もう少しすると、来るべき方がおいでになる。
遅れられることはない。
わたしの正しい者は信仰によって生きる。
もしひるむようなことがあれば、その者はわたしの心に適わない。(10章37〜38節)
どうか神様、私たち一人一人が神様の”霊”と繋がり、ひるんで滅びる者ではなく、信仰によって命を確保する者となれますことを心から祈ります。
成約時代に生きる私たちは今、喜びと希望に満ちた力強い「御言葉」を授かっています。
もうすでに「かの日」は来ているのです。
2014年にRAPTさんがこの世に登場されてから2023年までの10年間、RAPTさんはどこまでも義の条件を立て、神様から毎日のように啓示を受けて伝えつづけてこられました。
そして、そのRAPTさんが宣布されている「御言葉」によって、いよいよこれから全世界の人々が救われる時が来たのです。
悪人たちがRAPTさんの活動を妨害するからと言って、私たちはひるんではなりません。
「特に中心者に対して悪事を働く者たちに対して、私は容赦なく裁いて滅ぼしていくから心配するな」と、神様は「御言葉」を通して、私たちを励ましてくださっています。
「彼ら悪人のいた場所は、それこそ数日後、数ヶ月後にはどこにも見当たらなくなり、悪人たちの姿も見当たらなくなるだろう」とハッキリと宣言されました。
もうこれ以上、気を揉む必要もないのです。
これから、中心者RAPTさんの名前がますます高められ、中心者が発信される「御言葉」が全地に広まるように、神様は様々な働きかけをしてくださることでしょう。
RAPTさんの名が広まることがないようにと、様々な誹謗中傷をネットに書き込んできた者たちは面目を失い、彼ら自身が嘲笑と誹謗の的となる時が来たのです。
一方、RAPTさんの伝える「御言葉」に従って生きる者たちは、中心者と同じように祝福と恵みに満ちた毎日を生きることができるのです。
これからは、非真理が滅び、真理が栄えていく時代です。
悪人が滅び、義人が栄えていく時代が到来したのです。
どうか神様、御心を成就させるために必要な、様々な知恵を私たち兄弟姉妹に与えてください。
それによって、私たち一人一人が真理をこの世に大きく広められる者となれますことを心から祈ります。
真理は必ずこの世に広まっていくと信じます。
RAPTさんの「御言葉」が全世界に広まっていきますように。
非真理をばら撒く悪人はこれからますます裁かれ、真理を広める者たちはこれからますます祝福されていきますように。
絶えず神様に意識を向けて生活し、その中で自分の中から湧き起こってくる悪をことごとく排除して、サタンに勝利する者となれますように。
「 2023年を境にして、悪の力は歳月とともにどんどん衰えていく」と、RAPTさんは「御言葉」の中で述べられています。
これからは、私たち信仰者を苦しめていた悪人やサタンが苦しむ番です。
中国共産党が滅び、今や全世界の嫌われ者となったように、その他の悪もこれから急速に衰えていくのです。
悪がことごとく忌み嫌われる時代がやって来たのです。
私たち一人一人が、これからも続けて神様の前で立てるべき義の条件を徹底的に立て、それによって、この地が神様の待ち望んでおられる義なる世界、真理に満ちた世界へと変わっていきますことを心から祈ります。
○ RAPT有料記事916(2025年3月29日)神様には悪人を裁き滅ぼす力があるように、真理をこの世に大きく広める力がある。だから、これからの時代、真理は必ずこの世に大きく広まっていくだろう。
そして、どうか神様、RAPTさんの「御言葉」がこれからも私たちの進む道を明るく照らす希望の光となって、全世界で輝き続けられますように。
RAPTさんの「御言葉」を学ぶ一人一人が神様の“霊”と繋がって、輝かしい栄光への道を突き進む者となれますように。
サタンや悪人がすべて滅び去り、この世から全ての悪が消滅し、この世が神様の統治する義なる世界となって、千年王国の歴史が速やかに成されていきますように。
これら全てのことに感謝して、愛する主の御名によって祈ります。
アーメン。
(2025. 4.11)