今回は、「コリントの信徒への手紙二10章」の内容について考察したいと思います。
但し、充分慎重に考察する必要があることを肝に銘じたいと思います。
もし非真理を伝えてしまった時に、神様がお怒りになるのは勿論のこと、RAPTさんや十二弟子の皆さん及び兄弟姉妹の皆さんに、多大な迷惑をおかけすることになります。
ここは慎重に、自分の文章を何度も読み直して、できる限り非真理が混じることのないように努めていこうと思います。
どうか神様、このブログを書き進める中で、少しでも非真理が入り込んでしまった時は、すぐに気づくことができるように導いてください。
もし、非真理が混ざり込んでいたことに気がついた場合には、悔い改めてすぐに訂正します。
どうか私の霊魂を真理で充満させて、神様の御心に適った文章が書けるよう導いてください。
神様の恵みと正しい導きがあることを信じて、ここから本題に入って行きたいと思います。
前回、このブログで「コリントの信徒への手紙二10章」の本文を掲載しましたので、その本文を傍らに置きながら皆様も、お付き合いの程よろしくお願いします。
「コリントの信徒への手紙二10章」では、「パウロの誇り」というテーマで書かれています。
コリントの人々に、真っ先にキリストの福音を伝えたのはパウロです。
コリントに教会が設立できたのもパウロのお陰と言っても過言ではないでしょう。
ところが、その教会の中にパウロを批判する偽教師が現れたことにより、信仰の本流から外れてしまう者も少なからずいたと思われます。
では、パウロを批判する偽教師たちが、具体的にどのような言葉を吐き、どのような振る舞いをしたのか?
その点を意識しながら、(10章1〜12節)に注目してみましょう。
パウロの発言の中に、偽教師たちの人物像が、おぼろげながら見えてきます。
(10章1〜12節)・・・
1さて、① あなたがたの間で面と向かっては弱腰だが、離れていると強硬な態度に出る、と思われている、このわたしパウロが、キリストの優しさと心の広さとをもって、あなたがたに願います。
2わたしたちのことを② 肉に従って歩んでいると見なしている者たちに対しては、勇敢に立ち向かうつもりです。
わたしがそちらに行くときには、そんな強硬な態度をとらずに済むようにと願っています。
3わたしたちは肉において歩んでいますが、肉に従って戦うのではありません。
4わたしたちの戦いの武器は肉のものではなく、神に由来する力であって要塞も破壊するに足ります。
わたしたちは理屈を打ち破り、5神の知識に逆らうあらゆる高慢を打ち倒し、あらゆる思惑をとりこにしてキリストに従わせ、6また、あなたがたの従順が完全なものになるとき、すべての不従順を罰する用意ができています。
7あなたがたは、うわべのことだけ見ています。
自分がキリストのものだと信じきっている人がいれば、その人は、自分と同じくわたしたちもキリストのものであることを、もう一度考えてみるがよい。
8あなたがたを打ち倒すためではなく、造り上げるために主がわたしたちに授けてくださった権威について、わたしがいささか誇りすぎたとしても、恥にはならないでしょう。
9わたしは手紙であなたがたを脅していると思われたくない。
10わたしのことを、「③ 手紙は重々しく力強いが、実際に会ってみると弱々しい人で、話もつまらない」と言う者たちがいるからです。
11そのような者は心得ておくがよい。
離れていて手紙で書くわたしたちと、その場に居合わせてふるまうわたしたちとに変わりはありません。
12わたしたちは、④ 自己推薦する者たちと自分を同列に置いたり、比較したりしようなどとは思いません。
④ 彼らは仲間どうしで評価し合い、比較し合っていますが、愚かなことです。
・・・・・・・・・・・・
太字で示した所をまとめると下記のようになり、偽教師たちのパウロに対する傍若無人な言動が浮かび上がってきます。
① あなたがたの間で面と向かっては弱腰だが、離れていると強硬な態度に出る(10章1節)
② 肉に従って歩んでいる(10章2節)
③ 手紙は重々しく力強いが、実際に会ってみると弱々しい人で、話もつまらない(10章10節)
④ 自己推薦する者たち、彼らは仲間どうしで評価し合い、比較し合っています(10章12節)
上記①〜③の批判内容を見ると、彼ら偽教師たちは明かに、パウロの上部だけの印象を悪く言っているに過ぎないことがわかります。
つまり、パウロの柔和で気さくで謙虚な性格を弱腰だとか、肉に従ってるとか、弱々しい人といった重箱の隅を突くような言葉で貶めようとしているのです。
肝心のパウロが書いている手紙の根幹については一切触れようとはせず、ただ単に肉的な印象を悪く見せることだけに熱心なのです。
パウロが明らかに神様から高次の霊を授かった人であり、力強い御言葉を述べる権能が与えられた人であることについては、あえて目を塞ぐのです。
そして④が示すように、彼ら偽教師たちに共通するのは、人からよく見られたいという自己顕示欲が旺盛であり、彼らは仲間どうしで評価し合い、比較し合って互いの優劣をつけるのに夢中です。
しかも、彼らが批判しているのは肉的側面のみであり、霊的側面には一切踏み込もうとしないのです。
何故なら、霊的側面に踏み込んでしまったら、パウロの前では圧倒的に彼ら偽教師たちが敗北するのが目に見えているからです。
わたしたちは肉において歩んでいますが、肉に従って戦うのではありません。
わたしたちの戦いの武器は肉のものではなく、神に由来する力であって要塞も破壊するに足ります。
わたしたちは理屈を打ち破り、神の知識に逆らうあらゆる高慢を打ち倒し、あらゆる思惑をとりこにしてキリストに従わせ、また、あなたがたの従順が完全なものになるとき、すべての不従順を罰する用意ができています。(10章3〜6節)
私はこれを書きながら、ふとRAPTさんのことを思い出しました。
RAPTさんも、今現在、サタンや人間サタン(偽教師)たちによって、根拠のない批判や様々な嫌がらせを受けておられますが、決してそれらの弾圧に屈することなく、果敢に立ち向かっておられます。
普通の人なら、そのような迫害に会えば、心身共にまいってしまうはずですが、RAPTさんはそうではありません。
自分の周りに如何なる敵(サタン)が現れようとも、霊肉共に満たされて幸福に生きておられることを直近の「御言葉」の中で述べておられます。
RAPTさんもパウロも共通するのは、信仰の力によって不安・心配といった負の感情を超越し、神様を愛し、神様と疎通することで豊かな恵み(聖霊の賜物)を受けておられる点です。
パウロもRAPTさんと同様、さまざまな悪口や根拠のない批判を受けている最中でも、神様から権能を授かったことを確信し、幸福感に満たされていたのは、まず間違いないと思います。
あなたがたは、うわべのことだけ見ています。
自分がキリストのものだと信じきっている人がいれば、その人は、自分と同じくわたしたちもキリストのものであることを、もう一度考えてみるがよい。
あなたがたを打ち倒すためではなく、造り上げるために主がわたしたちに授けてくださった権威について、わたしがいささか誇りすぎたとしても、恥にはならないでしょう。(10章7〜8節)
ここでパウロの口から「誇り」という言葉が発せられますが、それについて、下記(10章13〜18節)のように話が続きます。
(10章13〜18節)・・・
13わたしたちは限度を超えては誇らず、神が割り当ててくださった範囲内で誇る、つまり、あなたがたのところまで行ったということで誇るのです。
14わたしたちは、あなたがたのところまでは行かなかったかのように、限度を超えようとしているのではありません。
実際、わたしたちはキリストの福音を携えてだれよりも先にあなたがたのもとを訪れたのです。
15わたしたちは、他人の労苦の結果を限度を超えて誇るようなことはしません。
ただ、わたしたちが希望しているのは、あなたがたの信仰が成長し、あなたがたの間でわたしたちの働きが定められた範囲内でますます増大すること、16あなたがたを越えた他の地域にまで福音が告げ知らされるようになること、わたしたちが他の人々の領域で成し遂げられた活動を誇らないことです。
17「誇る者は主を誇れ。」
18自己推薦する者ではなく、主から推薦される人こそ、適格者として受け入れられるのです。
・・・・・・・・・・・
このようにパウロが誇れるのも、彼自身がそれ相当の実績を納めてきたからこそできるのです。
コリントの人々に、真っ先にキリストの福音を伝えたのはパウロです。
コリントに教会が設立できたのもパウロのお陰と言っても過言ではないでしょう。
但し、彼の誇りは、単なる自慢話ではありません。
偽教師たちのように、他人からチヤホヤされたい、認められたいという承認欲求の強い輩ではないのです。
彼の誇りは、神様への愛と、コリントの信徒たちへの愛から出た言葉であることを忘れてはならないのです。
その証拠となる言葉が(10章15〜16節)です。
わたしたちは、他人の労苦の結果を限度を超えて誇るようなことはしません。
ただ、わたしたちが希望しているのは、あなたがたの信仰が成長し、あなたがたの間でわたしたちの働きが定められた範囲内でますます増大すること、あなたがたを越えた他の地域にまで福音が告げ知らされるようになること、わたしたちが他の人々の領域で成し遂げられた活動を誇らないことです。 (10章15〜16節)
パウロの願いは、只々、コリントの人々がパウロの働きかけに純真な気持ちで従い、益々霊魂を成長させて、信仰によって幸福を掴んで欲しいということに尽きるのです。
そして、コリントの教会が核となり、キリストの福音が全世界に広まるよう信仰に立ち返って欲しいということでしょう。
偽教師たちのように、他人の功績を利用して「人の褌で相撲をとる」ような厚かましいことはしませんよということでしょう。
真の指導者たるものは自分の功績に酔いしれることなく、全ては神様のお陰であることを真に悟る者です。
まずは神様を第一に愛し、神様の御業を讃え、それに感謝することが先であり、偽教師たちのように、神様よりも人の評価を気にして自慢話と他人の悪口に熱心な愚か者になってはいけないと忠告しているのです。
「誇る者は主を誇れ。」
自己推薦する者ではなく、主から推薦される人こそ、適格者として受け入れられるのです。(10章17〜18節)
成約時代に生きる私たち信仰者も、自己推薦する者ではなく、主から推薦される人になるべく、24時間神様のことを思い、神様から適格者として受け入れられるように信仰に励む必要があります。
ネット社会に生きる私たちは、他人の評価を気にし過ぎて、それに振り回せれて不幸になるという愚を犯してはなりません。
気にしなければならないのは神様であり、他人の評価ではないのです。
サタンからどんなに攻撃されても、これまで受けた神様の恩恵を思い出して、心から感謝し、神様に恩返しすることを忘れてはならないのです。
ここで、RAPTさんの「御言葉」を紹介します。
○RAPT有料記事836(2024年5月13日)サタンからどんなに攻撃されても、神様からどれほど愛されてきたかを絶えず思い起こして感謝し、神様に恩返しする者となりなさい。
この「御言葉」の冒頭部分だけを、以下に転載させていただきます。
(ここから転載)**********
私たちが神様から豊かに祝福を与えられているのを見ると、サタンは激しく嫉妬し、私たちを攻撃しないではいられなくなります。
つまり、私たちがサタンから攻撃されるのは、それだけ神様から沢山の祝福を与えられているという証拠です。
ですから、例え私たちがサタンからどんなに激しく攻撃されたとしても、神様から豊かに祝福されていることを絶えず忘れることなく、神様に感謝しなければなりません。
神様は、私たちが神様に感謝して、神様に恩返しするのを心待ちにしながら、これまでずっと私たちを大きな愛で愛し、私たちを祝福してきてくださいました。
神様はそのようにして、私たち人間と恋人のように愛を成したいと願っていらっしゃるのです。
そんな純粋な神様の気持ちに、私たち人間がきちんと応えて差し上げ、例えどんなにサタンに攻撃されて苦しいことがあったとしても、絶えず神様に感謝を捧げ、愛を捧げていかなければいけません。
そうすると、神様はどこまでも喜んで、私たちのことをますます愛してくださり、さらに豊かな祝福を私たちに与えてくださるでしょう。
**********(転載ここまで)
この話の続きを知りたい方は、直接、有料記事をご購読ください。
聖なる神様、ありがとうございます。
聖書とRAPTさんの「御言葉」のお陰で、気にしなければならないのは神様であり、他人の評価ではないことを悟りました。
ネット社会に生きる私たちは、他人の評価を気にし過ぎて、それに振り回せれて不幸になるという愚を犯してはなりません。
サタンからどんなに攻撃されても、これまで受けた神様の恩恵を思い出して、心から感謝し、神様に恩返しすることを忘れてはならないのです。
どうか神様、多くの人々が他人の評価に振り回されて不幸になるのではなく、神様の愛に気づき、神様に感謝することが真の幸福への道であることを悟ることができますよう心から祈ります。
例えどんなにサタンに攻撃されて苦しいことがあったとしても、絶えず神様に感謝を捧げ、愛を捧げて、神様から喜ばれる者となれますよう心から祈ります。
真に神様を愛して生きることで、神様から祝福を受け、霊肉魂ともに満たされた真に幸福な生を生きられますことを心から祈ります。
自分のために生きるのではなく、心の底から神様のために生きると決心できるまでに、私の霊魂を成長させてください。
神様を愛するという生き方そのものによって心が満たされ、さらには神様から実際に祝福されて、自分の生活がより豊かなものへと変わってきていることを実感しています。
これからも、そのような祝福が受けられますよう、正しく私を導いてください。
多くの人々が、RAPTさんこそが真の中心者であり、神に遣わされた人であることを心底悟れるようにしてください。
中心者の語る一言一言が宝だと思って学び、深く悟れるようにしてください。
RAPTさんが聖なる神様を体現し、私たちを導く希望の光となり、永遠に輝き続けられますことを心より祈ります。
サタンや悪人がすべて滅び去り、この世から全ての悪が消滅し、この世が神様の統治する義なる世界となって、千年王国の歴史が速やかに成されていきますことを心より祈ります。
これら全てのことに感謝して、愛する主の御名によって祈ります。
アーメン ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
皆様に祝福がありますように。
(2024.6.15)