今回は、「コリントの信徒への手紙二4章」の内容について考察したいと思います。

 

但し、充分慎重に考察する必要があることを肝に銘じたいと思います。

 

もし非真理を伝えてしまった時に、神様がお怒りになるのは勿論のこと、RAPTさんや十二弟子の皆さん及び兄弟姉妹の皆さんに、多大な迷惑をおかけすることになります。

 

ここは慎重に、自分の文章を何度も読み直して、できる限り非真理が混じることのないように努めていこうと思います。

 

どうか神様、このブログを書き進める中で、少しでも非真理が入り込んでしまった時は、すぐに気づくことができるように導いてください。

 

もし、非真理が混ざり込んでいたことに気がついた場合には、悔い改めてすぐに訂正します。

 

どうか私の霊魂を真理で充満させて、神様の御心に適った文章が書けるよう導いてください。

 

神様の恵みと正しい導きがあることを信じて、ここから本題に入って行きたいと思います。

 

前回、このブログで「コリントの信徒への手紙二4章」の本文を掲載しましたので、その本文を傍らに置きながら皆様も、お付き合いの程よろしくお願いします。

 

「コリントの信徒への手紙二4章」では、一つ目が「土の器に納めた宝」、二つ目が「信仰に生きる」というテーマで書かれています。

 

新約時代の使徒の務めは「人を義とする」ことであると、第2コリントの手紙(3章)でパウロは述べておりますが、(4章)はその話の続きとなるものです。

 

その「人を義とする」福音が、どれだけ輝かしいものであるかを、パウロは下記のように説明します。

 

(4章1〜15節)・・・

1こういうわけで、わたしたちは、憐れみを受けた者としてこの務めをゆだねられているのですから、落胆しません。 

2かえって、卑劣な隠れた行いを捨て、悪賢く歩まず、神の言葉を曲げず、真理を明らかにすることにより、神の御前で自分自身をすべての人の良心にゆだねます。 

3わたしたちの福音に覆いが掛かっているとするなら、それは、滅びの道をたどる人々に対して覆われているのです。 

4この世の神が、信じようとはしないこの人々の心の目をくらまし、神の似姿であるキリストの栄光に関する福音の光が見えないようにしたのです。 

5わたしたちは、自分自身を宣べ伝えるのではなく、主であるイエス・キリストを宣べ伝えています。

わたしたち自身は、イエスのためにあなたがたに仕える僕なのです。 

6「闇から光が輝き出よ」と命じられた神は、わたしたちの心の内に輝いて、イエス・キリストの御顔に輝く神の栄光を悟る光を与えてくださいました。

・・・・・・・・・・    

 

このようにパウロは、「人を義とする」使命が与えられたのは神様から憐れみを受けた証拠であると捉え、その使命に対して彼自身、誇りを持っていることがわかります。

 

卑劣な隠れた行いを捨て、悪賢く歩まず、神の言葉を曲げず、真理を明らかにすること

 

その使命を全うすることにより、彼は豊かな聖霊を神様から受けることができたのだと思います。

 

神の似姿であるキリストの栄光に関する福音の光が、彼には鮮明に見ることができたのでしょう。

 

「闇から光が輝き出よ」と命じられた神は、わたしたちの心の内に輝いて、イエス・キリストの御顔に輝く神の栄光を悟る光を与えてくださいました。(4章6節)

 

神の栄光を悟るとは、神様の偉大な力を信じ、神様が私たちを幸福にしてくださるという強い信仰を持つということです。

 

神の栄光を悟ることによって喜びと希望が湧いてくるのです。

 

信仰があるから希望が湧き、希望があるから神様への愛が益々増大するのです。

 

このことについては、RAPTさんも直近の朝の祈り会で述べられておられます。

 

○RAPT朝の祈り会2024年4月25日(木)

神様の偉大な力を信じ、神様が私たちを幸福にしてくださるという強い信仰を持ちなさい。強い信仰がなければ、サタンにやられて不安・心配だらけの生を生きるしかない。しかし、強い信仰を持つなら、常にサタンを撃退し、喜びと希望に満たされて生きられる。

 

 

そして、神様の偉大な力を信じるには、神様の“霊”を感じ取る能力を身につけなければなりません。

 

成約時代に生きる私たちにとって、その能力を身につける最善の方法は、RAPTさんの「御言葉」から学ぶことです。

 

「御言葉」を学び、実践することで豊かな恵みを受け、神様の“霊”を感じ取る能力を身につけるのです。

 

この信仰者の肉体の中に入った神様の“霊”のことを、パウロは土の器に納めた宝という言い回しで表現しています。

 

(4章7〜15節)・・・

7ところで、わたしたちは、このような宝を土の器に納めています。

この並外れて偉大な力が神のものであって、わたしたちから出たものでないことが明らかになるために。 

8わたしたちは、四方から苦しめられても行き詰まらず、途方に暮れても失望せず、9虐げられても見捨てられず、打ち倒されても滅ぼされない。 

10わたしたちは、いつもイエスの死を体にまとっています、イエスの命がこの体に現れるために。 

11わたしたちは生きている間、絶えずイエスのために死にさらされています、死ぬはずのこの身にイエスの命が現れるために。 

12こうして、わたしたちの内には死が働き、あなたがたの内には命が働いていることになります。 

13「わたしは信じた。それで、わたしは語った」と書いてあるとおり、それと同じ信仰の霊を持っているので、わたしたちも信じ、それだからこそ語ってもいます。 

14主イエスを復活させた神が、イエスと共にわたしたちをも復活させ、あなたがたと一緒に御前に立たせてくださると、わたしたちは知っています。 

15すべてこれらのことは、あなたがたのためであり、多くの人々が豊かに恵みを受け、感謝の念に満ちて神に栄光を帰すようになるためです。

・・・・・・・・・・・

 

ここに出てくる「土の器」とは、人間の肉体を指していることは言うまでもありません。

 

しかし、何故パウロは「黄金の器」とせず、「土の器」と表したのか?

 

それは、イエス・キリストの復活を意識したが故の表現だったからに他なりません。

 

「土の器」は、いつ壊れてもおかしくない儚い命、つまり肉体の死と直結した言葉です。

 

十字架にかけられたイエス様の肉体は土に還られましたが、イエス様の霊体は蘇り、多くの人々の心の中に生き続けられています。

 

「人を義とする」福音を授かり、義人となった人の心の中に、イエス様の霊魂が復活なさるのです。

 

この復活されたイエス様の霊体のことを、パウロは土の器に納めた宝と言っているのです。

 

この並外れて偉大な力が神のものであって、わたしたちから出たものでないことが明らかになるために、あえて「土の器」という謙った表現がなされているのです。

 

この土の器に納めた宝によってわたしたちは、四方から苦しめられても行き詰まらず、途方に暮れても失望せず、虐げられても見捨てられず、打ち倒されても滅ぼされないことを確信できるのです。

 

イエス様の霊体がいつも守ってくださっていると確信できた時、どんな患難苦難に遭遇しようとも、不安・心配に陥ることなく不屈の精神で前向きに立ち向かうことができるのです。

 

この確信こそが恵みであり、神様の愛の賜物なのです。

 

この確信こそが信仰の力なのです。

 

この確信があるからこそ私たちは神様に感謝し、信仰に生きるのです。

 

(4章16〜18節)・・・

16だから、わたしたちは落胆しません。

たとえわたしたちの「外なる人」は衰えていくとしても、わたしたちの「内なる人」は日々新たにされていきます。 

17わたしたちの一時の軽い艱難は、比べものにならないほど重みのある永遠の栄光をもたらしてくれます。 

18わたしたちは見えるものではなく、見えないものに目を注ぎます。

見えるものは過ぎ去りますが、見えないものは永遠に存続するからです。

・・・・・・・・・・・

 

信仰に目覚める前の私は、目の前に見えているものしか興味がなく、見えているものを沢山所有すればする程、幸福に生きられると錯覚しておりました。

 

見えているものこそが実態であり、信じるに足るものであり、価値のあるものだと思っていたのです。

 

見えないものは取るに足らない、ただの虚無でしかないと考え、見えないものには全く興味がなかったのです。

 

ところが、今の目まぐるしい科学技術の進歩によって、特に生成AIの登場によって、見えているものに価値を置くことは、むしろ危険であることに気づいたのです。

 

生成AIとは、深層学習や機械学習の手法を駆使して、人が作り出すようなテキスト、画像、音楽、ビデオなどのデジタルコンテンツを自動で生成する技術です。

 

この技術があれば、架空の人物があたかも実在するかのような動きで映像化することができるのです。

 

この技術によって、偽物が本物にすり替わって見せることも容易にできてしまうのです。

 

ひょっとしたら、TVやネット上で流れているニュース画像もこの技術が使われてしまう可能性だってあるのです。

 

そうなると、見えているものこそが実態であり、信じるに足るものであり、価値のあるものだと言い切ることができなくなります。

 

むしろ、見えているものに頼りすぎると、とんでもない方向に誘導されてしまう恐れがあるのです。

 

ちょうど、マスゴミが流すコロナ関連報道によって、多くの人々が誤誘導されたように…。

 

見えているものは取るに足らない虚構であり、それに振り回されることは愚かであり、自殺行為であると捉えた方が賢明なのかもしれません。

 

ここに至っては、見えるものに価値を置く時代が終わり、これからは見えないものに価値を見出す時代に突入したと言えるかもしれません。

 

では、見えないものに価値を置くとは、具体的にどんなものがあるでしょうか?

 

これを考えるには、生成AIができないことをヒントにすれば良いかと思います。

 

生成AIができないことや苦手なことは、人の感情を理解することや、直感・霊感に基づいた判断、人智を超えた存在を感じ取る力といったものが挙げられるのではないでしょうか?

 

よって、今の時代に生きる私たちが最も価値を置くべき事柄は、見えるものではなく、見えないものを感じ取り、見えないものを理解し、見えないものを判断基準にすることだと思うのです。

 

私は、RAPTさんのブログを読んで、見えないものこそが本質であり、その見えないものの働きによって、この世の実態を形作っていることに気づかされたのです。

 

見えないものが秩序のある調和感に満たされれば、見えているものも、それに見合った美しさで光り輝き、それとは逆に、見えないものに不協和音が生じれば、見えているものも、やがてその醜悪な姿を表に映し出すことになるのです。

 

つまり、見えないものの有り様が、そのまま鏡のように見えるものに反映されるのです。

 

だから私たちは、見えないものの有り様に注意を払うべきです。

 

見えるものよりも見えないものにこそ価値を置くべきです。

 

わたしたちは見えるものではなく、見えないものに目を注ぎます。

見えるものは過ぎ去りますが、見えないものは永遠に存続するからです。(4章18節)

 

ここで、RAPTさんの「御言葉」を紹介します。

 

○RAPT有料記事624(2022年1月29日)目に見えない世界のことを、私たちの知識だけで説明することは困難だが、聖霊が私たちに語るべきことを教えてくださるなら、人々が理解できるように易しく説明できるようになる。

 

 

この「御言葉」の冒頭部分だけを、以下に転載させていただきます。

 

ここから転載)**********

 

この世の人々は目に見えるものばかりを重視し、目に見えないものをないがしろにして生きています。
 
目に見えないものについて特に深く考えることなく、目に見えるものについてばかり深く考えて生きています。
 
実際のところは、目に見えるものよりも、目に見えないものの方がよほど人間にとって重要なのですが、人々が堕落して、知能が低下してしまったため、このことが分からず、いつも人生の限界にぶつかって、ろくな人生を生きられません。
 
しかし主は、そんな彼らにも主のことを理解させ、神様のことを理解させて、人々を幸福にしたいと思っていらっしゃるからこそ、この地上に何人もの使命者を送って、目に見えない世界のことについて述べ伝えさせてこられました。
 
目に見えない世界を信じていない人たちに、目に見えない世界について理解させることは非常に困難なことであり、相当な知能が必要になりますが、主は使命者たちに聖霊を下し、聖霊の力によって人々が目に見えない世界について理解できるように導いてこられました。
 
私がこうして主から啓示を受けて述べ伝えているのも、すべては聖霊の力によるものです。
 
聖霊を受けて語ってこそ、人々に目に見えない世界のことを深く理解させ、信じさせることができるのです。
 
主の御言葉を信じる皆さん一人一人が、聖霊を受けて御言葉を述べ伝え、この世の多くの人々を救っていくことができますよう心から祈ります。
 
それでは、私の受けた啓示です。
 

**********(転載ここまで)

 

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聖なる神様、ありがとうございます。


聖書とRAPTさんの「御言葉」のお陰で、見えないものの有り様が、そのまま鏡のように見えるものに反映されることを悟りました。

 

どうか神様、多くの人々がRAPTさんのブログを読んで、見えないものこそが本質であり、その見えないものの働きによって、この世の実態を形作っていることに気づくことができますよう心から祈ります。

 

今の時代に生きる私たちが最も価値を置くべき事柄は、神様の“霊”を感じ取り、理解し、判断基準にすることです。

 

どうか、多くの人々が「御言葉」を学び、実践することで豊かな恵みを受け、神様の“霊”を感じ取る能力を身につけることができますよう心から祈ります。

 

神様の“霊”を受けた私たち一人一人が御言葉を述べ伝え、この世の多くの人々を救っていく者となれますよう心から祈ります。

 

多くの人々が、RAPTさんこそが真の中心者であり、神に遣わされた人であることを心底悟れるようにしてください。


中心者の語る一言一言が宝だと思って学び、深く悟れるようにしてください。

 

RAPTさんが聖なる神様を体現し、私たちを導く希望の光となり、永遠に輝き続けられますことを心より祈ります。

 

全ての兄弟姉妹がどんな艱難苦難の中にあっても、最後まで忍耐して信仰を守り、一生の間、神様を愛して祝福に満ちた生を生きられますよう心から祈ります。


そして、全ての義人たちの霊魂が天国に引き上げられ、神様が約束してくださった偉大な祝福を余すことなく受けられますよう心から祈ります。


私たちを妨害するサタンと人間サタンが一人残らず滅び去り、多くの人々が救われて、この世に千年王国の歴史が壮大に成されますよう心から祈ります。

 

これら全てのことに感謝して、愛する主の御名によって祈ります。

 

アーメン ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


 

皆様に祝福がありますように。

 

(2024.4.28)