前回は『新約聖書』に掲載されている「コリントの信徒への手紙一16章(最終章)」について考察しました。

 

聖書を読む目的は、御言葉を実践に繋げていくためです。

 

単に、知識を得るためだけに終わってしまっては、宝の持ち腐れになってしまいます。

 

聖書を読むことによって、如何に実践に繋げ、如何に自分の信仰に深みを与えていくかが重要になってきます。

 

単に、物語や歴史的事象を読み解くだけに満足してはいけないのです。

 

如何に己の信仰に活かし、実践していけるかが重要なのです。

 

そのことを、常日頃から教えてくださっているのがRAPTさんです。

 

○RAPT有料記事762(2023年7月29日)全てのよこしまな心をなくし、神様をまっすぐに一筋の心で愛してこそ、真理を無限に悟り、吸収し、サタンに完全に勝利し、偉大な大使徒へと成長できる。

 

 

そのことを念頭に置きながら、今後も聖書紹介に挑んでいきたいと思います。


そこで、今回は、「コリントの信徒への手紙二1章」の本文を紹介したいと思います。

 

コリントは、ギリシアのペロポネソス地方にある都市で、古代ローマ時代には政治の中心地として栄えた所です。

 

コリントの住民としてローマの解放奴隷が入植してきたこともあって、ギリシア人、ローマ人、ユダヤ人が混住する状況の中、イエス・キリストを受け入れる信徒たちによって共同体がつくられました。

 

しかし、現実にはさまざまな問題や困難があったようで、第一コリントの手紙が書かれた背景には、コリントの共同体の中で不和が生じていたことが挙げられます。

 

そして、第二コリントの手紙では、パウロとその教えを激しく非難する偽教師たちが現れたことにより、パウロは自分が正統な使徒であることをコリントの信徒たちに対して弁護しなければならなくなったことが背景にあります。

 

偽教師たちは、パウロが存命中のイエス・キリストに実際に会っておらず、その弟子でもなかった点を批判の的にしたのです。

 

パウロは直接イエス・キリストから教えを授かったわけでは無いのだから、正当な使徒とは認め難く、彼は大勢いる福音伝道者の一人に過ぎないというのが、彼ら偽教師たちの主張だったのです。

 

そのような批判に対して、パウロはどのように立ち向かっていったのでしょうか?

 

コリントの教会がパウロのことを真の使徒として認め、正しい福音に対して素直な従順さを再び取り戻せるようになって欲しいという彼の切実な願いを感じ取りながら、第二コリントの手紙を読み進めていきたいと思います。

 

以下は、「コリントの信徒への手紙二1章」の本文のみを掲載することに留め、1章の内容についての考察は、次回、このブログで触れることにしたいと思います。

 

(新約聖書〈新共同訳〉より抜粋)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

コリントの信徒への手紙二 1

挨拶

1神の御心によってキリスト・イエスの使徒とされたパウロと、兄弟テモテから、コリントにある神の教会と、アカイア州の全地方に住むすべての聖なる者たちへ。 

2わたしたちの父である神と主イエス・キリストからの恵みと平和が、あなたがたにあるように。

 

苦難と感謝

3わたしたちの主イエス・キリストの父である神、慈愛に満ちた父、慰めを豊かにくださる神がほめたたえられますように。 

4神は、あらゆる苦難に際してわたしたちを慰めてくださるので、わたしたちも神からいただくこの慰めによって、あらゆる苦難の中にある人々を慰めることができます。 

5キリストの苦しみが満ちあふれてわたしたちにも及んでいるのと同じように、わたしたちの受ける慰めもキリストによって満ちあふれているからです。 

6わたしたちが悩み苦しむとき、それはあなたがたの慰めと救いになります。

また、わたしたちが慰められるとき、それはあなたがたの慰めになり、あなたがたがわたしたちの苦しみと同じ苦しみに耐えることができるのです。 

7あなたがたについてわたしたちが抱いている希望は揺るぎません。

なぜなら、あなたがたが苦しみを共にしてくれているように、慰めをも共にしていると、わたしたちは知っているからです。

8兄弟たち、アジア州でわたしたちが被った苦難について、ぜひ知っていてほしい。

わたしたちは耐えられないほどひどく圧迫されて、生きる望みさえ失ってしまいました。 

9わたしたちとしては死の宣告を受けた思いでした。

それで、自分を頼りにすることなく、死者を復活させてくださる神を頼りにするようになりました。 

10神は、これほど大きな死の危険からわたしたちを救ってくださったし、また救ってくださることでしょう。

これからも救ってくださるにちがいないと、わたしたちは神に希望をかけています。 

11あなたがたも祈りで援助してください。

そうすれば、多くの人のお陰でわたしたちに与えられた恵みについて、多くの人々がわたしたちのために感謝をささげてくれるようになるのです。

 

コリント訪問の延期

12わたしたちは世の中で、とりわけあなたがたに対して、人間の知恵によってではなく、神から受けた純真と誠実によって、神の恵みの下に行動してきました。

このことは、良心も証しするところで、わたしたちの誇りです。 

13-14わたしたちは、あなたがたが読み、また理解できること以外何も書いていません。

あなたがたは、わたしたちをある程度理解しているのですから、わたしたちの主イエスの来られる日に、わたしたちにとってもあなたがたが誇りであるように、あなたがたにとってもわたしたちが誇りであることを、十分に理解してもらいたい。

15このような確信に支えられて、わたしは、あなたがたがもう一度恵みを受けるようにと、まずあなたがたのところへ行く計画を立てました。 

16そして、そちらを経由してマケドニア州に赴き、マケドニア州から再びそちらに戻って、ユダヤへ送り出してもらおうと考えたのでした。 

17このような計画を立てたのは、軽はずみだったでしょうか。

それとも、わたしが計画するのは、人間的な考えによることで、わたしにとって「然り、然り」が同時に「否、否」となるのでしょうか。 

18神は真実な方です。

だから、あなたがたに向けたわたしたちの言葉は、「然り」であると同時に「否」であるというものではありません。 

19わたしたち、つまり、わたしとシルワノとテモテが、あなたがたの間で宣べ伝えた神の子イエス・キリストは、「然り」と同時に「否」となったような方ではありません。

この方においては「然り」だけが実現したのです。 

20神の約束は、ことごとくこの方において「然り」となったからです。

それで、わたしたちは神をたたえるため、この方を通して「アーメン」と唱えます。 

21わたしたちとあなたがたとをキリストに固く結び付け、わたしたちに油を注いでくださったのは、神です。 

22神はまた、わたしたちに証印を押して、保証としてわたしたちの心に“霊”を与えてくださいました。

23神を証人に立てて、命にかけて誓いますが、わたしがまだコリントに行かずにいるのは、あなたがたへの思いやりからです。 

24わたしたちは、あなたがたの信仰を支配するつもりはなく、むしろ、あなたがたの喜びのために協力する者です。

あなたがたは信仰に基づいてしっかり立っているからです。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(コリントの信徒への手紙二1章より)

 

 

皆様に祝福がありますように。

 

(2024.3.30)