前回は『新約聖書』に掲載されている「コリントの信徒への手紙一12〜13章」について考察しました。

 

聖書を読む目的は、御言葉を実践に繋げていくためです。

 

単に、知識を得るためだけに終わってしまっては、宝の持ち腐れになってしまいます。

 

聖書を読むことによって、如何に実践に繋げ、如何に自分の信仰に深みを与えていくかが重要になってきます。

 

単に、物語や歴史的事象を読み解くだけに満足してはいけないのです。

 

如何に己の信仰に活かし、実践していけるかが重要なのです。

 

そのことを、常日頃から教えてくださっているのがRAPTさんです。

 

○RAPT有料記事762(2023年7月29日)全てのよこしまな心をなくし、神様をまっすぐに一筋の心で愛してこそ、真理を無限に悟り、吸収し、サタンに完全に勝利し、偉大な大使徒へと成長できる。

 

 

そのことを念頭に置きながら、今後も聖書紹介に挑んでいきたいと思います。


そこで、今回は、「コリントの信徒への手紙一14章」の本文を紹介したいと思います。

 

コリントは、ギリシアのペロポネソス地方にある都市で、古代ローマ時代には政治の中心地として栄えた所です。

 

コリントの住民としてローマの解放奴隷が入植してきたこともあって、ギリシア人、ローマ人、ユダヤ人が混住する状況の中、イエス・キリストを受け入れる信徒たちによって共同体がつくられました。

 

しかし、現実にはさまざまな問題や困難があったようで、本書簡が書かれた背景には、コリントの共同体の中で不和が生じていたことが挙げられます。

 

コリントの共同体がもめているという話を知らされたパウロは愕然とし、居ても立っても居られない気持ちで、この書簡を綴ることにしたのではないでしょうか?

 

「信仰によって一致してほしい」というパウロの切実な願いと悩みや苦悩を乗り越えようとする彼の熱い思いを感じ取りながら、この書簡を読み進めていきたいと思います。

 

以下は、「コリントの信徒への手紙一14章」の本文のみを掲載することに留め、14章の内容についての考察は、次回、このブログで触れることにしたいと思います。

 

(新約聖書〈新共同訳〉より抜粋)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

コリントの信徒への手紙一 14

異言と預言

1愛を追い求めなさい。

霊的な賜物、特に預言するための賜物を熱心に求めなさい。 

2異言を語る者は、人に向かってではなく、神に向かって語っています。

それはだれにも分かりません。

彼は霊によって神秘を語っているのです。 

3しかし、預言する者は、人に向かって語っているので、人を造り上げ、励まし、慰めます。

4異言を語る者が自分を造り上げるのに対して、預言する者は教会を造り上げます。 

5あなたがた皆が異言を語れるにこしたことはないと思いますが、それ以上に、預言できればと思います。

異言を語る者がそれを解釈するのでなければ、教会を造り上げるためには、預言する者の方がまさっています。

6だから兄弟たち、わたしがあなたがたのところに行って異言を語ったとしても、啓示か知識か預言か教えかによって語らなければ、あなたがたに何の役に立つでしょう。 

7笛であれ竪琴であれ、命のない楽器も、もしその音に変化がなければ、何を吹き、何を弾いているのか、どうして分かるでしょう。 

8ラッパがはっきりした音を出さなければ、だれが戦いの準備をしますか。 

9同じように、あなたがたも異言で語って、明確な言葉を口にしなければ、何を話しているか、どうして分かってもらえましょう。

空に向かって語ることになるからです。 

10世にはいろいろな種類の言葉があり、どれ一つ意味を持たないものはありません。 

11だから、もしその言葉の意味が分からないとなれば、話し手にとってわたしは外国人であり、わたしにとってその話し手も外国人であることになります。 

12あなたがたの場合も同じで、霊的な賜物を熱心に求めているのですから、教会を造り上げるために、それをますます豊かに受けるように求めなさい。 

13だから、異言を語る者は、それを解釈できるように祈りなさい。 

14わたしが異言で祈る場合、それはわたしの霊が祈っているのですが、理性は実を結びません。 

15では、どうしたらよいのでしょうか。

霊で祈り、理性でも祈ることにしましょう。

霊で賛美し、理性でも賛美することにしましょう。 

16さもなければ、仮にあなたが霊で賛美の祈りを唱えても、教会に来て間もない人は、どうしてあなたの感謝に「アーメン」と言えるでしょうか。

あなたが何を言っているのか、彼には分からないからです。 

17あなたが感謝するのは結構ですが、そのことで他の人が造り上げられるわけではありません。 

18わたしは、あなたがたのだれよりも多くの異言を語れることを、神に感謝します。 

19しかし、わたしは他の人たちをも教えるために、教会では異言で一万の言葉を語るより、理性によって五つの言葉を語る方をとります。

20兄弟たち、物の判断については子供となってはいけません。

悪事については幼子となり、物の判断については大人になってください。 

21律法にこう書いてあります。

「『異国の言葉を語る人々によって、異国の人々の唇でわたしはこの民に語るが、それでも、彼らはわたしに耳を傾けないだろう』

と主は言われる。」 

22このように、異言は、信じる者のためではなく、信じていない者のためのしるしですが、預言は、信じていない者のためではなく、信じる者のためのしるしです。 

23教会全体が一緒に集まり、皆が異言を語っているところへ、教会に来て間もない人か信者でない人が入って来たら、あなたがたのことを気が変だとは言わないでしょうか。 

24反対に、皆が預言しているところへ、信者でない人か、教会に来て間もない人が入って来たら、彼は皆から非を悟らされ、皆から罪を指摘され、25心の内に隠していたことが明るみに出され、結局、ひれ伏して神を礼拝し、「まことに、神はあなたがたの内におられます」と皆の前で言い表すことになるでしょう。

 

集会の秩序

26兄弟たち、それではどうすればよいだろうか。

あなたがたは集まったとき、それぞれ詩編の歌をうたい、教え、啓示を語り、異言を語り、それを解釈するのですが、すべてはあなたがたを造り上げるためにすべきです。 

27異言を語る者がいれば、二人かせいぜい三人が順番に語り、一人に解釈させなさい。 

28解釈する者がいなければ、教会では黙っていて、自分自身と神に対して語りなさい。 

29預言する者の場合は、二人か三人が語り、他の者たちはそれを検討しなさい。 

30座っている他の人に啓示が与えられたら、先に語りだしていた者は黙りなさい。 

31皆が共に学び、皆が共に励まされるように、一人一人が皆、預言できるようにしなさい。

32預言者に働きかける霊は、預言者の意に服するはずです。 

33神は無秩序の神ではなく、平和の神だからです。

聖なる者たちのすべての教会でそうであるように、34婦人たちは、教会では黙っていなさい。

婦人たちには語ることが許されていません。

律法も言っているように、婦人たちは従う者でありなさい。 

35何か知りたいことがあったら、家で自分の夫に聞きなさい。

婦人にとって教会の中で発言するのは、恥ずべきことです。 

36それとも、神の言葉はあなたがたから出て来たのでしょうか。

あるいは、あなたがたにだけ来たのでしょうか。

37自分は預言する者であるとか、霊の人であると思っている者がいれば、わたしがここに書いてきたことは主の命令であると認めなさい。 

38それを認めない者は、その人もまた認められないでしょう。 

39わたしの兄弟たち、こういうわけですから、預言することを熱心に求めなさい。

そして、異言を語ることを禁じてはなりません。 

40しかし、すべてを適切に、秩序正しく行いなさい。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(コリントの信徒への手紙一14章より)

 

 

皆様に祝福がありますように。

 

(2024.3.3)