今回は、「コリントの信徒への手紙一3章」の内容について考察したいと思います。
但し、充分慎重に考察する必要があることを肝に銘じたいと思います。
もし非真理を伝えてしまった時に、神様がお怒りになるのは勿論のこと、RAPTさんや十二弟子の皆さん及び兄弟姉妹の皆さんに、多大な迷惑をおかけすることになります。
ここは慎重に、自分の文章を何度も読み直して、できる限り非真理が混じることのないように努めていこうと思います。
どうか神様、このブログを書き進める中で、少しでも非真理が入り込んでしまった時は、すぐに気づくことができるように導いてください。
もし、非真理が混ざり込んでいたことに気がついた場合には、悔い改めてすぐに訂正します。
どうか私の霊魂を真理で充満させて、神様の御心に叶った文章が書けるよう導いてください。
神様の恵みと正しい導きがあることを信じて、ここから本題に入って行きたいと思います。
前回、このブログで「コリントの信徒への手紙一3章」の本文を掲載しましたので、その本文を傍らに置きながら皆様も、お付き合いの程よろしくお願いします。
「コリントの信徒への手紙一3章」では、「神のために力を合わせて働く」というテーマで書かれています。
まずパウロは、「肉の人」と「霊の人」について語ります。
(3章1〜8節)・・・
1兄弟たち、わたしはあなたがたには、霊の人に対するように語ることができず、肉の人、つまり、キリストとの関係では乳飲み子である人々に対するように語りました。
2わたしはあなたがたに乳を飲ませて、固い食物は与えませんでした。
まだ固い物を口にすることができなかったからです。
いや、今でもできません。
3相変わらず肉の人だからです。
お互いの間にねたみや争いが絶えない以上、あなたがたは肉の人であり、ただの人として歩んでいる、ということになりはしませんか。
4ある人が「わたしはパウロにつく」と言い、他の人が「わたしはアポロに」などと言っているとすれば、あなたがたは、ただの人にすぎないではありませんか。
5アポロとは何者か。
また、パウロとは何者か。
この二人は、あなたがたを信仰に導くためにそれぞれ主がお与えになった分に応じて仕えた者です。
6わたしは植え、アポロは水を注いだ。
しかし、成長させてくださったのは神です。
7ですから、大切なのは、植える者でも水を注ぐ者でもなく、成長させてくださる神です。
8植える者と水を注ぐ者とは一つですが、それぞれが働きに応じて自分の報酬を受け取ることになります。
・・・・・・・・・・
上記(3章1〜4節)で語る「肉の人」とは、「キリストとの関係では乳飲み子である」人であり、「お互いの間にねたみや争いが絶えない」人であり、霊的に成長できていない「ただの人」のことです。
そして、コリントの信徒たちに次のようにハッキリと明言するのです。
わたしはあなたがたに乳を飲ませて、固い食物は与えませんでした。
まだ固い物を口にすることができなかったからです。
いや、今でもできません。
相変わらず肉の人だからです。(3章2〜3節)
つまり、コリントの信徒たちは乳飲み子のように霊的に成長できていないから、次元の高い霊のことを語っても、しっかり咀嚼して飲み込むことができないとパウロは嘆いているのです。
もし彼らが霊的に成長できているのであれば、「霊の人」であるパウロやアポロのことで揉めることはないはずだと言うのです。
「霊の人」であるパウロとアポロの二人は、信徒たちを「信仰に導くためにそれぞれ主がお与えになった分に応じて仕えた者」です。
パウロは信仰という畑に苗を植え、アポロはその苗に水を注ぐ役割を、分に応じて神様がお与えになったのです。
そして何より忘れてはならないのは、その苗に命を吹き込み、成長させてくださるのは神様であることです。
そのような働きを成してくださっている神様に感謝し、神様のことを第一に愛し、心一つにして皆で協力していこうではないかとパウロは呼びかけているのです。
だから、苗を植えるパウロも水を注ぐアポロも、どちらも信徒たちの霊的な成長にとって欠かせない存在であるから、両者を分つような次元の低い考えを、さっさと捨てなさいと言っているのです。
(3章9〜17節)・・・
9わたしたちは神のために力を合わせて働く者であり、あなたがたは神の畑、神の建物なのです。
10わたしは、神からいただいた恵みによって、熟練した建築家のように土台を据えました。
そして、他の人がその上に家を建てています。
ただ、おのおの、どのように建てるかに注意すべきです。
11イエス・キリストという既に据えられている土台を無視して、だれもほかの土台を据えることはできません。
12この土台の上に、だれかが金、銀、宝石、木、草、わらで家を建てる場合、13おのおのの仕事は明るみに出されます。
かの日にそれは明らかにされるのです。
なぜなら、かの日が火と共に現れ、その火はおのおのの仕事がどんなものであるかを吟味するからです。
14だれかがその土台の上に建てた仕事が残れば、その人は報いを受けますが、15燃え尽きてしまえば、損害を受けます。
ただ、その人は、火の中をくぐり抜けて来た者のように、救われます。
16あなたがたは、自分が神の神殿であり、神の霊が自分たちの内に住んでいることを知らないのですか。
17神の神殿を壊す者がいれば、神はその人を滅ぼされるでしょう。
神の神殿は聖なるものだからです。
あなたがたはその神殿なのです。
・・・・・・・・・・
(3章9〜17節)では、信徒たちの信仰を建物に見立てて説明しています。
各々どのような建物(信仰)を建てるべきかを述べているのです。
熟練した建築家がまず考えることは、その建物をしっかりとした土台に据えることです。
信徒たちにとって、その土台はイエス・キリストです。
「イエス・キリストという既に据えられている土台を無視して、だれもほかの土台を据えることはできない」と、パウロは言うのです。
そして、その土台の上に建てられた成果(信仰)が試される時が、最後の審判の日だと彼は言うのです。
この土台の上に、だれかが金、銀、宝石、木、草、わらで家を建てる場合、13おのおのの仕事は明るみに出されます。
かの日にそれは明らかにされるのです。
なぜなら、かの日が火と共に現れ、その火はおのおのの仕事がどんなものであるかを吟味するからです。 (3章12〜13節)
ここに出てくる「かの日」とは、最後の審判のことだと私は解釈します。
そして、その審判はすでに始まっています。
大バビロンである中国共産党が滅び、神様がこの地を統治されるようになった今、人類を羊と山羊に選別される時代に、すでに突入しているのです。
2023年の今現在、最後の審判は進行中なのです。
だから、パウロが述べる「かの日」は、決して他人事ではなく、現在に生きる私たちへのメッセージでもあるのです!
当時のコリントの信徒たちだけでなく、RAPTさんの「御言葉」を受け入れた私たち信仰者にも関係することなのです。
私たち信仰者が、神様の「御言葉」に従順な生活をしているのであれば、その建物は焼き尽くされることなく残りますが、そうでなければ裁かれて、サタンのいる地獄へと突き落とされてしまうのです。
なので、私たち信仰者は「御言葉」に従い、己の霊魂を洗い清めて成長させ、サタンの潜入を防ぐことのできる「神の神殿」となる必要があるのです。
神の神殿を壊す者がいれば、神はその人を滅ぼされるでしょう。
神の神殿は聖なるものだからです。
あなたがたはその神殿なのです。(3章17節)
私たちの霊肉魂を、常に「神の神殿」と呼ぶに相応しい状態に保つことが知恵であり、その真理から逸脱するようなことをしてはならないのです。
肉の人から霊の人へと転身することが重要なのです。
(3章18〜23節)・・・
18だれも自分を欺いてはなりません。
もし、あなたがたのだれかが、自分はこの世で知恵のある者だと考えているなら、本当に知恵のある者となるために愚かな者になりなさい。
19この世の知恵は、神の前では愚かなものだからです。
「神は、知恵のある者たちをその悪賢さによって捕らえられる」と書いてあり、20また、
「主は知っておられる、知恵のある者たちの論議がむなしいことを」とも書いてあります。
21ですから、だれも人間を誇ってはなりません。
すべては、あなたがたのものです。
22パウロもアポロもケファも、世界も生も死も、今起こっていることも将来起こることも。
一切はあなたがたのもの、23あなたがたはキリストのもの、キリストは神のものなのです。
・・・・・・・・・・・
この世の知恵は、その悪賢さ故にサタンが好む知恵です。
そんなサタンの餌食になるような知恵ならば、むしろ愚か者になった方が真理に近づくとパウロは断言するのです。
世間の価値観で見れば愚かに映ることが、神様の価値観で見れば真の知恵者に映るのです。
すなわち、己の私利私欲を優先させる小賢しい肉の人にとどまるのではなく、神様のために己の全てを捧げる霊の人となることが、真の知恵者と言えるのです。
ここにおいても、「神の知恵」を獲得することの重要性を彼は述べているのです。
現在に生きる私たちも、己の中に少しでもよこしまな心がないか絶えず点検し、「神の神殿」と呼ぶに相応しい一人一人となることを目指そうではありませんか!
ここで、RAPTさんの「御言葉」を紹介させていただきます。
○RAPT有料記事762(2023年7月29日)全てのよこしまな心をなくし、神様をまっすぐに一筋の心で愛してこそ、真理を無限に悟り、吸収し、サタンに完全に勝利し、偉大な大使徒へと成長できる。
この「御言葉」の冒頭部分だけを転載させていただきます。
(ここから転載)**********
神様の御言葉を聞いて深く悟り、人生が180度変わって、幸福に生きられるようになる人がいるかと思えば、神様の御言葉を聞いても何も悟れず、むしろ御言葉に反発して、かえって人生が不幸になる人がいます。
前者は、御言葉を聞いて素直に受け入れ、御言葉通りに従って、神様をまっすぐな一筋の心で愛したからこそ、御言葉から多くのことを悟って、霊的に成長し、サタンに勝利し、多くの祝福を受けられるようになったのです。
逆に後者は、この御言葉を聞いても受け入れず、御言葉に従わなかったので、御言葉から何も悟ることができず、サタンにやられて、人生がますますボロボロになっていくしかなかったのです。
結局のところ、少しでもよこしまな心がある人は御言葉を受け入れませんし、逆によこしまな心がない人、あるいはよこしまな心をなくそうと努力する人は、この御言葉を素直に、自然と受け入れます。
そして、御言葉を受け入れた人は、当然、御言葉を実践し、悟るべきことを悟り、無限に御言葉を自分の中に吸収して、霊的に成長していきますので、やがて神様から大きな使命を任され、多くの人々を救いに導く大使徒になっていきます。
この御言葉に出会った多くの人たちが、よこしまな心を取り除いて、一筋の心で神様を愛し、無限に真理を吸収して、サタンに完全に勝利し、この世の多くの人々を救う大使徒へと成長していきますことを心から祈ります。
**********(転載ここまで)
この話の続きを知りたい方は、直接、有料記事をご購読ください。
聖なる神様。
ありがとうございます。
聖書とRAPTさんの「御言葉」のお陰で、己の私利私欲を優先させる小賢しい肉の人にとどまるのではなく、神様のために己の全てを捧げる霊の人となることが、真の知恵者であることを悟りました。
パウロが述べているように、サタンの餌食になるような知恵ならば、むしろ愚か者になった方が真理に近づくのです。
私たち信仰者は「御言葉」に従い、己の霊魂を洗い清めて成長させ、サタンの潜入を防ぐことのできる「神の神殿」となる必要があるのです。
どうか神様、己の中に少しでもよこしまな心がないか絶えず点検し、「神の神殿」と呼ぶに相応しい一人一人となることを心から願います。
「神の神殿」にならなければ、「神の霊」に繋がることはないのです。
どうか神様、「神の霊」と疎通できるように導いてください。
24時間、常に神様を呼び求め、深く祈りができる者となれますよう心から祈ります。
少しでも心が苦しくなったり、辛いことや大変なことがあったら神様を呼び求めます。
逆に何かいいことがあれば、神様を呼んで感謝し、神様を褒め讃えます。
神様が傍にいない気がして寂しくなったり、暗い気持ちになったりしたら、必ず神様を呼び求めます。
神様が来てくれたと感じるぐらい神様と近くしてください。
普段は悟れないことを悟り、普段は体験しない不思議なしるしを体験し、普段は受けないような恵みに満たされ、幸福に生きられるようにしてください。
もっともっと、霊的レベルを引き上げて、自分の利得を優先させるのではなく、神様の喜ばれることを優先させる生き方を求めていく者となれますよう心から祈ります。
この世が、無神論の世界から神様を信じる世界へと変わっていくことを心から願います。
神様を信じることが当たり前の世界に変わっていくことを心から願います。
私たち一人一人が常日頃から神様を呼んで、神様が常に共にしてくださる幸福な人生を生きることができますことを心から願います。
多くの人々が、RAPTさんこそが真の中心者であり、神に遣わされた人であることを心底悟れるようにしてください。
中心者の語る一言一言が宝だと思って学び、深く悟れるようにしてください。
全ての罪を悔い改めて「御言葉」に従って実践すれば、今この時代における神様の裁きに巻き込まれることなく、霊的にも肉的にも救われることを実感させてください。
RAPTさんの「御言葉」に出会った多くの人たちが、よこしまな心を取り除いて、一筋の心で神様を愛し、無限に真理を吸収して、サタンに完全に勝利し、この世の多くの人々を救う大使徒へと成長していきますことを心から祈ります。
RAPTさんが聖なる神様を体現し、私たちを導く希望の光となり、永遠に輝き続けられますことを心より祈ります。
そして一刻も早く、私たち一人一人の祈りの力によって、悪人とサタンをことごとく滅ぼし、この世に義なる世界を打ち立てて、地上天国が成されますことを心から祈ります。
これら全てのことに感謝して、愛する主の御名によって祈ります。
アーメン ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
皆様に祝福がありますように。
(2023.12.20)